第197話 郷愁と安堵を
「勿論、あなたにも危害を加えるつもりはありません。あなたも、アルヴィレトの方――いえ。それに答える事自体に従属の輪が発動する危険性がありますね。まずはその輪を外してしまいましょう」
クレアは言うと、その人物は目を驚きに呆けていた。従属の輪を外すための方法も伝えると、少し驚きはしたようであったが、静かに目を閉じてクレアの次の動きを待つ。
同意が取れたと理解したクレアは早速従属の輪を外す術を執り行っていく。
そうやって従属の輪が外れたところで、クレアは小さく息を吐いた。痛みはあるが、それだけだ。
「……ああ。このような事が」
異物が無くなった首に手をやって、目に涙を浮かべる。その光景をクレア達も少し微笑んで見やった。
「間違いなく従属の輪をつけられていて、それを外すことを望んでいたのなら、その方は信用できる。知っている人物だ」
グライフが言って覆面を外す。
「も、もしや……グライフ様……?」
何度か目を瞬かせた後で、そう言った。髪と瞳の色を偽装魔法や染料で変化させているにも関わらず、グライフの事を言い当てた形だ。
「ご無沙汰しております、パーサ殿。救出にあたって、少し髪と瞳の色を変えております」
グライフが言うと、パーサは暫くの間固まっていたが、やがて少し笑って頷いた。
「そう、でしたか。では、改めまして。私はパーサ……と申します。貴女のお察しの通り、アルヴィレト王国の民でルーファス様の乳母として仕えておりました。その……扉の鍵を下の階に隠してきてしまったので、取りに行きたいのですが」
「大丈夫。鍵も開けられるよ」
ニコラスが言って、固有魔法によって鉄格子の鍵を開ける。
「おお……」
「では、参りましょう」
クレア達は頷き合い、そして扉を開ける。
この部屋だけ改めて独立した結界も張られており、かなり厳重である事が窺える。監獄の独房とは言うが、内装はそれなりに整えられたものだ。
そして――そこにその人物がいた。
ルーファス=アルヴィレトだ。
静かに椅子の上に腰かけ、クレア達を待っていた。端正な顔立ちだ。
髪の色は偽装を解いた時のクレアと似ているとセレーナ達は感じた。ただ、髪に白髪が混じって少し頬もこけており、あまり健康そうではない。それでも瞳には力があり、そこにはしっかりとした意志が宿っていた。
クレアは少しの間、ルーファスを見ていた。
感じる魔力。佇まい。はっきりとした記憶にはないが、きっとおぼろげでも憶えているものはあるのだろう。クレアはどこか、懐かしさのようなものを感じた。
ルーファスもまた、覆面越しでもクレアに何か感じるところがあったのか、じっとその顔を見て、少しだけ驚きの表情を見せる。それもそうだろう。偽装を施していても妻であるシルヴィアに、どこか似ているのだから。
「あの方は従属の輪の制限により、許可のない人物との受け答え自体を禁じられています。一切の情報を与えないようにと」
「……では、まずは従属の輪を外してしまいましょう」
パーサの言葉にクレアはそう応じて、従属の輪の外し方を説明する。ルーファスは座ったまま静かに目を閉じていた。
了承と受け取り、クレアは従属の輪に手を翳す。ルーファスに対する枷は特別なのか、クレアが術を発動しても中々解けない。
セレーナには周囲の面々とは違う光景が見えている。だが、術の途中で助ける事もできない。眉根を寄せて、クレアを心配するように歯噛みする。
クレアの全身余すところなく茨が絡んでいるような光景。それでも――揺るがない。強い魔力と輝きと共に、クレアの展開している偽装の魔法が解けた、その次の瞬間、従属の輪が砕けてその茨も消え去る。
「はぁ……」
クレアの身体が揺らぐも、グライフとセレーナが倒れないように寄り添い、その腕を支える。
「ありがとうございます。大丈夫です」
クレアは小さく笑って応じ、覆面を取って顔を見せる。
偽装魔法も解けているということもあって、アストリッドやパーサはその容姿に驚いたようだった。ルーファスは――予想していたという事もあってか優しげな微笑みを見せるというものだったが。
「っと……今なら、魔法が使えるか。王都での戦いで手傷を負ってしまってね」
