第283話 王の雷光
クレアが拳を握り込むように動かせば、ヴァンデルに集中させるように糸矢と結晶弾、雷撃や炎といった様々な魔法が飛来し、ぶつかり合って炸裂。ヴァンデルを巻き込んだ大爆発を起こす。
クレアは――構えを解かない。握りつぶすように拳を前に突き出したままで攻撃を集中させ続ける。凄まじい密度の集中砲火。
その、爆炎と爆風の中から。
「おおおおっ!」
ヴァンデルが咆哮しながら爆炎を突き抜けて現れる。身体から凄まじい魔力が噴き上がり、セレーナだけが見えていた影すらも実体化して渦を成していた。
無傷ではない。額から血を流し、衣服も焼け焦げている。それでも致命傷には至っていない。戦闘不能にも程遠い。最大限に噴出させた魔力を渦のように噴出させ、絡まった糸を引きちぎりながら集中放火を受けた形だ。それでも手傷を受けているのは、大量の魔弾による相互干渉爆発を完全に防ぎ切ることはできなかったということだ。
言うなれば、セレーナ達が受けた自爆技をヴァンデルに遠隔からそのままやり返したような形だ。
凄まじい速度で切り込んでくるが、そこにクレアはいない。糸の反動で斜め後方に離脱している。追いかけるヴァンデルの速度は先程よりも速い。が――先読みができていない。クレアが移動用に使う周辺の糸に、偽装と隠蔽を掛けるもの、掛けないものを用意してフェイントをかけ始めたからだ。
周囲の糸までは把握できても、それがどう繋がってどう機能するのかまでは、ヴァンデルには感知や計算できない。
「警告です。降伏すれば命は取りません」
風に乗ってクレアの声がヴァンデルの耳に届く。
「……ふざけたことを。この程度で俺を殺せるとでも思っているのか?」
事実、セレーナ達と戦った時の傷はもう癒えてきている。耐久力と再生能力もまた、ヴァンデルの強さを支えるものの一つではあるだろう。今の攻防で自信を持ったというのなら間違いだ。このまま全開の力で追い詰め、押し潰す。
殺したくないなどというような薄甘い考えの持ち主かと落胆の気持ちが浮かんだが、続くクレアの言葉はそういう類のものではなかった。
「……意味もなく。享楽のために戦いだけを求めて戦火を広げる。罠があると知りながら部下を引きつれ、待ち構えている相手に突っ込んでくる。そうした心の在り様。傲慢や慢心が度し難い。ですから――あなたは後には残さない。今降伏しないのであれば、確実に狩ります」
「できるものならな!」
冷たい意志でそれを遂行するという宣言だ。値踏みするように細められた目からは感情の起伏が窺えないが、ヴァンデルの生き方そのものを否定する言葉を叩きつけられる。皇子として生きてきたヴァンデルには、初めての経験だった。
背から噴出する翼の勢いが増す。更に速度重視の構えを見せて弾幕の中に身を逸らし、馬鹿げた速度と慣性を強引に殺す機動を以って、クレアとの間合いを詰める。
ファランクス人形が、2体、3体と現れてヴァンデルの行く手を阻む。
「邪魔だ!」
が、大した足止めにはならない。拳と槍を交えるも最初とは出力が違う。あっという間に人形が砕かれた。ヴァンデルをしてその操作技術は卓越しているとは思うが、本体の技巧と戦略を超えるものではない。それはとりもなおさず、クレアとヴァンデルの近接格闘戦の技量差を示すものでもあった。
そのまま、至近まで詰めて一撃を見舞った。防殻で覆われたファランクス人形が間に入る。
「ぐっ!」
重い音が響くも、止めている。背後にいるクレアまで衝撃は突き抜けるが、人形と本体の防殻は砕けない。
「ちっ!」
追撃を見舞おうとしたヴァンデルの背後――砕かれたファランクス人形の内側から糸束が射出される。開いて投網のように面で制圧する術だ。生半可な攻撃では糸を払いきれない。ヴァンデルは攻撃のために高めた魔力を巨大な斬撃に変えて自身の周囲を薙ぎ払う。
投網のような構造物には魔力を込めているのかいないのか。性質の変化は? 偽装と隠蔽だらけで最早ヴァンデルには判別できない。する意味もない。糸を打ち漏らせば後から変化するのだから触れられるのは極力避けねばならない。
正面からの弾幕。変化して花開くように飛来する網に対応しながらも、ヴァンデルは戦力分析を行う。単純な機動力は上回っていても、空中戦は少女の方が遥かに慣れているという印象を受ける。踏み込んで拳を振るう時。ギリギリのところでヴァンデルの想像を上回る動きで飛ぶのだ。
そう。そうだ。目の前の女は戦士ではなく魔術師。武芸や体術ではなく、魔法の研鑽に身を捧げた女。魔法の使い方という領分に置いては、遥かに水を開けられている。立体的な空中機動にしてもそうだろう。
魔法技術主体で戦う空中戦は不利。間合いを詰めて格闘戦に持ち込まなければ勝機はない。
