第310話 廻る糸車
竜人の制御システムは与えられた命令と、宿主となっている者達の判断能力に従い、クレアを排除しようと動く。未知数の能力。魔力の異常な変化。危険性は最大と言えた。
十全なパフォーマンスを発揮できる状況ではないし動きも封じられている。だが、向こうも足を止めているのだ。吐息を――否、まともな竜の吐息の形とならなくてもいい。今持てる限りの魔力を込めて、竜人は魔力の閃光をクレア目掛けてぶっ放す。
クレアに迫る閃光は、その手から伸びる光る糸の奔流とぶつかり合う。糸。たかが糸だ。大出力の魔力砲弾ならば押し切れる。そう判断した。
が――クレアの糸の変化は制御システムの予測を超えるものだった。
何が起こっているのか。ぶつけた魔力が一方的に拡散させられていくのが制御システムには感知できた。出力を上げても突破できず、操作しようとしても干渉しようとすることができない。
分解されているわけでも、相殺されているわけでもない。
まるで、最初からそうなるのが定まっているかのようだ。制御システムは人間的な感性を持つわけではない。ただ、宿主達の判断力をベースにすると、そういう推測とも結論ともつかない感想になってしまう。放った膨大な魔力は攻撃として結実することなく、クレアの糸に触れたところから拡散。霧消して無力化していく。
煌めく糸の変化は四方から伸びている糸を伝って、あっという間に竜人の動きを封じている糸にも伝播した。
包まれていく。白光に包まれていく。幾重にも折り重なって包み込んでいく糸は――制御システムの予想を超えて、攻撃と呼べるものではなかった。痛みも破壊もない。
干渉、ではあったかも知れない。制御システムにはそれの判別や分析ができないのだから仕方がない。宿主達も答えを持ち合わせていないから、感想や予想、推論にしかならないのだ。
ただただ、糸は幾重にも幾重にも巻き付き、絡み、包み込んでくるだけだ。斬ることも破ることもできない。破壊しようとする力は雲散霧消し、結実しない。
「廻れ。廻れ。糸車。繭の揺籃。眠りて変われ、子供達」
遠くを見るような目で。否、文字通り目の前のものは何も見ていない、忘我の極致のままに、クレアは歌うような詠唱を響かせる。クレアの周囲の煌めく糸が渦となって廻る。クレアの詠唱を借りるのなら、それは糸車であろうか。紡がれた糸は広がり、伸びていく。
『これ、は――』
グライフの声。
糸の奔流はフロアから下階、上階へと至っていた。そこにいるキメラ達を等しく糸の繭に包み込んでいく。
寓意。寓意をクレアはそこに込めた。
例えば繭。繭の寓意は変異、変化、そして羽化だ。
幼虫が繭の中で蛹となり溶けて、再構成されて……全く違った性質を持った成虫となるように。内部の因子を再配置し、再構成させることで一度形成されたキメラを構築し直す。
例えば糸車。伝承に語られる運命の女神は、糸を紡ぐように人の運命を紡ぎ織るのだという。望まぬ方向の作用。混ざって欲しくない因子。重なって欲しくない運命。それらを解き解き、クレアが望む方向へと導く。
自身が運命の子であるというのなら。糸が運命の象徴であるというのなら。守りたい者達を、そうあるべき姿に導くことだって、きっとできる。できるはずだ。
思い返すなら、きっとエルムもそう。そうあって欲しいと願い、紡いだからそこに来てくれた。それは新しく運命を紡いだからそうなったのだと言える。
絡まり合った糸を解いて紡ぎ直すのは元々クレアの得意とするところだ。それには従属の輪であるとか、竜人の制御システムだとかいったものが邪魔で。それならばそれは交わらなかった運命としてしまえばいい。断ち切ってしまえば良い。
階下のグライフ達は――その光景に驚きを隠せずにいた。クレアは術に極度の集中をしている。周囲に満ちた雰囲気、魔力から見ても、クレアの集中を乱すべきではないだろうと、声はかけられずにいた。今も尚、クレアは歌うような詠唱を続けている。その上で周囲の情報を得るための術だけは維持しているのだ。グライフ達にしてみればそれだけでも十分で、今は説明を求めるのも難しい状況だろう。
「これは――何が起こっているんだ……」
ユリアンが周囲を見回し、やや呆然としながら呟く。
