第306話 縁を繋ぎ
咆哮の次の刹那。身体ごとぶれるほどの速度でそれが動く。鱗弾でも鞭剣でもなく、爪に魔力を纏わせ、進路を塞ぐ糸を薙ぎ払いながら突っ込んでくる。
クレアは糸矢で応射しながらも後方へ跳ぶ。竜人の動きが変わったと、そう感じた。正確には、今まで見せていた獣じみた動きが前面に出てきたという印象だ。
感知能力はそのまま。クレアの弾幕の中から性質変化を鋭敏に感じ取り、発射されたものや発射後に変化したものにだけ確実に反応する。それ以外の通常の矢なら受けて構わないとばかりに鱗に纏わせた魔力で突破し、爪で切り込んできた。
防殻貫通の術式を突破するのなら、それで事足りる。一方のクレアはと言えば、竜鱗貫通術式はまだ行使していなかった。
来歴が分からないということもそうだが、本当に竜種とのキメラなのかが不明だからだ。どちらにせよこの反応速度と対応能力を考えるのならば、初見の変化には警戒し、性質が分かるまでは迂闊な動きを見せないだろう。
それでもいい。最短距離を突破すると言っても、行く手を遮る糸を切り払うためには動作が必要であり、それはクレアに追いすがるための動きを遅らせる結果となっているからだ。
竜鱗貫通術式も――使う場面ではない。目の前の相手は、倒さなければならない敵ではないのだから。
牽制射撃と糸で絡めとる捕縛の術。高速立体機動の攻防の中で、クレアの口が浪々と言葉を紡ぐ。
「ルーファス……お父さん。シルヴィアお母さん。グライフ、パトリック、ロドニー……」
挙げられているのは人名。生きて、再会できたアルヴィレトの者達だ。優しい人々の顔を思い浮かべ、その人達に向けた想いを込めながらも言の葉を紡ぐ。
その名に、声に。揺らぐ。竜人の魔力が揺らぐ。その反応で、竜人もまた知っている名前なのだろうと分かる。
「……会う事のできた人達の名前。私にとって、大切な人達の名前です。この人達を守りたいと決めたから、今の私はここにいる。オーヴェル達に命を賭して助けられたからここにいるのです。だから――」
――私は、貴方の名前を知りたい。
そうクレアは竜人の目を見て言った。魔力の揺らぎと共に、がくんと竜人の動きが揺らぐ。撃たない。その瞬間を撃ち抜けたとしても。殺到していた糸矢は竜人を迂回するように軌道を変えて周囲に突き刺さる。
がくがくと揺らぎながら、竜人が空を仰ぐようにして言葉を紡ぐ。
「チ、がう……。我の名でハ無い……ッ!」
怒号にも似た声。振り払うように暴力的な魔力が噴き上がり、動きを止めた竜人が再び動く。張り巡らせた糸の間を縫うように飛ぶ。そう。飛翔だ。そのからくりは首から生じた器官を翼のように広げ、そこに魔力を流して飛ぶというもの。それは鉱山竜が飛翔していた時によく似た魔力反応だった。
糸鞭を爪撃とぶつけ合い、ファランクス人形を盾に下がりながら切り結ぶ。うなりを上げて爪が迫り、鞭とぶつかり合ったかと思うと竜人の口腔に明るい輝きが宿る。
ブレス。細く絞られた青黒く輝く閃光が下から上へと切り裂くように空間を薙いだ。避けている。遅れて、結界の障壁に沿って爆発するような衝撃が走った。一枚が破られると即座に張り直される。シルヴィア達が多重結界で覆っているためだが、ブレスの破壊力は結界障壁の耐久性すら上回るようであった。
「……そうですか。あなたは」
鬩ぎ合っているのだとクレアは理解する。
人の意識と竜の意識。そしてそこに組み込まれた魔法。その魔法で従わされているから、意識がありながら攻撃をしてくる。だが、それは人側も勿論、竜にとっても地獄のようなものだろう。意に沿わず別の生き物と混ぜられ、こんな場所で言いなりのままに実験動物のような扱いなど。
今は研究施設にいるにしても、大樹海侵攻に際しても駆り出されていた可能性だってある。
ならば。破壊すべきは人でも竜でもない。支配している魔法そのもの。
そうするためには、何をすればいいのか。倒さず、倒されず、戦いの中で解析する。それが、出来るのか。この強さの相手に。
思考していた時間は一瞬。クレアが顔を上げて竜人を見たその時には、決意は固まっていた。
