第244話 静寂の襲撃
「夜闇の精霊よ……」
ミラベルが言ってクレア達の周辺を暗闇で覆い隠す。
「では、飛ぶ」
「よろしくお願いします。私の動きは、ここに残したゴーレム達が感知して合図を送ると思います」
「ああ。後は手筈通りに」
ウィリアムの固有魔法により、クレア達は帝国の陣より少し離れた上空に出現する。転移の際の光はミラベルの使役する闇の精霊が抑える形だ。昼間ならともかく、夜間ならばミラベルの協力も必要となる。そのまま、隠蔽結界を展開して空中に浮かぶ。
出現した位置が遠いのは、ウィリアムの固有魔法で出現する際の魔力の動きで探知魔法にかからないようにするためだ。
帝国は飛行戦力を持たないダークエルフ達が相手であるために、地上への探知の網や巡回部隊を展開しているが、空中には比較的警戒が薄い。加えて少し離れた位置に出ることにより、確実に探知にはかからない位置につけている。
そのままクレアは気球で空中を移動していく。そして、陣より少し離れた位置に付けた。
時刻は明け方より少し前。空が白み始めるより前の時間。
まだ起き出す者も少ないが、地下で暮らすダークエルフ達に昼夜はない。門に対しての監視の目はしっかりと置かれていた。
だから、異常を見つければすぐに彼らが知らせるだろう。
だがそれは、見つけられれば、の話だ。
クレアは眼下に細い糸を垂らしていく。地面についた糸は、色と質感を偽装しながら帝国の陣を丸ごと円で覆い、文様を描いていく。
更に糸は枝分かれして伸びる。帝国部隊の探知魔法から外れる位置に、1つ、2つ、3つ。糸が円を描き、そこにそれぞれ異なる文様が形作られる。その上で、クレアは文様の周辺を――ウィリアムの転移空間より広く、隠蔽結界で覆う。
それからクレアは帝国の部隊が他にいないかをセレーナと共に調べていく。望遠と暗視の術を用い、高所から他の帝国部隊がいないかを調べていく。
行軍中の部隊がいるか、野営中であるなら通常、探知魔法や隠蔽結界を展開している。平野部が続いている環境下だ。セレーナの目ならそうした反応を見通せる。探知魔法を放って逆探知されるリスクを冒すことなく、別動隊、援軍、輸送部隊等の有無を探ることができる、というわけだ。
「……援軍や別動隊の類はいませんね。少なくとも作戦中に援軍が到着し、挟撃を受けてしまうような事態は避けられるかと」
「出現予定の場所、それぞれを闇で覆った。準備はできている」
「では、問題なく作戦の決行ができるな。俺は予定通り下へ戻る」
「はい。後程」
「ああ。後程な」
ウィリアムは固有魔法を用いて一人、クレアや護衛のグライフ、セレーナを残して地下都市に残された文様を目標に飛んだ。
後は、作戦の推移に合わせて同じことをするだけだ。クレアの展開した目印――それぞれの文様を目標に地上に部隊を送る。
それによって誰にも気取られることなく、まとまった数の将兵を外部に展開し、帝国の部隊を包囲することができる。
通常の軍の運用からは想定できるはずも無い用兵だ。普段からの監視も、巡回も、何の意味もなさない。ウィリアムの固有魔法、増幅器が共に健在であるという前提で備えなければ対応は不可能だ。
そして今回のような方法で手札を切ったとしても、隧道を使うダークエルフとドワーフ達の動きを、察知できなかったと思われるだけだ。
探知網も監視の目も転位の予定地点に向けられていないことを確認し、クレアは文様に色を付ける。まず1つ。地下都市に配置したクレアのゴーレムが魔法契約によって外の状況に連動して合図を送る。準備が整っていることを地下都市に戻ったウィリアムに伝えるためだ。
程無くして、最初の部隊が地上に転位してきた。ダークエルフ、ドワーフ。それにグロークス一族と獣化族の混成部隊だ。すぐさま隠蔽結界を展開して彼らはその場所に潜む。
2つ目の文様。3つ目の文様の位置にも同様に。クレアの合図に応じ、部隊が次々に展開。帝国の陣地は包囲されていく。
それでもだ。まだ帝国の部隊に対し、人数的な優位はない。ウィリアムの転移数回だけで展開できる部隊の人数には限りもある。
それを埋めるための手立ても用意している。
「では、始めましょう」
「ええ」
ディアナの手と杖に、クレアの糸が絡む。
新しい応用技術だ。糸を魔法の発動体代わりにして遠隔から魔法を発動させられるのであるならば、他者の魔法の発動体代わりになることもできるのではないか、というもの。
糸の性質を変化させてディアナの魔力波長に合わせ――それを帝国の陣に目掛けて伸ばしていく。
遠隔で使うのは幻術や消音結界だ。場所は――戦奴兵達のいる天幕。
