第303話 最善の策は
ユリアンをその背に乗せたマルールが一気に間合いを詰める。対応の遅れた魔術師の頭をその足で器用に掴んだかと思うと猛烈な勢いで床に向かって引き倒し、そのまま容赦なくユリアンの槍の一撃が降り注いだ。
その光景に驚く間もなく、マルールの陰から飛び出したベルザリオが懐に飛び込んで行く。呆然としている魔術師の胸を、肩口を、爪撃で切り裂いて横跳びに跳躍した。
走竜と獣化族。捕えた者達と同族だったというのが彼らの判断を遅らせた要因でもあっただろう。元々施設に捕えていた者達なのかという考えも頭を過ぎったからだ。
「だ、脱走じゃないのか!?」
「気をつけろ! 従属の輪をつけてない!」
「――同じ施設に捕えている者の、顔すら覚えていないのか?」
ユリアンやベルザリオに対して気を取られたところにミラベルが言いながら飛び込んでいく。手にした白刃が魔術師の身体を捉える。
「敵襲だ! 反撃しろ!」
責任者らしき男が叫ぶ。ようやく魔術師達は反撃を行おうとミラベルに向かって魔力を集中させながら手を翳す。
対するミラベルは、闇の精霊を使役して空間に暗闇を蟠らせて魔法の狙いをつけられなくする。つけられなくしたまま別の方向に向かって、これ見よがしに飛び出して見せた。
「お、おのれ!」
「慌てるな! 敵は少数だ!」
そう指示を飛ばしはしたが、統制は取れていない。ミラベルやユリアン、ベルザリオに向かって魔法弾が飛ぶも、訓練を受けた戦闘職のそれとは違う。偏差射撃でもなければ仲間の射線を意識したものでもなく、その身体を捉えることは叶わない。
反撃への反撃とばかりに、アストリッドがミラベルの作り出した暗闇を突き抜けるように現れる。
「巨じ――」
至近。氷の斧を大きく引いて突っ込んでくるアストリッドに、絶望に歪んだまま魔術師は声を漏らした。漏らしたままで、凄まじい横薙ぎの一撃を振り抜かれる。
ひしゃげるような音と共に床と水平にぶっ飛ぶ。実験機材や書類、薬剤等をぶちまけながら机に突っ込んで、けたたましい音を立てた。
「じょ、冗談じゃない!」
自由に動ける巨人族など、彼らが相手をできるような存在ではない。かといって、入口の方向にユリアン達が陣取っている。逃げることもできずに男達は引き攣ったような表情で魔法行使の構えだけは見せている。そうでもしないと、次に切り込まれるのは自分だという恐怖があったからだ。
対するユリアン達は、包囲するようにお互い距離をとりながら武器を構える。
「ま、待て! 待ってくれ! こ、降参する……!」
「そ、そうだ。目的を言ってくれ! 俺達は戦いなんて専門外で――」
「悪いが」
冷たい声。
「捕虜をとる気なんかないんだ。情報なら、一人か二人で十分だしな」
「……家族や仲間を相手に、こんな実験をしていた奴を、許せるの?」
「だからそうだな……。目的を言うならば研究の破壊と頓挫。その技術や知識を持つお前達の命そのものか」
ユリアン達が応じる。
「でも、抵抗するな、なんて言わないよ」
アストリッドが斧に纏う氷が、軋むような音を立てて肥大化する。
その返答は、男達を絶望させるに事足りるものではあっただろう。ここに来て、男達は相手の目的が仇討ちや研究そのものの破壊と理解する。
「クソッ!」
クレアの結界に覆われている人質達に向けて責任者の男が手を向ける。何かの術を発動させようとした、その瞬間だった。
音もなく。
どこからともなく閃光が走り、男の手に大きな穴が穿たれる。
「お、おおお!? ぐうああっ!?」
驚く間も無く、足の甲にも同じような穴が穿たれて、男は地面に倒れ伏した。クレアの糸弓だ。ただし、矢の口径が大きい。行動を抑制するのに十分な破壊力。
クレアの感知したところによると、何か知らない波長の術を用いようとした。だから即座に行動を止めたのだ。
