第317話 施設から無くなったものは
「くく……」
ヴルガルク帝国皇帝、エルンストが笑う。その顔は強い光によって、白々と照らされていた。
光の源は、祭壇に置かれた大きな水晶柱――その中に宿る青白い炎だ。
眩く輝くそれは――これまでとは比べ物にならないぐらいの光量で、アルヴィレト王城の地下祭壇全体を染め上げていた。
「これはまた――凄まじい輝きですな……」
痩せぎすの男――クレールが地下空間の輝きに顔をしかめながら言う。
「監視共の証言では、水晶柱に罅まで入っているそうだ。こうなった時間については――クラインヴェールの施設が襲撃を受けた時と一致する。そうだな? トラヴィス」
「はい。加えて言うのでしたら、クラインヴェールの施設――その各種魔法の設備を突破していることから、極めて高い隠密能力、そしてそういう魔法装置を無効化する固有魔法か特殊技能……魔法道具を持つ、或いは協力者がいる、というのは推測されます」
「ふむ」
トラヴィスの報告にエルンストは顎に手をやって思案を巡らせる。
研究施設から失われたものは多い。呪いを与えて幽閉していたルードヴォルグ。アルヴィレトの女騎士と黒竜の合成体。それを元に作った強化魔導兵の実験体達。そして研究資料と資材がごっそりと消失している。
施設で働いていた者は約一名だけ行方不明で、他の生き残りはいなかった、という報告だ。
ともすればトラヴィスの失態とも言えるが、そんなトラヴィスに対してエルンストが不快感を露わにしていないのは――襲撃の危険を予期して最も重要なものを帝都に移送していたからだ。ルードヴォルグや実験体達を放置したのは、エルンスト自身の方針でもあった。
「鍵の娘は――随分と甘いようだな」
エルンストは水晶柱の輝きを見ながら愉快そうに笑う。
「そのようですね。今回の変化の大きさを見るに、研究施設の光景に余程動揺したのではないかと」
そうトラヴィスが応じる。
今までの行動を見ても侵攻を受けている者達を救い、戦奴兵の犠牲を最小限にしようとしている節が見受けられる。そういう心の甘さを捨てられない人物ということなのだろう。
だから襲撃があるかも知れないと予想しながらも実験体達をそのままにした。ルードヴォルグや実験体を移送するにしてもどうしても奇異な見た目が足を引っ張って動かしにくかったというのもあるが、何より、それが甘い考えの持ち主である、鍵の覚醒を強く促すのではないかと予想したからだ。
「捕えて水晶柱の様子を見ながら覚醒を促す手段、実験を講じるという計画もあったが……覚醒に至らしめる要点と鍵の考え方や行動指針が分かれば、制御もできるということだ。合成体との戦闘の形跡はあったようだが……それで捕らえられなかったのは、まあ仕方があるまい。ネストールやヴァンデル、バルターク達ですら届かぬようだからな」
「しかし、幽閉されていたあの方については、後々問題にはなりませんか?」
側近がエルンストに尋ねるが、薄く笑う。
「あれはそもそも話すこともできない状態だが……仮に問題が起こるようなら折を見て健康上の不安から廃嫡を発表すればいい。影武者もこちらで抑えているのだしな。それにだ。事ここに至れば、あれを抑えられたことによる付随する問題が表面化するよりも早く、事態が動く」
エルンストは水晶柱に視線をやった。
「帝都に移送させたあれらは、鍵に続いて計画の要とも言える役割を果たす。あれらが確保されているのであれば問題はない。強化魔導兵計画は……まあどちらにせよ間に合いはしなかっただろう」
「ロシュタッド侵攻ぐらいには使いたかったのですが、残念なことです」
トラヴィスが目を閉じて軽く肩を竦める。エルンストにとっては計算していた方向に進んでいるものの、トラヴィスにとっては研究成果が奪われたようなものだ。
「恐らくだが……次に状況が動けば――我らも動くことになるだろう。軍は再編が完全でなくてもいい。帝都の守りは固めつつ、即応できるように準備を整えておけ」
「はっ」
