第218話 帝国を迎え撃つために
領域主イルハインを討伐したというのも驚きではあるが、天空の王が討伐したところに降りてきてクラリッサを見に来た、というのは前代未聞だ。
天空の王が自身の領域に侵入されない限り――つまりは大樹海の上空を本来飛べない者が飛ぼうとしない限りは手出しをしてこないし、地上にいる人間に興味を示したという事例も無かった。
イルハインを討伐した後の様子は、現場にいた辺境伯家の三男、ニコラスも見ていたらしいが、ニコラス達、でも黒き魔女ロナでもなく、クラリッサのみに視線を向けていたと、そう語る。
「孤狼も天空の王も、自分や自分の縄張りに手出しをされない限りは攻撃してこない。それが不可抗力であると確認できれば見逃す……。そういった理性的な部分はあります。しかし、地上にわざわざ降りてきたというのは……」
「過去に確認された事例はないのだね」
「その通りです。両者とも行動範囲の広い領域主ではありますが、少なくともイルハインの件で報復という事はなさそうですし、孤狼に至ってはクラリッサ殿下と友誼を結んでいるようにも見えますからな」
「先日も狩った魔物猪をお土産として持ってきてくれました」
クラリッサが補足するように言うと、リヴェイル達は苦笑する。
「領域主が土産とは……」
「過去の記録では領域主を崇め、捧げものを持って行った者達もいたのです」
「その結果は?」
「相手にされず、最初は警告や威嚇から入る程度であればまだ良い方で、それすら無しに追い立てられる、問答無用で殺戮されて一人だけ見逃されるといった事態も。好戦的な領域主を崇めた邪教徒が生贄を捧げようとし、生贄だけが大樹海の外に放り出された、という事もありましたな。それらを受け、辺境伯家は直接捧げものをするために現地を訪れる事を禁止する命令を発したという経緯もあります」
崇めようとするだけで呪いを返してくるような領域主もいた事から、領域主全般への信仰はかなり下火にはなっているとリチャードは語る。それでも天空の王のように目に付きやすく、理性的な一部の領域主だけは今も信仰する者が残っているという話ではあるが、それも力を持った宗教とは言い難い。細々とした土着信仰程度のものだ。
大半の者達は領域主に対しては高い知性と理性を有する長命で強大な魔物の類と認識している。
魔物への対処や距離感を誤って命を落とす者の方が多く、彼らとの戦いは日常であるのだから。それだけに領域主達はそういう枠から外れる特殊性を有しているのであるが。
「クラリッサ殿下は領域主達に対し、独自の立ち位置にある、というわけですか」
「私はそう見ていますよ」
スタークの言葉にリチャードが答える。
そもそも領域主達はその出自からして、普通の魔物が長じたものとは違うのではないかとリチャードは見ていた。
同種の仲間を持たず、特異な能力を有している個体群だ。
どこからやって来たのか長らく不明で大樹海の近くにある領地を預かる領主として色々と思索を巡らせてきたが、クレア本人にも事情を聞き、情報を整理する内に思ったことがある。
エルムのことだ。例えば、エルムと、領域主の出自が似たものであるのならば?