或いは――戦奴兵達に使っている従属の輪がかつてエルザやルーファスに使われていたような、高度で複合的な命令を下せる特別品であればクレア達の立てた対策も違ったものになっただろう。
だが、戦奴兵や単なる捕虜に使われている従属の輪は数を揃えるための簡素なものだ。それでも機能としては十分だからこそ、そうしたものは実働部隊には配備されているとも言う。そうでなければ際限なくコストが膨らんでしまうし、そもそも軍の運用をする上で命令を下す上官が常に同じとは限らない。臨機応変な対応をさせるには、ある程度従属の輪にも遊びというか、余裕を持たせておく必要がある。
そこに、付け入る隙がある。
『起きろ!』
天幕の内部と外部の音を遮断するように消音結界がいくつも展開される。声と共に現れたのは、参謀や将と言った帝国の指揮官達、軍を纏めている中心人物達の幻影だ。
戦奴兵達は痛みを味わうのは御免なのか、すぐに飛び起きた。そのまま幻影に被せ、クレアの糸が振動して声を放つ。
『別命あるまで待機! これは最上位の命令になる! 自身の命を守るための避難と自衛以外において待機命令以外の命令が優先されることはない!』
そんな命令だ。戦奴兵達は不可解な命令にやや戸惑って顔を見合わせるが、帝国の理不尽な命令に何故と疑問を差し挟んでも従属の輪によって痛みが帰ってくるだけだ。その疑問を口にできる者はいなかった。
勿論、それだけでは偽の命令だとどこかのタイミングで発覚し、バルタークや参謀達などの最上位の指揮官達により、命令が上書きされてしまうだろう。
事実、消音結界が複数出現したことは帝国魔術師の探知魔法で察知されたらしく、何があったのかと動こうとしている者もいた。
だが――もう手遅れだ。そうした対応策を潰してこその対策。
命令を下した幻影達が踵を返して天幕の外に出るのと、クレアが帝国の野営地全体を、巨大な消音結界で覆うのがほぼ同時。偽情報であることを知らせての命令の上書きは、もうできない。
幻影の背を負う戦奴兵達の視界が天幕で切れる。防護の結界が戦奴兵達の天幕を覆い、幻影達も掻き消えた。
展開していた部隊にクレアが光で合図を送る。それを皮切りに、ダークエルフ達連合軍が3方向から帝国の陣目掛けて突っ込んでいく。
「行くぞ!」
「おおおおお!」
咆哮を上げて陣へ突っ込む。陣へと突入すればそこからはもう、鬨の声も進軍の具足の音も何もない。無音。静寂の襲撃だ。
だから、異常に気付いたところで、伝令や警告、悲鳴や剣戟の音すら届かない。帝国部隊の対応は後手後手となった。
帝国からすれば、地竜門が正面だったのだ。背面3方向からの朝駆けと言うことになる。しかも戦奴兵の大半は機能不全。命令を下そうにも声は届かず、結界を破って辿り着いたところで上位の指揮官でなければ命令の更新や上書きもできない。
起きている戦奴兵達は巡回や見張りぐらいのものだ。
従属の輪を付けている者は無力化を最優先にダークエルフ達も動く。つまりは土の精霊による拘束であるとか、闇精霊で顔の周りに暗黒を張り付けて行動不能に陥らせるといった手法で行動の自由を奪う。
従属の輪をつけていない帝国兵は数の暴力で蹂躙。
クレアが妖精人形を複数繰り出し、光によって先導したり、敵兵の出現を明滅によって知らせたりすることで、戦奴兵ではない者達が眠っている天幕の位置を知らせ、奇襲を受けないように潰していく。それにより、ダークエルフ、ドワーフ、グロークス一族、獣化族からなる連合部隊は帝国兵達を的確に、容赦なく潰していく。
異常に気付いた帝国の部隊指揮官が「卑怯な!」「おのれ!」などと無音のまま口の形を動かして喚いていた。しかし次の瞬間にはダークエルフ達に槍で突き倒される。それを目にしたクレアは首を横に振る。
「自分達の血を流さず、他者に命令して勝利を掴もうとしてきたのです。武人として誇りのあるまともな戦場など、待っているはずもありません」
そう言って。クレアは妖精人形を介し、光の信号で戦場全体を俯瞰しながら部隊の動きと戦況のコントロールを続けるのであった。
いつもお読み頂き、ありがとうございます!
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詳細は活動報告にも記載しておりますので、そちらも参考にして頂けたらと思います。
応援して下さっている読者の皆様にこうして当作品の書籍化のご報告ができますこと、本当に嬉しく思います! 改めてお礼申し上げます!
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