「あれらも守られはしたが、施設がなくなっている今は貴重品だ。警備を厳重にせよ。隠密行動と移動手段に長けているのは間違いないが、監獄島の状況を見る限り、ネストールとは戦いになっている。あれが欺けなかったというのなら、魔法的隠蔽手段の何かがネストールの探知網に触れて反応されたからと見るべきだ。要するに……探知や看破の手段はあるのだろう」
「あれらの守りに際し、考えつく手段を残らず講じておきましょう」
「それでいい」
トラヴィスの返答に、満足げにエルンストは頷くのであった。
クラインヴェールから帰還して数日。クレア達は情報収集を続けながらも次にどう動くべきかを相談しながら準備や鍛錬を進めていた。
「捕虜の尋問は芳しくないということよ。彼はどうも研究施設に入る時に魔法の制約を交わしていたらしくてね。帝国を裏切ろうとしても従属の輪に匹敵するような激痛が走るようなの」
「質問すると、結局喋っても喋らなくてもっていう感じで、無理に進めようとすればそれが原因で死に至ることも有り得るからね」
リチャードからの話を、ルシアとニコラスがクレア達に話して聞かせる。
「それはまた……」
「だからと言って、質問をしない、というわけにもいかないのよね。あの施設で行われていたことの、全容の解明は必要だもの」
「だから、一日に少しずつでも進めて、手心を加えたり、加減はしたりしても、決して止めない、という方針だね。彼には気の毒なことだけれど、自分がやってきたことの結果でもあるから」
責任者の置かれた状況は随分過酷なものになっているようだが、研究施設の状態や帝国――エルンストの目指しているものを考えれば、止めるわけにもいかないというのは分かる。
全ての情報を吐き出せば、それで終わるのだから少しずつでも話していくしかないのだろう。
そんな話をしながらも、クレアの家の裏手では訓練が行われていた。グライフとローレッタが木剣を交わし、皆がそれを見ている、という状態だ。
ローレッタの動きは軽快だ。素早く踏み込んだかと思えば軽く当てて離脱。かと思えば時折、体格からは想像もつかないような剛剣を打ち込んでくる。
オーヴェルの剣舞や体術にも似ていると、クレアはそれを見て少し目を細める。やはり同門なのだろう。
「あのように虚実入り混じった動きなのはローレッタ様の本来の動きではありません。時折見せる剛の剣が元々の剣風なのですが……。しかし、体格が変化したというのに剛剣の鋭いこと。それをいなしているグライフの動きもまた、見事なものです。虚の動きという点ではやはり、ローレッタ様より長じておりますね」
というのがジュディスの解説だ。ローレッタの訓練、調整に付き合っているグライフもそれをいなし、自身も動きの速さを変幻自在に変える歩法と体術で切り結んでいく。空気を切り裂く鋭い音と、木剣で打ち合う小気味の良い音が断続的に響き渡る。
やがて二人は弾かれて一旦距離をとると、互いに騎士礼を見せて訓練が一段落する。少し荒くなった息を整えながらもローレッタは笑う。
「本当に、強くなったな、グライフ。あの痩せた少年が見違えたものだ。素晴らしい研鑽だ」
「光栄です。ローレッタ卿」
ローレッタの身体の変化もあって、打ちかかるローレッタをグライフがいなし、時折繰り出す攻撃と反撃にローレッタが対応する、という形式ではあった。
現状の実力を言うのなら、ローレッタの身体の変化もあって分はグライフにあるが、それでもグライフの虚実入り混じった動きに対応していたのは、グライフの動きをある程度知っているから、というのはあるのだろう。
そんな二人の訓練にオルネヴィアが良い戦いだった、というようにクレアの傍らで羽ばたきながら声を上げるのであった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
告知が遅くなってしまい恐縮ですが、
今月2月15日、魔女姫クレアは人形と踊るの2巻が発売予定となっております!
詳しくは活動報告にも記載しておりますのでそちらをご覧ください。
今後とも更新頑張っていきますので、どうぞよろしくお願い致します!
また、次回更新は通常の時刻になるかなと思われます。