勿論、エルムは領域主と呼べるほど強大な力を持っているわけではない。しかし、どう見てもあれは出自も能力も、普通のアルラウネとは違う。
クレアとエルムを見ていて思った事。それは彼らを創造できる……或いは主足り得る資格を持つ者こそが運命の子なのではないか、というものだ。根拠と呼べるものがないからこの場では口にしないが。
大樹海に眠る遺跡は、失われた古代の魔法文明の力。それを垣間見る機会も多いリチャードとしては、予言や伝承のような不確かなものも、軽んじる事はできない。ましてや、様々なものがそれらを示唆しているのだ。
だからクラリッサ――クレアに力を貸そうと思っているのは大樹海に接する土地を守る領主としての勘だった。
リヴェイル達はエルムに関することまでは知らないが、帝国の動きについてはリチャードから報告書を渡されている。
永劫の都とクラリッサ王女の間に何かしらの繋がりがあると帝国が考えているのか。実際にリチャードが報告している事を裏付けるように動いていることも、情報として理解していた。そうした事実だけを前提にして考えても軽視はできない。
「……話を本題に戻そう。同盟を結んだとして、我が国に何を求めるのかな?」
リヴェイルが尋ねると、ルーファスが応じる。
「救出した者達の帰還のための作戦準備とその実行に関する支援や後ろ盾。それから帝国に対抗するための備えの承認、という事になるかな」
「私達は、帝国を大樹海で押し留め、彼らの計画を挫く事を目標にしています」
「国の奪還や兵や物資の支援は求めない、と?」
ルーファスとクラリッサの言葉に、スタークが少し意外そうに言った。
「勿論、最終的には目指したいところではあるが……現時点では届かないと考えている。私達のために兵力を求めるとなれば、それは国力の差から言ってロシュタッド王国に力を借りてしまうところの方が大きい」
「大樹海を打通されれば王国への脅威となります。そう分かってはいても他者の旗の下で血を流すというのは、納得しにくいものがあるかと。私達の都合で戦いに巻き込むというのは道理が通らないでしょう」
「アルヴィレト王国の独自戦力がどれほどのものかは分かりませんが……それで帝国の侵攻に抗しうると?」
スタークは懐疑的な目を向けるが、クラリッサは静かに答えた。
「戦場が大樹海であれば」
クラリッサは防衛のために考えている策を伝えていく。
竜討伐で見せたような幻術を混ぜた上での広域での攪乱。それから軍を維持するための補給線の破壊。その上で従属の輪の解除による帝国の戦奴を前提とした戦略の破綻を狙う。その手段をいくつかクラリッサはリヴェイル達の許可を受け、バルコニーに出てそこから庭木で実演して見せる。クラリッサの伸ばした極細の糸で操作された庭木がリヴェイル達に挨拶をするように一礼して見せた。
「木々の操作による武器化、兵士化と幻術による攪乱です。私の場合は術の届く一帯での効果ですが、私の従魔であるエルムの場合はもっと広域の木々を自律行動させる事が可能となります」
「大樹海で戦う限り、戦場そのものが敵になるということか……」
そんな戦法で攪乱されながら大樹海の魔物も相手にして大樹海を突破するというのは、確かに困難を極めるだろう。
「従属の輪を外すことができる、というのは……」
「遠隔から可能です。野営地等に夜間工作を仕掛ければ、兵として差し向けてきた戦奴をそのまま離反させることができるかと。必要でしたら、こちらも解錠の実演をしますが」
「いや、それには及ばない。救出された者達が従属の輪を身に付けていないことがその根拠になるのだろう」
リヴェイルが答えると、アストリッド達が揃って頷く。
ともあれ、これらがロシュタッド王国の兵力を帝国に対抗するための手札として求めていない理由だ。
それでも一軍を相手にするためには人手や後方支援も必要だろうが、それは自身の手勢だけで事足りると見積もっているわけだ。
ただ――そのために求めているのはアルヴィレトの手勢をある程度自分達の裁量で自由にしたいという事で……。
「つまり、必要なのは一軍を動かすための裁量という事でしょうか」
シェリル王女が問う。小規模ではあるが軍権だ。それを――どう判断するのか。リヴェイル達がリチャードに目を向けると静かに頷く。
「懸念される事は分かります。対外的には傭兵団とし、私もお目付け役としてルシアーナとニコラス、それに一部隊を派遣し、監査と協力をと考えておりますよ。流石に他国の一軍を国内で動かそうと思うのであれば、私の一存だけではなく、陛下の御裁可も伺いたいところですからな」
「なるほど……」
「勿論、同盟を結ぶとなれば、こちらからもきちんと利を提示しなければならないと理解しています」
利となるのは魔法技術の提供だ。クラリッサは準備してきたものをテーブルの上に置いて説明を始めるのであった。