ブレスを避けられた竜人は既に揺らいでいた精神を押し込めるように立て直しており、咆哮と共に突っ込んでくる。回避。暴風のような一撃が通り過ぎていき、横方向に跳んだクレアを追いかけるように腕から鞭剣が迫る。半分だけ意識を眠らせるようにして、主導権を竜側に移すことで人間的な武術の技能も引き出している。
竜の鞭剣の軌道も変化させられる。クレアはファランクス人形を繰り出して、その一撃を受け止めながら下がり、勢いを殺すとあらぬ方向に跳んだ。即座に追うように飛翔し、追随してくる。
攻撃用に展開されていた糸の性質が変化する。即ち、攻撃から解析を主眼としたものに。一斉に起こった劇的とも呼べる変化に竜人は警戒し、詰めようとしていた速度を変化させて対応の構えを見せた。
が、放たれた糸矢自体の威力が落ちていることにはすぐに気付いたようだった。弾幕の総量は変わらずだが、威力が下がっている。鱗弾で応射すれば、弾き散らしてクレア本体を追い立てることができた。鱗弾そのものにも、何かの変化が起こったわけではない。攻撃や搦め手としての変化ではなく、もっと別の何か。
そう判断した竜人が間合いを詰めるべく速度を上げる。
クレアはそのまま、距離を取ったまま戦うことを選択する。攻撃に使っていた魔力を解析と高速移動に割きつつ、要所要所で粘着、伸縮性の高い糸矢に変化させることで牽制し、竜人の自由な飛行を阻む。
竜人は弾幕の全てを捌き切れるわけではない。時折は防御能力に身を任せて突っ込んでくる。間合いを詰められ、暴風のような攻撃に晒される只中で。
攻撃を凌ぎ、躱し、いなし、すり抜ける。至近距離を爪が。鞭剣が豪風と共に通り抜けていく。性質変化や新たな人形を繰り出すことで牽制しながらも、クレアは待っていた。竜人が糸矢の弾幕を突っ切るような選択を取るのを。
幾度かのぎりぎりの攻防。そして、その時は来た。捉え切れないことに苛立ったのだろう。殺到する弾幕に竜人が強引な突破を見せる。糸矢は威力が落ちているということもあって問題なく弾き散らされ、千切られたが――空中でバラバラになった糸が再度結合するようにして竜人の腕に絡む。
「繋がった」
クレアの短い言葉、鉤爪でその糸を引き裂くも、水に映った月のように糸は揺らぎ、切れない。
「――寓意魔法ですよ。縁の糸というのは、そう簡単に切れるものではありませんから」
寓意魔法であり、繋がりを持つことで作用させるのは呪術の応用でもある。竜人はクレアにとって倒すべき敵ではなく、守ろうとしている民に他ならない。アルヴィレトの民。だから縁で繋がることができる。縁を持った相手を知りたいと願うことで糸は維持されるし、解析も行える。
互いの手首から手首へと。クレアと竜人は淡く光る糸で繋がった。
再びクレアの口が名前を紡ぎ出す。アルヴィレトの民達の名だ。始めるや否や、それを止めろとばかりに竜人の身体に魔力が立ち昇り、咆哮と共に突っ込んでいく。
支配している魔力を揺らがせ、励起させることで解析を進める。
すぐに理解できたことがある。今までの帝国の――トラヴィスの組んだ魔法とは異質なものであることに。
それは――何と言えばいいのか。どこかで見たことがあるとクレアは感じた。どこで見た。
いつ。記憶からそれらを辿れば、すぐに答えは出た。
領域主と戦った時だ。イルハインのぶつけてきた魔力の使い方のいくつかに、似たものを感じる。墓守の核もそう。つまりは古代の遺産。永劫の都の文明に絡んだ遺物由来。
階下のキメラ達から感じた魔力波長と比較して解析すれば、答えは浮かんでくる。
人と竜。両者を融合させ得る何かを帝国が得て竜人を作り上げ、それ参考に技術の研究と開発を行い……戦闘用のキメラを作り上げる計画を進めていた、ということなのだろう。
「永劫の都――古代文明の遺産……。そんな、もので――」
すべきことは何も変わらない。相手が古代文明の遺産であっても同じことだ。アルヴィレトの人々のことを。自分を助けてくれたオーヴェル達のことを。そしてどうやってここまで来たのかを、言葉に紡いで伝えていくだけ。それによって揺らぐ――制御しようとする魔力を感じ取り、分析し、対抗するための術を作り上げる。
けれどきっと。それだけでは足らない。きっと届かない。人はアルヴィレトの民。制御魔法は古代魔法由来。では――竜は? それを理解しようとしなければならない。