「前に……一度似たような状態を見たことがありますわ」
セレーナが周囲を見回して言った。
「イルハインを倒した時だな」
「はい。細部は違いますが……あの時の魔力の輝き方と、かなり似ていますわね。何て……美しい……」
セレーナがそう言って目を細める。
その視界にはどんな光景が見えているのか。それを一度見てみたい、ともグライフは思うが――今はクレアの支援に回る方を優先させようと思考を切り替えた。
「一先ず……上はクレアに任せ、階下の状況に集中しよう。恐らくは、もう少しだけ時間が必要だろうが……今行ったというのなら、きっとそこまで長くはかからないと、俺は見る。それに、地下牢から救出しなければならない者達もいる」
アルラウネ人形の時も、エルムの時も変化は劇的だった。クレアの判断が、理性でのものか直感によるものかは分からないが、可能な限り信じるし出来る限り支える。その上で無理だと思うのならその意見も伝える。グライフはそう自分の中で決めている。
「では――彼らも檻から出せる状態にして迅速に撤退ができるよう、準備も進めておくのが良いだろう」
「檻の鍵は見つけたわ」
ウィリアムの言葉を受け、ルシアが倒れている魔術師達の所持品の中から鍵を見つけ出す。
そうして、彼らは手分けして檻の扉を解放し、いつでも繭を動かせるように準備を整えながらも階下の状況把握に努めた。
そうしている内に、いつの間にかクレアの詠唱も終わっていた。グライフの見立て通り術を終えたのであろう。ふらりと身体を揺らがせ、その場にへたり込む。それを見て取ったグライフやセレーナ、シルヴィア達は急いで上階へと走った。
「大丈夫か……!」
「クレア様!」
彼らが心配ながら声を掛けると、クレアは床の上で頷いて顔を上げる。
「大丈夫、です。ただ、少し魔力を一気に使い過ぎて、我に返ったら疲れが来ただけで……術は、成功しましたから」
そう言って荒い呼吸を整えている様子であった。糸の奔流は消えていたが、煌めく糸の繭はそのままだ。
術はかかった。運命と因子は繭の中で固定され、正しい流れに紡がれているという状態。エルムの種が後に残ったのと同じだとクレアは感じていた。後は、彼らが目覚められる状態になれば術も解けるだろう。
クレアはかなり疲弊した様子ではあったが、必要最低限の術はまだ維持しているし、自力で動くこともできる、と皆に応じる。少女人形が身振り手振りを交えているので、少し皆も安心したようだった。
「大丈夫そうだから確認するけれど――今の状態は彼らを治療なり保護なりをしている、と言うことで良いのかしら?」
シルヴィアが尋ねると、クレアが頷く。
「そう、ですね。糸と繭の寓意で、因子と運命に干渉して再構成した……と言うことなのだと思います。私も完全に意識的にやったというよりは、半ば夢うつつといった感じで……感覚的な話ではあるのですが」
「糸と、繭、ね」
ディアナもその言葉に思うところがあるのか、静かに目を閉じた。
確かにそれならば、キメラにされた者達を元の状態に戻す、ということができるのかも知れない。治癒という方向性とはまた違う方法論だ。
上階から、ファランクス人形が一つ、繭を運んでくる。施設の最上階――最奥にいた誰かが包まれた繭だ。
「もう1人上にいました。彼の方は、戦い云々というよりは……もっとひどい有様でしたが……」
延命していたのか何らかの実験に使われていたのか、人間の形かどうかすら判別しにくい状態だった。膨れ上がった、歪な肉の塊。それでもクレアの探知魔法は彼を人間の因子を持つ存在、と認識していた。
それに……呪法のような何かに蝕まれているのも感知している。呪いであるなら――運命、縁を断ってしまえば影響を及ぼすことはなくなるものではあるが、それはそれで別の問題が出てきている。
別のファランクス人形が腕に抱えているものがそれだった。数は二つ。制御システムであったものと、もう一つ。
「それは――?」
「繭から排出された……竜人制御用の結晶と、もう1人の彼を蝕んでいた呪いの結晶ですね。魔封結晶に包んでいますが――どちらも相当な危険物だと思います。始末に困りますが……少なくとも、ここには残していけないでしょう」
クレアはそう言って、大きな魔封結晶を見て小さくかぶりを振った。




