第273話 地下牢獄にて
周囲の結界や魔法的な備え、それに階段前を警備している見張りに注意を払いつつ、クレアは地下の牢獄へと進む。
巨人族を出入りさせるものであるから、通路はかなり広々としている。最初から巨人族を捕らえるのを想定して作られた要塞だ。階段は下まで一直線。見通しが良くて隠れる場所も逃げ場もない。
ただ、風景に同化しながら糸繭で移動しているクレア達は視界に入っても気付くことができない。それでも見張りらの動きに変化がないか、妙な魔力反応がないかに細心の注意を払いつつ、クレア達は階段の先へ進む。
牢獄は――確かにそこにあった。巨人族が5人……6人と粗末な毛布に包まれて横になっており、兵士達も巨人族を監視できるように担当の者達を数人詰めさせているようだ。
従属の輪も嵌っているが、基本的に暴動対策はそれだけのようだ。魔法の備えはない、というよりも魔法的な備えこそが従属の輪なのだろう。クレア達は天井を伝い、易々と牢獄の内部へ侵入する。
巨人族の様子がよく見られるように見通しのよい鉄格子にしているということもあり、あっさりと牢の内部へと侵入を果たす。
「このまま、この位置から彼らに接触を図ります」
「監視の目がありますが……大丈夫ですか?」
牢獄の向かいに兵士達の詰め所を設けており、そこでほぼ常時監視ができる態勢になっている。事実今も、1人の兵士が牢獄に向かいに腰かけて監視はしているようだ。
「問題ありません。あの距離からでは細い糸なんて、普通の人の目では見えませんから」
クレアは言って、一本の糸を伸ばしていく。その糸は1人の巨人族の耳元に滑り込む。そのまま、クレアは静かに呼びかけた。
「聞こえますか。魔法で声を届けています。声に出さずに反応してもらえれば伝わります」
何度か呼びかけると、クレアが声を届けた巨人族はそれで気付いたようで咳払いして髪をかき上げる。声を糸の振動に乗せて、耳の中に直接届けている。微小な音ではあるが、当人だけには届くという絡繰りだ。
「聞こえましたね。次の質問には反応しなくても大丈夫です。今から、従属の輪を外します。外れて欲しいと思うのならば、そう祈っていて下さい」
薄く目を開けた巨人族の男が、そのまま静かに目を閉じる。クレアは光や音が漏れないように従属の輪の周辺に小規模な結界を展開。それから従属の輪を外しにかかった。
クレアが魔力を込めると、ややあって音もなく従属の輪が外れる。巨人族の男は目を瞬かせ――それから感じ入るように首元に手をやる。
「他の人も順番に外していきますね。救出作戦を計画しているので、そのまま眠っているふりをお願いします。もし他の人が驚いて動いたりしてしまった時だけ、フォローをしてもらえると助かります」
クレアがそう伝えると巨人族の男は毛布を軽く引っ張るようにして合図を送った。
それを肯定と受け取ったクレアは、男のすぐ隣にいた巨人族を同様の手順で起こしにかかる。
そうやって一人一人慎重に声を掛けながらクレアは従属の輪を静かに外していった。やがて最後の一人の従属の輪を外し終わったところで、クレアは自分が今天井の暗がりに潜んでいるということと、これからの作戦を伝える。
「消音結界や認識阻害も使っていますから、小声なら話せますよ。何か質問はありますか?」
『その作戦……俺達も参加することはできるだろうか?』
そう尋ねられて――クレアはイライザに視線を送る。
「体調を尋ねてもらうことはできますか?」
「わかりました」
クレアの知りたいことを察したイライザが糸を介してそれぞれに尋ねる。
「少しお話を代わりました。作戦立案に携わる者の一人としてお聞きしましょう。あなた方の今現在の体調を教えてください」
『多少なまっているかも知れないが、問題はない。ここの兵士ぐらいならな』
『同じく』
『俺もだ。別に体調が悪いなんてことはない』
男達は口々に作戦に参加したいと申し出てくる。
イライザは彼らの言葉に偽りがないことを確認するとクレアを見て頷いた。
「そういうことであれば、協力して頂きましょう」
「わかりました。では、あなた方にも力を貸して頂きたく」
『力を貸して欲しい、というのは俺達の台詞だな』
『そうだな。どうか、よろしく頼む』
「勿論です。作戦の決行前に、武器と防具もお渡ししますね」
クレアはそう言うと、糸を伸ばして牢の鍵穴を探る。いつでも開けられるようにだ。
といっても、巨人族の従属の輪が外れて自由になっている以上、この程度の牢は問題にならないだろうが。
クレアの糸は要塞の遥か上空まで伸びており、ヴァンデル達の動きも把握している。天候が崩れてどう動くかを見て、それに合わせて動く。故にクレア達はまだ動かないが、今の内にできることはある。
例えば、要塞の内部構造や人員の配置場所、人数の正確な把握。例えば作戦が動き出した後、どこに攻撃を加え、どこに妨害を行えば最大限の効果を発揮するのか。そういったものを調べ、吟味した上で工作を施すのだ。
クレアの調査に合わせて糸の立体図が構築されていく。それをホレスの知識で補い、皆と相談しながら工作を行うべき場所に糸で仕込みを行っていった。
立体図と作戦は牢の巨人族にも共有される。牢を出てどこに向かえばいいのか。何を制圧すれば兵達は機能不全に陥るのか。そういった情報を動き出す前に共有しておくのだ。
「さて……ヴァンデルはどう出ますかね」
準備を進めながらも、クレアは糸から送られてくる映像で白み始めた空を見て静かに言ったのであった。
進むか、退くか、それともその場に留まるか。夜にちらほらと降り始めた雪は降ったり止んだりを繰り返しながらも朝には降り積もり、一帯は雪化粧となっていた。決して深い雪、というわけではないが行軍や士気には影響も出るだろうと予想された。
「どうなさいますか、ヴァンデル殿下」
天幕を出て外の様子を見ているヴァンデルに、側近の者が尋ねる。
「この程度ならば俺が退く理由にはならないな。天候が悪化して吹雪になろうが、俺には問題にならない。お前らはお前らの判断に従え」
その返答は――側近達にとっては予想通りの解答ではあった。生まれながらの強者であるヴァンデルは、周囲の者達と感覚が違う。行軍の速度は勿論のこと、天候、気温、飢え、疲労などに対する身体的な反応、欲求も含めて、理解はできても共感できるところがないのだ。
だから、無関心ということを除いてもこういう場合の機微というものがヴァンデルには分からない。だから判断を任せてもいるし、側近である彼らが果たすべき役割はヴァンデルの周囲が円滑に動くように間に入って調整を行うことと、その後始末、という形になるのだ。いずれにせよヴァンデルは彼らの判断や天候如何に関わらず先に進むだろう。
「食事の後までには我らの間で判断をし、お伝えします」
「いいだろう」
そうやり取りを交わすが、彼らも帝国の武官達だ。任されている仕事がヴァンデルの補佐である以上は、この程度の天候なら同行はほぼほぼ決定しているようなものだ。
そして、これ以上進軍するか否かは彼らにとって分水嶺でもある。もう少し先まで呼び込めば、要塞の異常を察知したとしても、ヴァンデル単身以外の救援は間に合わなくなる。そんな微妙な、境界線上の位置にヴァンデル達はいた。




