第321話 贈り物
トリネッドと糸でのやり取りを行い、分かったこととしては……その糸はかなりの広範囲に広がっている、ということだ。
普段はここまで広範囲には広げていないというが、予想できる帝国の進軍ルートとその周辺を重点的にカバーしているらしい。
糸に伝わる振動を感知し、どこにどんな存在がいるのか。そこにどのぐらいの数がいて、何をしているのか。そういったものを探知しているらしく、魔法的な探知や隠蔽よりも物理現象に寄った知覚能力と言える。
ただの蜘蛛の巣のように枝葉に広がり、魔力を伴わず魔法的なものとは無関係に、純粋に動きで察知してくる。知った上で対策していなければクレアの偽装も看破されるだろう。例え音を立てず、完璧に偽装しきったとしても、糸に接触したり切ればそれで察知することができるからだ。
その上で自然の風の動きなどの、余計な情報は遮断し、必要な情報だけを集めているというのだから、トリネッドの感知能力もまた異常なレベルではあるだろう。
が、魔法や魔力の扱いが不得意というわけでもなく、糸を介してクレアとの情報のやり取りも問題なく行えるようであった。
大樹海中心部に近い位置にいる領域主であるために戦闘の記録に乏しく、その実力はあまり知られてはいないものの、相当なものなのではないかとクレアは見ている。記録が殆どないというのも、突破を試みた者が帰ってこられなかったというのなら記録自体存在しないのも当然のことだ。
中心部に近い位置に探知能力に優れた領域主がいるというのも、トリネッドとの話の後では作為的なものを感じるところはある。領域と領域の隙間をカバーして他の領域主と連携を図ることができるのだから、中心部の守りは鉄壁と言えた。
ともあれ、トリネッドからの情報の精度はかなり高いということは分かった。それならば帝国の動きを察知するのはトリネッドに任せつつ、クレア達は迎撃の準備に注力すればいい。リチャードやシェリー、ルーファスやシルヴィア、ディアナ。そして各部族の長も交えて作戦を立案していった。
「予想される進軍ルートに糸を張って戦奴兵達を無力化していこうかと思います。恐らく、ですが研究施設で使った術をもう少しうまく扱えるようになれば、従属の輪に対して、特に術者への痛みもなく解錠ができるようになる、と思います」
解錠ではなく、縁を断つことで装着者と従属の輪、帝国を無関係のもの、としてしまうわけだ。これにより従属の輪はそのままに、その時点での命令や帝国関係者からの命令上書きなどを無効化してしまえる。解錠の術と違って事前の説明がいらず、相手の意志とは無関係に、糸で触れた時点で使えるために時間がかからない、というのが大きい。
「上手くすれば帝国に悟らせないままに、そのまま寝返らせることができるというわけですな」
「この場合、解錠というよりは乗っ取りに近いですね。意思確認をしていないので望んで帝国に従っているような人物の従属の輪も一時的に無効化してしまいますが」
「まあ……少数派である以上は問題にならないでしょう」
リチャードの言葉にクレアが頷く。それに、いざとなればこちら側からの命令上書きは可能なのだ。命令によって暴いたり防止したりということはできるだろう。
「進軍が予想される経路に幻術や封鎖結界の魔法道具を仕込むというのも良さそうね」
「そうですね……帝国と戦奴兵を分断したり、誘導したりということも可能になるでしょうから」
といった調子で、クレア達は作戦を固め、時間の許す限りその準備を進めていくことにしたのであった。
開拓村と大樹海、辺境伯領を行き来し、クレア達は帝国への備えを続けていく。
多民族、多種族間の寄合所帯でもあるため、お互いの納得できるルールの策定というのもその一つだ。互いに譲れない部分、妥協できる部分はあるだろうと同盟の約定を結ぶための話し合いを開拓村の寄り合い所にて行ったが、クレア達が拍子抜けするほど話はスムーズに進んだ。
「譲れない、というほどのものはありませんな」
「そうですね。姫様は我らの恩人。そして大きな力を持っているにも関わらず、私達のことを思いやって下さいます」
「実際は多少の軋轢ぐらいは生じるものでしょうが、帝国のしてきたことに比べるなら話し合いで解決できるようなことでしょう」
「決まりを考えるのならば……そうだな。互いへの尊敬が感じられるものであれば良いとは思うが。共に肩を並べて戦う者達だ。身内からの意見に関しては、長としてまとめて見せよう」
というのが、族長達の見解だ。
「協力して下さるのは有難く思います。それでも、不満等は少なくしたいですから……そう、ですね。普段の暮らしや文化、風習などを教えて頂けると助かります。それらを元に合理的な取り決めをしていけば、お互いにとって過ごしやすくなるかなと思うのですが、如何でしょうか」
「異論はない。姫様のそうした気遣いには、皆もきっと喜ぶだろう」
「では――」
と、それぞれが自分達の伝統的な暮らし等について伝えていき、それを土台にして開拓村での共同生活や、同盟間での取り決めを行っていった。
他にも大樹海内での戦闘訓練や魔法道具作りをして帝国侵攻への迎撃準備を進める。
それでも時には息抜きや癒しは必要、ということで、クレアは準備を進める傍ら、休みを貰った際に辺境伯領の孤児院へと向かった。
子供達に人形劇を見せたりするためだ。
「何だか、久しぶりという気がしますね」
孤児院に向かう道中、クレアの肩に座った少女人形が嬉しそうに足をぶらぶらとさせながら言う。
「ここのところ作戦で忙しかったからな。子供達も首を長くしているだろう」
グライフが言う。クレアが休みを取るということで護衛を申し出た形ではあるが、グライフ自身も孤児院の子供達の顔を久しぶりに見ておきたかったというのはある。
他の者達は訓練に付き合ったり魔法道具の作製や迎撃の準備をしていたりと、休みの日が少し合わなかった形だ。
クレア達が孤児院に顔を出すと、久しぶりという事もあって職員や子供達は随分と喜んでいた。いつものように人形劇を見せたり、剣の稽古や魔法の指導をしたり、持って来た差し入れの菓子を振舞って子供達と交流の時間をとった。
「ニコやルシアが、クレアねーちゃんやグライフにーちゃん達は悪い奴を懲らしめたりするのに忙しいって言ってた」
「だから、私達、おねえちゃんたちが無事でありますようにって、みんなでお守りを作ったの」
そう言って子供達はクレアに何かを差し出してくる。
「これは――」
それは小さな容器に香草を入れたりする、ポマンダーと呼ばれるお守りだった。魔除けのお守りだが……子供達が作ったものなので手作りの紐やリボンの木の実などが組み込まれた素朴な作りだ。
差し出す少女は少し不安げではあったが、クレアは丁寧にそれを受け取ると、大事そうにそれを両手で包む。それから表情に笑みを出して言った。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「その……。ねーちゃんは色んなもの持ってそうだから、これで喜んでくれるかなって思ったけど」
「ふふ。親しくしている友人はそこまで多くはないので、人から物を貰ったりというのは結構少ないんですよ。ですから……嬉しいです」
クレアは自分の首元にある贈り物のブローチに軽く触れてから、ポマンダーを鼻孔に近付けて香草の香りを楽しむと、いつも自身が使っている魔法の鞄に飾りとして付けていた。それを見た子供達は顔を見合わせて笑顔になっていた。