もんどりうって男は倒れる。更にそこに、セレーナやグライフ、ルシアとニコラス、ジュディスも加わって、ディアナとシルヴィアの幻術のサポート、クレアの糸弓による援護が加わる。
だが、セレーナ達は前に出過ぎず、ユリアン達が戦いやすいように支援するように動く。
敵討ちや救出ということを考えるならば、クレア達よりもユリアン達の方が強い決意を以ってこの戦いに臨んでいるからだ。クレア達も憤りを感じてはいるが、ユリアン達に譲った形である。
いずれにしても皆が文字通りに容赦なく、切り伏せ、叩き伏せていく。それなりに高度な攻撃魔法で応戦しようとした魔術師もいたが、研究職の彼らでは終始まともに対抗はできなかった。
やがて――その場にいた者達は残らず倒れ伏し、戦いの喧騒も静かになる。
責任者の男はクレアに撃ち抜かれて身動きがとれなくなった後、その戦いの行方を静かに見ていた。というよりも何か行動を起こそうとした瞬間にクレアが警告射撃を至近に撃ち込むために諦めたらしい。
戦いの様子――ユリアン達の手並みに驚いていた様子ではあったが、それが終わるころになると、血だまりの中に転がりながらも笑っていた。痛みに顔をしかめたままの壮絶な笑みだ。
「く、くく……馬鹿め……。き、貴様らもただで済むと思うなよ……。我らは力及ばずとも、貴様らも助かりはしないぞ」
「兵士達のことか? 心配しなくても下の階の連中も叩き潰すさ」
「……違うな。あ、あの方は、緊急時に備えを用意していたということだ」
ユリアンが言うと、男は笑って答える。通報装置は止めているし、反応はしていない。ならば何が。その答えは男の続く言葉で分かった。
「あれは……あの方と我らで作り上げたものだ。わ、私が送ろうとした合図はあれへの命令と魔法装置の起動、両方を促すものではあるが……。命令が途中で途絶えた場合、反応してそれに応じた動きをする」
男がそう言った瞬間に。上階で強い魔力反応が生じたのをクレアは確認する。
「……そう。そうですか。何かと戦闘訓練を行うとは話をしていましたからね」
クレアが糸繭から出て、姿を見せながら言った。研究施設で戦闘用の薬物であるとか兵士の強化、キメラといったものを作っていたのは分かっている。
実験体に投薬し、戦わせて物差しになりえる何か。それが上階にいるということだ。上階の様子はクレアも見て知っている。確かに、戦闘に適したスペースと共に、何かが檻の中で眠っていたのを確認していた。
ただ――それと積極的に戦いたいとは思わない。どういう過程で、何を材料に作られたキメラなのか、知れたものではないから。
通報装置は機能させなかったが、それでも次善の策をトラヴィスは用意していたということなのだろう。
それでも。だからこそクレアは自分が戦うべきなのだろうと思う。制圧し、無力化するにせよ、それが叶わなかった時のことを考えるにせよだ。同胞かも知れない者を、ユリアン達に戦わせるのは忍びない。自分の固有魔法ならば、最終的な結果がどうなるにせよ、対応がやりやすくなる。止めようとして自分が傷つくということが、クレアの固有魔法ならばないのだから。
それに――自分の立てた作戦でユリアン達はここに来ている。トラヴィスの次善の策を読み切って潰すことができなかったというのもある。ならば、上階で動き出そうとしているそれとは、自分が戦うのが最善であり、道理なのだと、そうクレアは思う。
「あなた達の目論見や望みなど――何一つ成就させはしませんよ。それよりあなたは、これからの命運を心配すべきです。あなたに関しては無抵抗であろうが解放する気も、許す気もありませんから」
感情を見せないままで、クレアの糸が男に絡む。静かな魔力が、クレアの内に秘めた決意に応じ、僅かに波だったかのようにセレーナには見えた。次の瞬間十分な威力の電撃を叩き込まれて、男は身体を跳ねさせて意識を失ったのであった。