同じく、長期戦も不利。そう判断したヴァンデルは実体化させた影を纏ったままで爪を肥大化。前方を引き裂くように薙ぎ払いながら迫る。
暴風のような爪撃。間に身を通すように回避するも、風に煽られる木切れのようにクレアの身体が揺らぎ、周囲の糸ごと薙ぎ払われた。力任せの技に見えて、クレアの身体を支えている主要な糸の位置は把握しているということだ。
ヴァンデルが迫る中、クレアの身体は糸の支えを失い、重力に従って下へ落ちる。
否。より正確には、加速度を得るために重力を利用したというのが正しい。頭上に向けた手から魔力を噴出させ、初速まで稼いでいる。糸を使わない移動。
それを追ってきたヴァンデルもまた直角に折れ曲がるようにクレアを追った。上空はともかく、地表付近は糸が少ない。地面付近の攻防に持ち込むならば回避方向も攻撃の手数もかなり減らすことができる。
前方に意識を集中。周囲に糸はない。クレアの手に糸を放つ前の予兆――魔力の揺らぎを感知する。斜め上空に向かって、クレアが糸を放ったのが見えた。
「はああああっ!」
両腕を交差させて裂帛の咆哮が響く。上下左右。空間と地面を四角く引き裂くようにクレア本体と放たれた糸とを同時に狙う巨大な斬撃波が走った。馬鹿げた攻撃範囲。馬鹿げた火力。地面を割り砕くような破壊の中で、身を翻すようにしてクレアはヴァンデルの爪撃波から逃れる。裏を返すなら、やはり糸による離脱は叶わなかったということだ。この位置、この距離なら糸を伸ばして再接合するより早く追いつく。
体術の心得もあるようだが、細剣の娘のような見切りはない。近接戦闘に持ち込めば勝てるという確信があった。
腰だめに拳を構えたままで、身体ごと飛び込み、腕を振るう。
「捉えたぞ!」
人形を繰り出すタイミングも、もう覚えた。人形をすり抜けるように踏み込み、繰り出された拳は――クレアの心臓を穿つような軌道を描いて突き刺さる。
生け捕りにするだとか、手心を加えるだとか、そんなことは考えていない、必殺の一撃。内側に細く絞った魔力を叩き込み、内側から爆砕する。螺旋を描く魔力が解き放たれて少女の背を突き抜けた。
しかし。ヴァンデルはそこに信じられないものを見る。
バラけたのだ。少女の形自体が解けるようにバラけた。それは人間ではなかった。微細な魔力糸を重ね合い、表面の質感を変えて、高密度の魔力を帯びた人形としてそれは機能していた。まるで人間のようにそれを操作していたということになる。いつ、どこで入れ替わったのか。最初から? それとも相互干渉爆発によって視界から消えた時? 回避するための非人間的な挙動。攻撃を受け止めた際の苦悶の声。どこからが本物でどれが偽装なのか。
分からない。ヴァンデルをして人と見分けられない恐るべき精緻な擬態と人形繰りの技巧。純然たる魔術師というヴァンデルの見立ては誤りであるが、それも当然のことだ。クレアとして魔法に身を捧げる前には、人形繰りに人生の全てを捧げていたのだから。それこそ、ヴァンデルの人生よりも長い時間を。
いずれにせよ高密度の魔力糸で編まれた只中に、自ら飛び込んでしまった。
絡みつく。糸がヴァンデルの影を。身体を包み込むように絡みつく。
その只中で、ヴァンデルは人形を見る。踊る人形だ。空中に浮かぶ箒を足場にくるくると優雅に踊っていた。踊り子の人形だ。
「――翼持たぬ者、何人たりとも其の大いなる翼を前に空を飛ぶこと能わず。天を統べる王の雷光に焼き焦がされて、地に堕ちよ」
人の身でありながら翼を模した魔力で飛行したヴァンデルに対して、踊り子人形の内蔵する機関と天空の王の形を模した寓意魔法を以って、更にその破壊力を上げる。本来飛べない者が眼前で飛ぶことを、大樹海の空を統べる王は許さない。
クレアの詠唱と共に。長大な雷光が蛇のように上空へ伸びる。それを――クレアは躊躇なく振り下ろした。落ちてくる。やけにゆっくりと、巨大な斬撃が落ちてくる。
「お、おおおおおおおおおおおぉおぉあああぁ!」
咆哮する。渦巻く魔力を噴出させ、纏わりつく糸を吹き飛ばし、噴き出す魔力の奔流で雷の斬撃を受け止めようとヴァンデルは足掻く。が、それもクレアは当然のように予想していた。拘束する糸の内側に魔封結晶を放つことで魔力の動きそのものを阻害する。
それを破るのであれば。クレア以上の魔力操作を以って対応しなければならない。固有魔法であるから、それができる可能性はあっただろう。だがヴァンデルは固有魔法を持つ優れた戦士ではあっても、魔術師として研鑽を積んできたわけでは、なかった。
そのまま。白銀の山脈を青白く染める凄まじい雷撃が、糸束ごとヴァンデルの身体を吞み込んだ。




