第261話 母娘の時間
「オーヴェル卿は……やはり……?」
「そう、ですね。帝国の追手や、大樹海の魔物から私を守って……守り切って。師に看取られたと。私、その時のオーヴェルさんの剣を振る姿を――背中を覚えているんです。どうして守ってくれたのか。どうしてそこまでしてくれたのか。それを知りたくて探していたら、グライフさんがオーヴェルさんを真似た動きに気付いてくれて……気が付いたらこんなところまで来てしまいました」
「そう……オーヴェル卿は――とても強く、けれど穏やかで優しい人だったわ。私やルーファスも姉様も……みんな尊敬していた。あなたにとっての、導きにもなってくれたのね……」
シルヴィアは残念そうに一瞬目を伏せるも、ほんの少し微笑んで、クレアの髪を撫でる。ロナの元で修行を積んだこと。その暮らし。セレーナやグライフとも知り合って友人となったこと。そうした日常の出来事を伝えていくと、シルヴィアはその言葉に耳を傾ける。
「――平和に暮らせていたのね……。良かったわ。それに……私の知ってるクラリッサでもあるって、そう思えるのが嬉しいの」
「知ってる、ですか……?」
クレアが尋ねると、シルヴィアが頷いた。
「クラリッサは、あまり泣いたり、表情に出ない子だったから」
「そう、だったんですか?」
「うん」
「実は……少しだけ、がっかりさせたりしないかなって……。嬉しく思っているのに、伝わらなかったらどうしようって、そう思ってしまっていたんです」
「ふふ。大丈夫よ。嬉しく思ってくれてるって、きちんと伝わっているわ」
シルヴィアはくすくすと笑う。その言葉に、クレアも表情を綻ばせる。
「普段は少し気にしてる部分ではあるんですが――。お母さんが喜んでくれるなら、良かったなって思います」
「うふふ。そうなのね。でも、お母さんは可愛いと思うわ」
嬉しそうに笑うシルヴィアに目を細める。そうして、帝国に関係ないことを色々とシルヴィアに話すクレアに、シルヴィアは相槌を打ちながらも嬉しそうに耳を傾ける。
クレアもまた、自分のややコンプレックスに思っていることをそうやって絆のように言ってもらえるのは、予想していなかったことでもあり、やや気恥ずかしさもありながらもこういう風に思ってくれるのは自分の母だからなんだろうと、そんな風に温かさを感じながらも思った。
「お父さんも――元気でいます」
「うん……。私も……あの人に会うのが楽しみだわ。帝国に捕まっているなら、いつかまた生きて会えるって、そう思いながら戦ってきたから」
「お父さんとのお話、聞きたいです」
「最初に出会ったのは小さい頃だわ。塔で迷ってしまっていたあの人に声を掛けて案内をしたの。最初は誰かも分からなかったけれど、後で王子様だったって知って驚いたわ。出会った時は、私の方がお姉さんだと思っていたのに、会う度に背が伸びて、頼れる感じになっていってね――」
そう言ってシルヴィアは昔を懐かしむように目を閉じて微笑む。魔法のこと。剣のこと。将来のことや悩んでいること。日々の楽しみ。会う度に色々な話や相談をするようになったという。
婚約の話が持ち上がったのは、もうしばらく後のことだ。ルーファスも、シルヴィアも、お互いとの婚約を望んで、あっさりと縁談は決まった。気恥ずかしさから少しだけぎこちなくなった時期もあったが、それもやがて落ち着いたのだと、シルヴィアは静かに語る。
クレアにとってシルヴィアは――安心できる人だと思えた。
離れていても。帝国と戦っていても。自分やルーファスのことを考えていてくれたのだろう。そう感じられる人だと思えた。
クレアも相槌を打ちながら母の話に耳を傾けたり、ロシュタッド王国にもいる友人――特にシェリーのこと――を紹介したいなどと話をしながらも、時間はゆっくりと過ぎていった。
シルヴィアはその一晩、空白の時間を埋めるようにクレアと色々な話をして過ごし、明くる日はディアナやグライフ、それからセレーナを始めとしたクレアと親しくしている友人達とも話をして、交流の時間を取るように過ごした。ディアナはシルヴィアにとって姉であったし、この10何年もの間、どこで何をしていたかを互いに話をするが必要だった。
「それじゃあ、姉様達も南方で組織作りをしていたのね」
「私がというか、パトリックやロドニー達がね。私は後から商会に合流した形で……来たるべき日に備えての魔法の研究ぐらいが精一杯だったわ」
「姉様の研究も気になるなぁ……」
「広範囲に展開する幻術が主よ。大軍を相手にするなら、広範囲を幻惑する術が効果的だと思ったから」
「視覚的なものだけじゃなくて他の感覚にも影響を与えたりしていて、すごいんですよ」
近くに座って話を聞いていたクレアが言うとディアナは少し照れたように表情を緩める。
「ふふ。姉様もクレアのことを可愛がってくれていたみたいね」
「それはもう。あなたや陛下にも似てるいし、可愛い姪よね」
シルヴィアも2人きりでない時はクレア、と呼ぶことにしたようだ。凍えさせることも飢えさせることもなく、クレアを賢く強く育ててくれたロナに対しての敬意を示すものでもあった。
他に誰もいない時等はクラリッサと呼べるが、いずれにせよ今は帰還作戦の途中であるから、巨人族のところから外に出たらどちらの名も出せなくなるのだろう。
そんなわけで母娘や家族、その親しい友人達、といった空気で過ごせるのは今の内だけだ。シルヴィアはにこにこしながらもクレアも交えて皆と談笑していた。
そうやってのんびりした後は、反抗組織の主だった者達がクレアに挨拶に来た。
「お初にお目にかかります王女殿下。王妃殿下付きの近衛騎士をしておりました、ジュディスと申します」
女騎士ジュディスは静かに一礼する。
塔の術師の出身で、シルヴィアの近衛騎士、お付きの護衛役であったらしい。気心も知れているということで、王妃を任せるに足ると一緒に脱出した人物ということだ。
「こちらこそ、よろしくおねがいします、ジュディスさん」
「勿体ないお言葉です」
ジュディスはクレアに微笑むとディアナにも挨拶をし、それからグライフを見る。
「グライフ君も久しぶりだな。いや、大きくなった。見違えたよ」
「ジュディス殿はお変わりなく。元気そうで喜ばしく思います」
グライフも微笑んで答える。ジュディスもまた、オーヴェルの弟子ということで、グライフも稽古をつけてもらったことのある相手だということだった。
「そうか。グライフ君が王女殿下の護衛としてついていると言うことなら……それは安心できるな」
そんなジュディスの言葉に、少女人形がうんうんと頷く。グライフにとって暗部出身というのはコンプレックスであったという話ではあるが、オーヴェルの弟子達はグライフの人となりや悩みも知っていて、その上で尊重しているようにクレアには感じられたからだ。
「反抗組織の方々とも、良い関係を築けそうで良かったです」
「ふふ。私こそ。殿下のお人柄に安心いたしました」
そう言って、ジュディスはグライフを少し見てから笑って応じていた。ジュディスの方もまた、グライフが仕えている主から暗部出身ということで疎まれたりしないかと、心配しているところもあったのだろう。だが、クレアやグライフの様子を見て杞憂だったと納得できたようだ。




