第302話 奇襲
「通報用の魔法道具、装置を見つけて機能停止させたら、救出に移りましょう」
「波長を見つけていきますわ」
クレアの言葉に頷いて、糸の広がりに合わせてセレーナも目に意識を集中させる。特定の波長に強く意識を向けて反応させる。固有魔法への探知の応用術。自分とてロナに探知の術は習っている。クレアとの研究によって使い方も分かっている。できるはずだ。
眼前の所業に憤りを覚えているのは、セレーナもなのだ。いや、自分やクレアだけではない。一緒にいる皆もそうだろう。今すぐにでも飛び出していきたい。それをこらえているのは、救出のためにというそもそもの目的があるからに他ならない。
固有魔法の応用術は――正しく機能した。視界に入ってくる色彩情報が抜け落ちて、目的のものだけが色付いたような。そんな世界が今、セレーナには見えていた。
いや。これだけではダメだ。通報装置は見えても罠が見えなければ意味がない。応用術で反応させるのは――そう。左目だけでいい。
「……見つけましたわ。視界に入ったものから伝えていきます。通報装置はともかく、他は細かい判別ができていませんが……」
「承知しました。危険そうなものはこちらで判断し、対応が遅れそうならば皆にも場所を教えておきます」
セレーナとクレアは言葉を交わしてその探知範囲をどんどん広げていく。その過程で、研究所で何をしていたのか、何をしているのかといった情報が更に入ってくる。冷静に対応するためにも、今はまだそれらに意識を向け過ぎないという努力は必要だった。
それでも、現在、研究員が調薬などの実験準備段階であり、現在進行形でそうした実験が行われていなかったことは幸運だっただろうか。
その時はその時で、気付かれないように薬品や機材を引っくり返すなどして、実験の妨害をして過程そのものの阻害ぐらいはしていただろうと、そんな風にクレアは思う。
ロナの教えに従って、意識的にスイッチを切り替えてはいる。それでも冷静になり切れてはいないのかも知れない。自分でこうなのだから、ユリアン達はもっと強い意志でこらえているに違いない。傍から見ているだけで分かる。だから。自分が暴走するわけにはいかない。
もっと早く。もっと確実に救出のための手順を進めて行かなければならない。
そうして。クレアはフロア全体。更に上階へと範囲を広げていった。一度セキュリティの内側に入ってしまえば、案外罠は少ないという印象だ。そうした機能はゲートとなる部分に集中している。研究施設としての利便性のためでもあるだろう。
2階部分、3階部分と探知の網を広げてやがて通報装置のある場所を全て特定する。目に付くように作られている部分。物陰に隠されて密かにスイッチを入れられるような魔法装置……。後者は内部で何か問題が起こったような場合の、本当の非常用だろう。
それらに対し、クレアは逐一リソースを割かなくて済むように、機能停止ではなく機能破壊の方向で外部操作の術を使って、一つ一つ潰していった。
ゲート部分も例外ではない。外部に通報するための機能を破壊し、研究施設内を孤立させていく。
後はクレアの意志一つ。
外部操作の術によってゲートを塞ぐことで、研究施設内は陸の孤島となるだろう。そこまで至ったところで、クレアは次の段階に移った。
つまりは――囚われている人々と、研究員達の分断を行うための防護結界線の構築だ。床の材質、質感に沿って糸を伸ばして魔法陣を描く。その時が来たら術を発動させて人質を守る。そういう構えだ。
「施設内でいくつか気になる点もありましたが……一先ずは準備も整いました」
クレアが言うと、一同も待っていた、というように頷いた。
折しも実験室にいる魔術師達も薬の調合を終えたようだ。
「試験薬が出来上がりました」
「ようやくか。手のかかる連中がいなくなったから、強化魔導兵の実験も捗るかと思っていたんだがな」
「人手自体が増えても、すぐには別研究の内容を把握できるわけでもありませんからな……。この期間で情報を共有しつつ調合過程の分担ができるようになっただけ効率化はされているでしょう」
「まあ、確かにな。もう少しすれば期待された通りに速度も上がるか。だが……周辺国の平定は一先ず縮小される方向らしいじゃないか」
そんな話をしながらも、責任者らしき男は薬の入った器に探知系の魔法をかけて種類や状態を確かめているようであった。
「ああ。実験動物の供給が減るのは困りものですな。効率化されても肝心の材料が足りないようでは……」
「今いるのを大事に使うか。或いは国内の重罪人あたりを引き渡してもらうか……。トラヴィス殿下には交渉を頑張って頂かねばなるまいな」
そんな風に言いつつも、薬について調べるべきことも終わったのか、満足そうに頷く。
「問題ないようだ。では、これより改良型試験薬12号の投与試験を行う。反応速度や筋力、瞬発力の向上が見られ次第、上階にて戦闘試験を行う」
男は試験薬を手に檻の方へと歩みを進め、他の者達も実験用の器具やら記録用の紙や羽根ペン等を手にそれに続く。続こうとした。
「させはしません。こちらも始めましょう」
言って。伸ばされたクレアの糸が一斉に輝きを放つ。地下牢を。そして人質達が囚われている檻を隔離するように防護と防音結界が展開する。
「……なん、だ?」
施設で働く研究員――魔術師達にはいきなりのことで何が眼前で起こっているのか理解できない。
「本当に……会話の内容も聞くに堪えないな」
「もう……我慢しなくて良いんだよね?」
ユリアンやベルザリオが険しい表情で言う。
「そうですね。もう封鎖は終わっていますし人払いも済んでいます。常駐している兵士の加勢や、仮眠している者達のことも今は気にする必要はないでしょう」
「なら、安心して叩き潰せるな」
「思いっきりいくよ……!」
ミラベルとアストリッドが、待ちわびていたというように魔力を漲らせる。
「一人か二人は、生かしておいて下さい。囚われている方々の健康状態を把握している人間の情報が必要です」
「分かった……!」
場合によっては状態維持のための特殊な投薬が必要になるかも知れない。逆に言えば、それだけだ。彼らのことを慮る理由など。
これまでに彼らがしてきたこと――倫理観の欠如であるとか、これからのこと――身に着けた技術と知識を誰にどのように用いるのかだとか、その辺りを考えると排除すべき対象と言えた。
クレアの言葉を受けながら糸繭の外に降り立つ。魔術師達は突然発生した結界にまだ戸惑っている様子で、それ故にユリアン達への対応が遅れる。
「行くぞ! 残すのはあの、一番偉そうな奴でいいか!?」
「うんっ! あいつが一番知ってそうだからね!」
グリュークに跨ったユリアンと、変身したベルザリオが先陣を切る。誰を残すべきかも意思統一して、背後から一気にユリアン達が踏み込んでいく。
「な、なんだこいつら――どこから……!」
魔術師達の対応は遅れた。不意打ちだったということもある。研究職だったと言うことも大きいだろう。それに、どう動くべきか、判断に迷ったところがあった。通報用の魔法装置の存在だ。
もう通報装置は機能しているのか? 隠されている装置の所に走って起動させるべきでは? それよりもまずは即座に使える魔法で迎撃を。目的を見極めてからでも。
そういった、諸々の判断、選択肢が彼らの迅速な対応を遅らせる結果となった。




