第276話 予感
ヴァンデルは実際の所、非常に鋭敏な探知感覚を持っているようで、その後も離れた位置にある魔法の罠や、潜んでいるゴーレムの類を発見しては破壊していった。いくつかは側近が発見したものの、罠を発動させようとすればヴァンデルが対処に入った。
罠は発動前に壊されてしまってはいるものの、全くの無駄だったのかと言えばそれは違う。ヴァンデルの知覚できる範囲の大体の距離を察知することができたし、その能力の一端を垣間見ることができたからだ。
魔力指弾。罠の一つを破壊するのにヴァンデルが使った技は、それだった。親指の爪に渦巻く魔力の弾丸を形成すると弾くように射出。凄まじい速度で放たれたそれは寸分違わずゴーレムの胴体に突き刺さり、粉砕して後方に破壊の余波を撒き散らす。
無造作に放たれたそれは凝縮された魔力が螺旋状に練られており、命中した瞬間に高密度の魔力が見た目から想像される以上の破壊を撒き散らす。
それは、ヴァンデルが単に身体能力を頼みにしているような人物ではなく、相当な研鑽を積んでいるということを示唆している。身体能力やその頑強さも有名であるが、技量においても確かな力量を持っていると言うことだ。
それに――足止めや時間稼ぎという点では有効だ。進軍ルートにいくつかの予想を立てて罠を配置したり、発見されて警戒を誘引させる前提でゴーレムを置くだけということもあって、その度に対応しなければならない。
軍全体の行軍速度を遅らせ、ヴァンデル以外の魔術師の集中力、魔力といったリソースを削るという目的は十分に達している。勿論、無人の罠を用いて直接的な損害を与えられれば言うことはないが。
そうやって頻繁に無人の罠をちらつかせていると、ヴァンデルが眉根を寄せた。
「気に入らん」
「確かに……あからさまに時間を稼いでいるという印象ですな」
「そう。狙いは時間稼ぎや遅延だろう。だが、何のためだ? この程度では俺が消耗するとも思ってはいまい」
「しかも逃げるでもなく陣取っている、ですか。陽動ですかな」
「挟撃を食らった場合、お前達で伏兵に対処できるか?」
「巨人族の戦士は強力ですが――頭数自体はそこまでではありませんからな」
「巨人族に協力している魔術師共も腕は立ちますがやはり数は多くなく、そこまで一方的な腕の差もないでしょう。結論から言うなら、防衛に徹するならば対処可能かと」
「十分だ。少し先行させてもらうぞ。罠は見つかる範囲で潰していくが、取りこぼしには注意しろ」
「はっ」
そう言って。ヴァンデルは身体に魔力を纏う。
伏兵がいるならいるで構わない。ヴァンデルが突出して先行していれば後方の部隊に襲撃を仕掛けたところで、ヴァンデルと後続部隊で逆に挟撃するような形に逆に持ち込める。そういう判断だ。
敵方の狙いは――正確なところが分からない。しかし、逃げるでもなく遅延をしているのなら、時間稼ぎの目的は撤退のためではないということだ。
これまでの遅延を目的とした罠ではない。もう少し本命の何かがあるとは感じている。山中に陣取っている者達はその場に引き寄せるための陽動や囮? ならば本命は一体何か?
