第279話 影の正体
意識の集中に伴う魔力の揺らぎ。そう形容すればいいのか。攻撃の前の前兆。予備動作に移る前の心の動き。そういったものが魔力に現れて動く。
セレーナは集中していれば、そうしたものすら見ることができる。だが、それは絶対ではない。例えばロナのような達人。それからセレーナがそうしたものを感知できることを知っているクレアやグライフがそうと意識するならば、魔力の揺らぎを抑えたり、或いは逆に魔力の微細な動きでフェイントをかけることもできるからだ。
だから戦いに当たって目に見えるものだけが全てではないとセレーナは知っている。
それに……ヴァンデルは既にセレーナの目に固有魔法絡みの秘密があると察しているのだ。
自身の固有魔法だけに頼るのは危険と感じていた。特に、ヴァンデルのような技量と五感に優れるような相手には。
どうであれ、対峙する者達の中でセレーナが特に注目されているというのは間違いない。単純にセレーナ達を打ち破るという意味においても、ヴァンデルの技や動きの起こりを正確に把握できるセレーナから倒すことは理に適っているからだ。
ピリピリとした肌に感じる圧力の中でセレーナは油断なく細剣を構えて――。次の瞬間、爆発的な速度でヴァンデルが突っ込んでくる。打ち込まれる拳と掬い上げるような軌道の細剣が交差。二つの異なる魔力がぶつかり合って、すれ違う。拳に合わせたのに、輝く気流のような魔力に阻まれてヴァンデルの身体までは届いていない。
つまりは、纏う魔力は全身鎧か強化服か。
防壁として機能しているが故に、セレーナもまた受け流す際にヴァンデルの纏う怪物の影――外殻に合わせるイメージだ。それは正しく機能し、凄まじい勢いで突っ込んできたヴァンデルの身体ごと流すように弾いていた。
ヴァンデルの目が見開かれて、更に口が喜悦に歪む。空中で反転すると、雪原の下の地面に爪を突き立てるように勢いを殺し、突き立てた腕一本のみを振る反動で再び突っ込んでくる。
それを押し留めるようにヴェールオロフが魔力を纏いながら横合いから突っ込んだ。
「指弾!」
セレーナの警告の声から僅かに遅れ、ヴァンデルの指が魔力の礫を弾く。ヴェールオロフの持つ戦斧がそれを迎え撃った。爆風が弾け、それを突っ切るようにヴェールオロフが出現。ヴァンデルに横薙ぎの一撃を見舞う。届かない。武器を叩きつけた衝撃はヴェールオロフの腕には伝わっているのに、感触が肉体に当たったそれではないのだ。普通の防殻とはまた違う。腕を回すように巨大な戦斧を巻き込んで逸らすと、踏み込みながら一撃を放つ。
ダメージにならないことは予想していたというようにヴェールオロフは一撃を叩き込みながらも回避と防御に意識をやっていた。セレーナの伝えてくれたイメージが念頭にあったためだ。戸惑うことも淀むこともなく身を躱し、入れ違うようにルシアとセレーナ、ニコラスの弾幕が迫る。
多対一でも退かない。牙を剝くような笑みを浮かべたままで渡り合う。自身の固有魔法の性質を敵が理解したところで、それはヴァンデルが不利になることを意味しない。技と力。双方で撃ち破らない限り自分には勝てないと言わんばかりにヴァンデルは自身の固有魔法の特性を前面に押し出し、セレーナ達と切り結ぶ。
「全員距離を!」
セレーナの声と共に皆が後ろに跳躍する。一瞬遅れて渦巻く気流がヴァンデルの周囲全方位に衝撃の渦を放った。雪を巻き上げ、地面を抉り、螺旋状の衝撃波が高く高く立ち昇る。それが収まると少し遅れて周囲に小石が降ってくる。クレータ―の中心に立つ、ヴァンデルは笑みを深めた。
「ああ。今のも見切るか。一人ぐらいは巻き込めるかと思ったのだが……素晴らしいことだな」
そう言いながらもヴァンデルの纏う魔力に更なる変化が生じる。気流のように立ち上る魔力はより色濃く。セレーナ以外の者には見ることのできなかった『怪物の影』とでも言うべきそれが、その場にいる者達全員の目に映るように。ヴァンデルの背中から立ち上る魔力が怪物の半身となってそこに現れる。
