第206話 遺産
「いなくなっただと……?」
帝国の宮殿。その一角にある会議室にて。
エルンストは椅子に腰かけ、肘掛けに頬杖を突きながら報告書に目を通していたが、その視線を文官に向ける。
「は……はい。監獄島にいた者……人質達も看守達も、の、残らず行方不明に……。ネ、ネストール様を含め、塔の看守達数名の方々が亡くなっているのが発見されました。ですが、残りの者達は行方が分からず……し、資料の類も持ち去られているようです」
文官は青い顔で震えながらエルンストに答える。
報告書には前日――いや、到着して異常を確認するに至るまで監獄島は非常事態を知らせてこなかった、とある。当然上陸した兵士や交代要員は灯台にも確認にいったが、そこは無人になっていた。
争った形跡はあちこちに残っている。特に塔の訓練場は激しい戦闘があったことを伺わせる戦いの痕跡が壁や床等に亀裂や罅、黒く焦げた痕として刻まれていた。
但し、訓練場以外の戦闘の痕跡は極端なほどに少ない。抵抗できなかったか、或いは戦いと呼べない程に一方的な実力差があったか。
いずれにしても何者かの襲撃があったというところまでは間違いない。他の看守達にはろくな抵抗をさせず、訓練場という懐に踏み込むまで塔の者達にも外部にも察知させず、ネストールを含めた精鋭を退ける程の何者か。
死体の残っていない者達全員の失踪。資料の類の消失。どうやって侵入し、どうやって脱出したのか。灯台が無人のまま平常通りの動きをしていた理由は。そうした物は行先不明。方法不明であり、目下調査中だった。
「ヴェ……ヴェルガ監獄島が……」
狼狽した声を漏らしているのは側近の一人だ。人質達が残らずいなくなったと知られれば、それが帝国に与える影響は大きなものになるだろう。あちこちに火種を抱えながらも人質と従属の輪で均衡を維持しているのだ。
内部資料ごと行方不明になった、というのもいかにも拙い。帝国は監獄島の実態や存在を公にしていない。
ある程度支配が覆せなくなったところで連れ去った者は離れたところで不自由なく暮らさせている。場合によっては帝国の貴族や騎士爵との縁談もあるといった具合に懐柔の策も講じているし、頻度は低いまでも手紙ぐらいは届ける事を許可しているが、その内容も確認した上でのものだ。
そこで実態を示す内部資料が紛失したというのは……。
エルンストは気性が激しく、無能を嫌う事で知られる皇帝である。この時も叱責や処罰も当然有り得るものと、側近は身を竦めていたが――。
「ルーファスの情報を王国に流した途端にこれか。予想以上だな」
エルンストの反応は……喜悦だった。
「外部に異常を知らせる事が出来なかったという事を考えれば、定期船が行き来する間の出来事であろう。数日前より更に活性化したという水晶柱の報告とも無関係ではないだろうな」
その表情は喜びを隠し切れないといったようなものだ。牙を剝くように笑うその姿は、エルンストを昔から知る側近達から見れば戦地にでも赴く前に見せるもののようで。
「へ、陛下。これは由々しき事態なのでは……!?」
「そ、そうです。隠すにしてもいずれは国内の諸民族共から不審に思われますし、その前に証拠を暴露されるやも知れません……!」
「そうだな。このままいけばそうなるだろう。だがな」
浮足立つ一部の側近に対し、エルンストは好戦的な笑みを顔に張り付けたままで、左手の小手に触れる。
「時間的な猶予がないのは元々の事だ。この様子であれば、火種が芽吹くそれより前に事態は動くであろうよ。その時に余らが立っていればいい。諸民族の反乱等、些末な事だ」
そして、ロシュタッド王国に情報を流した途端にこれだ。
「どうやって監獄島に潜入し、どうやって連れ去ったのか。手口こそ不明ではあるが、水晶柱の活性化の時期を考えるならば、鍵が王国に潜伏していてそれを知って動いたという可能性が高い」
エルンストは視線を第三皇子トラヴィスへと移す。
「あれはもう実用段階なのか?」
「実験では成功していますよ。色々いじってみましたが、一度使うと焼き切れて壊れてしまう点は根本的に改善できないので、効率も歩溜まりも悪いのですがね」
そう言ってトラヴィスは肩を竦める。
「問題はない。必要な時に必要な数だけ揃えてあれば実用もできるだろう。監獄島の事は一先ず伏せて時間を稼ぎ、計画をそのまま進める事とする」
「し、しかしそれは……」
側近の一人が口ごもる。
計画が失敗した場合に帝国が負うダメージを無視したものなのではないか。
エルンストに対し、そう口にする事は憚られた。
監獄島の事が発覚した場合に備え、国内、国境付近の反乱や反攻の火種に対抗すべく兵を再編し、物資を再分配する。
確かに、そうなれば計画の遂行どころではない。計画を延期し、やり直すにしても再び始動させるにはどれほどの時間が必要となるのか。
皇帝の言う通り、時間的な猶予がそれほどないとするのなら、やり直しを考えて出遅れてしまうよりは急場を凌ぎつつ前に進むという手も確かにある。
「鍵がロシュタッド王国に潜んでいるとするのなら、計画の進行と共に見える事になるでしょう」
側近――クレールが言うとエルンストは目を細める。
「必ずや、我らは永劫の都に至る。遺産を引き継ぐのは余だ。鍵の娘などではない」
「――従属の輪はこれで全員解除ですね」
辺境伯に割り当てられた城の貴賓室に戻って来たクレアは大きく息を吐きながら言った。クレア達は人質になっていた者達が付けられていた従属の輪を、数日かけて順次解除していった。
基本的には従属の輪を外さない事を望まない者はいなかった。その必要がまだあると判断されている者達だから輪をつけられていたのだ。偽物を付けて帰還し、仲間達の解放を行うのは彼らの望むところであった。
「残りは輪を付けていなかった者達、それから内通者4人と看守達か」
「輪を付けていない方々には説明をしましたし……その方々と看守達については辺境伯が交渉も進めて下さるとの事ですわ。基本的には私達の方針に合わせて下さるとのことですわね」
クレア達の方針というのは帰還や解放を前提とし、秘密を厳守するための魔法契約を交わす事だ。グライフとセレーナの言葉に、ニコラス達も頷く。
「僕達も父上や兄上から話を聞いてきたけれど、失踪している事になっているなら帰らずにこっちで対帝国に協力したいって言ってる人も多いみたいだね」
「輪を付けていない人は、もう帝国の勢力圏に組み込まれてしまっているという事だものね。帝国に帰還しても身を隠すのは大変でしょうし。何よりクレアに恩義を感じているみたいだわ」
捕虜となった看守達が何を望んでいるかは分からないが、元々彼らは帝国の者達だ。交渉して納得するかどうかは分からないが、時間も必要となるだろう。
そうなると、後は内通者だ。彼らについては望んで従っているのか、それともやむなく内通していたのかで対応も大きく変わる。イザベラと共に事情を聞く必要があるが、その際は偽装魔法等でその正体が発覚しないようにクレア達も共に行って話を聞く必要があるだろう。
内通者については現状、白とも黒とも言えない状況と言えた。
「まずは作戦を考える必要があるだろうね」
ルーファスが笑顔でそう言って、クレア達も頷くと内通者達とどう話をしていくのか、その手順等を考えていくのであった。