敵は帝国軍と違って寡兵だ。囮だとするならば挟撃か分断。或いは各個撃破か。山中に散った部隊に召集をかけて一つ所に集めてはいるが……今のところそちらに対して巨人族が攻撃を仕掛けたという竜騎兵からの報告はない。
ただ――要塞を出てからずっと、何かの感覚が付きまとっていた。何者かに見られているような感覚とでも言うのか。しかし、ヴァンデルが知覚できる範囲にそれらしき相手はいない。しかし背筋にピリピリと走る緊張感がある。だとしたら、この感覚は予感か、予兆か。敵。それも強敵がいるのだろうと、ヴァンデルにはそう思えた。
だから。
我慢もそろそろ限界だ。
「くく。一体何が待っているのやら」
側近の返答を聞き届けたか聞き届けないかぐらいのタイミングで、そう言って。次の瞬間ヴァンデルの立っていた場所の雪が爆ぜた。
一足跳びに、ヴァンデルは離れた位置に踏み込んだのだ。二度、三度とそれが続いて、帝国兵の間から歓声が巻き起こる。
分かりやすい力の象徴として、兵達の戦意を高揚させる存在であるのだ。罠や策、地形、天候、人数差をものともせずに正面から力と技を以って叩き潰し、蹂躙していく。
その後に続いていけば勝利の栄光がやってくる。そういう存在なのだ。
「……クレア様から連絡が来ましたわね」
空を見上げていたセレーナがぽつりと言った。
「では――ヴァンデルが動いたか」
「はい。あまり時を置かず、先行してくるでしょう」
ヴェールオロフの言葉にセレーナが応じる。クレアの糸が信号のように魔力を放った。それは――セレーナの目には光の信号として映っている。セレーナが動いたのを確認したのか、クレアからの信号も収まり、周囲も動き出した。但し、竜騎兵の監視の目で対応に動いていることを悟られないように静かに、隠蔽結界で隠しながらだ。
ヴァンデル自身が先行してきては道中に仕掛けた罠も意味がない。しばらくすればヴァンデル自身も陣地の手前まで突っ込んでくるだろうと思われた。
だが、どうであれクレアにもヴァンデルの動きが見えているし、その監視の目によって送られてきた信号は迎撃班の方へ動いているというものだ。今後の変化も有り得るが、ヴァンデルが動きを変えて要塞側に向かったとすれば、その時はその時でクレアが対処に当たりつつ、自分達にそれを知らせてくるだろう。
今の状況のまま推移するのであれば、迎撃班と共に足止めに入るまでだ。セレーナはルシアやニコラス、ディアナ……仲間達と視線を合わせると、力強く頷き合うのであった。
「……ヴァンデルが動きましたね」
クレアが静かに言う。
「急いで制圧を進めなければならないわね」
「そうですね。このまま中枢部を制圧し、要塞に残っている中で一番偉い人物が従属の輪の解除権を持っていれば完璧です。最低限、戦奴への命令権だけでもどうにかなりますが」
シルヴィアの言葉にクレアは頷く。命令権があればその声を届けることで、要塞にいる戦奴兵の動きを止められる。その人物に解除権もあれば言うことはない。ヴァンデルや側近が戻って来ても従属の輪を外された戦奴兵にはもう命令を下せなくなるし、上手くすればまだ外にいる部隊に配属されている戦奴兵を行動停止にできる可能性もある。
要塞の制圧は凄まじい速さで進んでいる。分断されて組織だった抵抗もできないまま、個別に巨人族らに粉砕されているからだ。
巨人族への対策を施した要塞内部の構造も、地精の力によって作り変えられては何の意味もない。
安全なところに籠っての抵抗を試みるも易々と通路を広げられて制圧されていくのだ。そもそも、内側で分断されて脱出も組織的な行動もできないのではどうしようもない。要塞で守りを固めていたはずが、いつのまにか袋の鼠に立場が変わっていたのだから。
効率的に制圧を進めていくウィリアムらと巨人族。ウィリアムらの討ち漏らしを潰し、退路を断つように動くクレア達。二手に分かれたままで、糸による誘導で連携を図りながらも要塞はその機能を急速に失っていった。
「兄様達ですね」
「無事合流できたようだな」
通路の向こうから現れた巨人族とウィリアムに、イライザが安心したように声を上げる。
「残った区画は中枢部です。油断せずに制圧していきましょう。ヴァンデルも……先行して動き出したようですから」
クレアが現状を伝えると、ウィリアムと巨人族達も表情を引き締めて頷く。人質の救出と要塞の制圧も必要なことではあるが、こうなってくるとヴァンデルへの対処が残る大きな問題となる。戦いはこれからだと言えた。