「あれが――」
ルシアがその光景に眉根を寄せる。
「分かっているのなら隠す必要もない。それに多対一ならば――この方が対処もしやすかろう」
「恐らく――影を凝縮し、身体からある程度離して実体化させることで独立した手足として動かせる……。そういう技ですわね。手足がもう一対ずつあると思って対処を。手数や対応力は増えても、個々の攻撃力や防御力は落ちるはずですわ」
「ああ、そうだな。尤も……お前達を叩き潰すのには十二分な威力は出せるが」
言いながらも、ヴァンデルは無造作に前に出てくる。やはり最初に倒すべきはセレーナと見定めているのか、歩む先もセレーナに向かってだ。
ルシア達は得物を構えたまま動かずにいたが――ヴァンデルがセレーナの間合いに入ろうかというその瞬間に一気に突っかけた。合わせるようにセレーナも動く。
三方向からの攻撃。しかしヴァンデルは正面を向いたままで対応する。ぐりん、と怪物の首が180度真後ろを向いた。視覚外からのルシアとヴェールオロフ、ニコラスの攻撃に怪物の影がその腕を振るって重い金属音と火花が飛び散った。
一瞬遅れて、セレーナとヴァンデルの細剣と拳が交差する。凄まじい密度の攻防。確かに個々の攻撃に先程までの威力はない。しかしまともに当たれば危険な威力。ヴェールオロフの膂力と打ち合って尚揺らがない。ヴァンデルの言葉通りだ。そもそも、領域主でも相手にするのでなければ、本来過剰な攻撃力と防御力を有しているのだから。
ヴァンデル本体と切り結ぶセレーナは――その魔力の動きが先程までの攻防と変化したのを感じていた。拳か。足か。どこかに強い魔力を集めているが、解放せずにそれが攻防に合わせて移動する。かといって魔力を集中させた部位以外の攻撃もまた、十分な威力を秘めていると言っていい。要は、数発で戦闘不能にするか、或いは一撃で吹き飛ばすか。どちらでもいいのだ。両天秤で叩き込める時に叩き込める攻撃を当てれば良い。
だが、それはセレーナとて同じことだ。分散している以上防御は薄い。当たれば攻撃は通る。攻防の中で一撃を通そうと狙っているのはセレーナもまた同じだった。
後は――技と技のぶつかり合い。互いの攻撃を逸らし、弾き、掻い潜っては身を躱し、踏み込んで攻撃を応酬する。攻撃こそ最大の防御とばかりに拳足そのものを狙って刺突と斬撃を繰り出し、ヴァンデルもまたそれを真っ向から迎え撃つ。セレーナの動きに合わせて技を繰り出し、魔力の纏い方を変えて受け、逸らして踏み込み、剣より内側の間合いには踏み込ませないとセレーナが揺らぐような体捌きで後ろに下がる。
クレアやグライフとの訓練で身に着けた幻惑的な歩法だ。加えて、意識を散らされるような戦い方をされるのも初めてのことではない。クレアは糸を介して立体的な技を仕掛けることができるし、意識の誘導という手法に関してはグライフの専門分野だからだ。
魔力の動きから技の起こりを感知するよりは一歩遅れるが、セレーナの目は単純に動態視力そのものも優れている。だから。スペックの違うヴァンデル相手に真っ向から切り結ぶことができた。
正面でそうやって切り結ぶ一方で、背後においてもまた攻防が続いている。ルシアとヴェールオロフが別方向から打ちかかるも、ヴァンデルはそれが見えているかのように的確に受け止め、反撃を繰り出す。フェイントを繰り出し、間隙を縫うように指弾を放って迫るニコラスの弾幕を爆風で散らす。
それは勘が鋭いというよりも、もう1人いると錯覚するほどの動きであった。身体能力の増強。それは反応速度の速さであるとか、知覚機能、処理能力そのものにも及ぶ。加えて怪物の影の視界を含めた五感は正しくヴァンデルに情報を伝えるのだ。本体から遠くに離せるわけではないが、もう一つの身体を持っているようなものであった。