ルーファスは傍らにあった杖を手に取る。杖は身体を支えるためのもので、別に魔法の発動体というわけではないようだ。自身に魔法をかけて立ち上がり、床から少しだけ浮遊するとクレアのすぐ近くまでやってくる。見れば座っていたのも車椅子で……パーサが身の回りの世話を任されているのは、こうしたルーファスの負傷が原因という事なのだろう。
ルーファスはクレアの近くまでくると互いに見つめ合い、それから名を名乗る。
「ルーファス=アルヴィレトだ」
「クラリッサ=アルヴィレト、です。育ての親にはクレアと名付けられて、今はそう名乗っています」
クレアが名乗るとルーファスは膝をつき、クレアを抱き寄せる。
「そう、そうか。生きて……生きていてくれて……良かった。守れずに、済まなかった」
再会した喜びと。何もできなかった後悔と。そう言ったものがない交ぜになっているのだろう。少し声が上擦り、クレアを抱きしめる手が小さく震えているのが伝わってくる。
「いいえ。お父さんが私達を逃がしてくれたから……こうやって、自由に、優しい人達のところで……生きてこられたんだと、そう、思います……。生きていてくれて……会えて……嬉しいです」
不思議だ、とクレアは思う。その頃の事を憶えていない自分にとっては初めて会うのに等しくて。両親と不仲であった前世の記憶だってある自分が、果たして再会できた時に両親だと思えるのかと危惧していたところがあった。落胆させてしまわないだろうかと、不安だった。
けれど、懐かしさや温かさを感じる魔力で。
自分はこの人を知っているし、こうやって抱きしめられた事があるのだと、そう自然に受け止める事ができた。
普段は感情が殆ど表情に出ないクレアではあるが、ルーファスの胸に顔を埋めながらも目に涙が浮かぶ。
「優しい人達……。育ての親の事かい?」
「はい。大樹海の魔女……ロナおばあちゃんや、友達の……セレーナさん達の事です。ロナは、私の……魔法の師匠でもあります」
「ああ……。良い人のところで暮らしていたんだね」
「はい――」
穏やかに目を細めるルーファスに、クレアはしっかりと伝わるように頷いた。
抱きしめ合っていたクレアとルーファスであるが、やがてそっと離れる。ルーファスは足を悪くしているのか、立ち上がるのに難儀しているようではあったが、クレアと共に、
涙で目を濡らしていたパーサ、それからグライフが手を貸して車椅子へと戻った。
「君は……グライフだね。立派になったものだ」
「はっ。陛下にこうして拝謁できる事、嬉しく存じます」
グライフが答え、他の面々も名を名乗る。それからクレアは、これからの方針を伝える。
「下階にいる塔の看守達は制圧しました。私達はこれから、監獄島に囚われている人質の方々を、残らず救出しようと思います」
脱走であれば。一族に係累が及ぶ事もあるだろう。
だが、人質、看守も含めて、監獄島にいる者達が1人残らずいなくなった場合は?
その場合、帝国は失踪の調査を行いながらも人質がいなくなったことの隠蔽や箝口令に動くと予想された。帝国とて支配した者達に残らず従属の輪を使っているというわけではないのだ。
支配領域が広いが故に、人質達がいなくなったと広まってしまえば反乱の火種も燻る。全てに対応するには人手も時間もかかる。
一度信頼性が大きく損なわれた監獄の代替を見繕うために追われる事にもなるだろう。
勿論、帝国に帰還を望む者に応える事は考えている。但し、救出の方法、移送の方法はウィリアムの固有魔法となるために一時的に眠らせる等して、情報を一切与えないようにするつもりだった。いずれにしても知り得たことを秘密にするという魔法契約は交わしてもらうことになるし、その後、それぞれの民族に応じた対応を考える必要もあるだろう。
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活動報告にて詳細を乗せておりますので、参考になれば幸いです!
引き続きウェブでの更新、書き下ろしSS等頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。ではでは。




