第300話 警戒の中を
「さて……では、行きましょう」
クレアが言って糸繭が移動を開始した。地下通路に至るまでの経路と警備兵の人数、配置場所、巡回ルートといったものを把握した上での移動だ。天井の暗がりであるとか、普通は目を向けられない場所を、周囲と同化しながら滑るように動いて進んでいく。
天井の無い場所など、どうしても横切らないといけない場所では、巡回の兵士達の位置と視線の向きを計算に入れて、行きたい場所に糸を貼り付け、その位置まで引き寄せられるように高速で動く。
そうやってクレアは目的の場所まで進んでいった。
やがて吊り天井の回廊までやってくる。
「……セレーナさんの目だと魔力の帯ということでしたが……探知魔法が効きにくいですね。薄くて周囲の魔力に紛れる、と言いますか」
「魔法の罠としては高度ね……。トラヴィスの技量なのでしょうけれど――」
ディアナが眉根を寄せる。罠の性質も仕掛け自体も高い技術が使われており、警戒すべき対象という印象が強まるものだった。
「こちらの罠も基本部分は地下通路のものと同じようです。こちらの方が簡素な作りですし……とりあえず試験も兼ねて罠の作動を一旦止めておきますか」
クレアは糸で罠の発動点となっている柱に触れながら言った。外部操作の術を用いると、セレーナの目から魔力の帯が消えるのが見て取れる。
「機能停止しましたわ」
「術はきちんと機能していますね」
試験運用も問題なくできたということで、クレア達はそのまま回廊を直進して罠のある場所を抜ける。天井を通って曲がり角を進み、地下通路へと。
程無くして施設側に続く階段が見えた。
「……あれですわね」
セレーナが緊迫感を持った声で言うと少女人形が頷いた。
クレアは回廊の罠を簡素といったが、こちらの魔法装置は先程のものに比してかなり高度だ。近くで見ると、より伝わってくるものもある。
「後方から誰か来ないか、見張っていてもらえますか? もし誰か来た場合は、すぐに中断して、糸繭の中に戻しますので」
「承知した」
クレアの言葉に、グライフは応じる。操作に集中したいということなのだろうと理解し、糸繭から出たグライフは後方の気配に集中する。
「では――」
クレアも糸繭から出る。そうして台座の上にある水晶球に向けて複数本の糸を伸ばした。複数の処理を同時に並行して行う。万が一にも装置は起動させない。そんな構えだ。翳した指先から糸が水晶球に触れて――ぼんやりとした光がその先端に宿る。
セレーナの目にはいくつもの色を持った美しい輝きに見える。それらが一気に水晶球と階段上に見える罠の数々を無力化していくのを捉えていた。
やがて――その処理も終わる。クレアは糸を水晶球に絡ませたままで安堵したように息をついた。
「止まりました。階段の罠も機能停止している、と思いますが」
「魔力反応は確かに止まっていますわ。クレア様の魔法は――やはり美しいですわね」
と、そんな風に言うセレーナに、少女人形が少し照れたように頬を掻いていた。
そうして、外部操作の魔法を維持したままでクレア達は再び糸繭の中に入ると階段を登って施設側へと進んでいく。施設側――階段を登り切った位置にも同様に水晶球が配置されており、クレアはそちらから装置を外部操作して停止処理を施し、階段下に残していた糸を回収する。
完全に抜けたところで天井に潜みつつ外部操作の術を終了する処理に移る。伸ばしていた糸が引っ込んだところで魔力や周辺の動きに気を配り――しばらく観察していたが、やがて何も起こらないと分かると、少女人形が胸を撫で下ろすような仕草を見せた。
「どうやら、大丈夫なようです」
「そのようだ。流石の魔法制御だな」
ウィリアムが感心したように言う。自分と戦った時も、イルハインの時も。そして帝国の将や皇子と戦った時もそうだったのだ。信頼して背中を、命を預けるに足る人物だとそう思えた。
ともあれ、施設側に無事に入った。安心するのもそこそこに、クレア達は周囲を見回し状況把握に努める。
施設側に入ってまず目に付いたのは、広い廊下と警備兵を置くための詰め所だ。搬入口でもあるのだろうし、侵入者には真っ先に対応し、また、施設内からの脱走を防ぐための場所でもある。
詰め所の兵士達は多数。常時見張りを置いているし、水晶球等も視界に入っているが――クレアが隠蔽結界を展開した上での糸繭や糸の操作に関しては認識することが出来なかったようだ。
それはそうだ。彼らが意識を向けているのは不審な人影や物音であるが、クレア達の隠密行動にはそれらが抜け落ちていて、認識以前に不審に思って注意を向けるという段階に至れない。
それでは探知魔法抜きで隠蔽結界を見破ることは不可能だ。探知魔法はどうかとい言えば、これも難しい。セレーナがその効果範囲や種類をクレアに伝えているし、魔法の実力差もある。
詰め所の者達は、結界や魔法装置、階段や回廊に仕掛けられた罠を信用しているというのもあるのだろう。設備や警備の厳重さを知っているからこその信用が、人以外の何かへも常に意識を向けなければならないというまでの危機感を持たせなくさせる。
それでも見張り自体は油断なく行われていて、警備体制はこれ以上ないほど厳重というのは間違いなかった。
気付かれてはいないが、この場所に潜んでいては気が休まらない。クレアは人員や魔力の有無などに意識を向けつつも早々に移動を開始した。
詰め所の前の天井を通過すると、左右に廊下が伸びている場所に出た。いくつか部屋があるが――。
「魔力反応の少ないところから探っていきますか」
「分かりましたわ」
魔法の罠を仕掛けられていないなら探索しやすい。糸を送るだけなら物理的な罠を動かすことはないからだ。構造を知る事で他の場所に推測が及ぶようになるところもあるだろうと、クレアはセレーナと相談をしながら建物内を見ていくが――。
「見張りが置かれていますね。……鍵のかかった鉄格子に、地下へと続く階段ですか」
「魔法の罠は――見当たりませんわ」
「出入りが多い場所なら、罠は配置しない方が利便性は高いだろうな」
グライフの言葉に頷き、クレアは魔力反応がないことを確認しながら鉄格子の向こうへと糸を送る。階段を降りると――そこには人々が囚われていた。
「地下牢か……」
薄暗い通路の左右に牢が並んでいる。男女の区別は設けられてはいるようだが、それぐらいのもので、雑然と雑居房に押し込まれているというような……環境が良いとはとても言えない状況だった。
当然ながらというか、浮かない表情、沈んだ雰囲気の者が多い。
「……まずは、彼らの従属の輪を外し、救出できる体制を整えましょう」
多種族、他民族が雑然と収監されているような形だ。状況把握もその際に進めて行かなければならないだろうと、クレアは地下牢へと糸繭を進ませた。従属の輪で行動を縛り、出入口に見張りを立てているからか、地下牢には人員の配置はとりあえずないようだ。
「誰かみなさんの知り合いがいれば、その方をきっかけに話を通してもらったり、騒ぎにならずに作業を進めて行けるのですが」
「探してみるね。私達の仲間なら見ればすぐわかるし。巨人族だけだと、他の人に話は聞いてもらえないかも知れないけど」
「俺達も探してみよう」
「任せてくれ」
アストリッドやユリアン達はそう答えて――牢に入れられている者達から自分の顔見知りを探していくのであった。




