第192話 魔術師殺し
監獄塔の訓練所に、絶え間なく剣戟の音が響く。
アストリッドが不意打ちで二人を戦闘不能に追い込みはしたものの、未だ頭数としては看守達の方が優位。
それでもクレア達が魔法を主体にせずに看守達に抗していられるのは、ネストールをグライフが押し留めていることと、エルムの存在が大きい。
後衛に位置したところから、相当な速度で棘の生えた蔦を振るう。死角や反応しにくい角度、受けにくい方向から他者の攻防に合わせて蔦が飛来するために、看守達も迂闊には踏み込めない。仲間達の隙を埋めるように蔦を弾き、切り払うが、蔦自体があっという間に再生する。
「あのアルラウネ……厄介だな……!」
「特殊個体か……!」
看守達も言って剣に炎を纏わせて蔦を払うが、エルムは燃え上がった箇所を即座に自切する。切り離せばそれで終わり、というわけではない。燃え尽きるまでの間に絡みつこうとする。
「ちぃっ!」
舌打ちし、飛び退る。隙を補うように別の看守から水の弾丸が放たれ、のたうつ炎の蔦を吹き飛ばす。
蔦を斬られ、燃やされてもエルムはどこ吹く風だ。それもそのはずで、自身から蔦を伸ばしているように見せているが、その実大樹海で確保した蔦植物に接ぎ木をし、急激に成長、再生させて、硬化や操作をしているだけなのだ。
だから、斬られてもエルム本体とは異なるために痛みなどがない上に手足の延長のように扱える。
そんなエルムの動きに合わせ、セレーナ達は剣を振るい、隙を見て魔法を放つことで看守達の攻撃を凌ぐ。
そう。あくまでも綱渡り。防戦一方で凌いでいる形だ。ネストールの固有魔法の正体がわからず、魔法を頼りにできない状況では勝負に出ることができない。
ルシアやウィリアム、イライザが刺突や斬撃に混ぜて時折魔法を放ちはしたが、ネストールはグライフと剣を交えながらもそうしたクレア達の放つ魔法発動に合わせ、黒色の波のようなものを放つ。
その波自体に黒い斬撃波のような殺傷力はないが、広範囲で魔法弾に干渉して減衰、或いは術式自体を破綻させて発動自体を無効化してしまう。
効力を発揮するはずのものが効力を及ぼさない。魔力だけを無駄に消費し、魔法を放った分だけ隙が生まれてしまう。だというのに看守達の魔法行使にはネストールが呼吸を合わせ、妨害にならないように動く。普段の戦い方ができないということもあって、どうしても守勢に回ってしまう。
接ぎ木でネストールに妨害されずに木々を動かせるエルムや、その膂力と巨体で警戒されるアストリッド。そして各々の日頃の研鑽があればこそ、耐えることができている。
それでも――いつまでももたない。均衡が崩れれば一気に押し切られると、皆分かっていた。
魔術師殺し。その異名が意味するところはこれだ。
拡散する黒い波に魔法の防殻を瞬時に突破するほどの干渉力はないようだが、だからといってネストールがその力の使い方を集中させた場合はその限りではないし、複雑な術であればあるほど効果は高いだろう。
攻防において魔法を頼りにする作戦を立てればそれは破綻してしまう。塔の看守達も当然それは分かっていて、ネストールの動き、性質に合わせる訓練をしている。ネストールが減衰させた後に魔法を放ち、切り込んでくるのだ。
だが、ネストールが魔法を破綻させる。減衰させるという事が分かっていても、その正体が不明だ。そこを読み違えると対処を誤る可能性があり、それは致命的な結果を招きかねない。
だから、クレアも仲間達の援護をするように後衛から鞭を振るいながらも、ネストールの観察や分かっている情報からの考察を続けている。
まず、ネストールの固有魔法は、恐らく敵味方関係がない。そう見せかけているだけで選択的な使い方ができる可能性はゼロとは言わないが、それができるのならこちらに分析の時間を与えずに魔法による攻防を不可能な状態にし、一気に押し潰してしまえばいい。
だから黒い波に触れれば看守達の魔法とて干渉を受ける。そういう無差別な性質を持つ術なのだろう。
そして、通常の理を無視し、成立した術を破綻させる。
セレーナの目でもその魔法が何をしているのか、うまく見通せはしなかった。探知や分析の魔法も上手く機能しない。違う種類の結界を同時に破綻させた。ただ――観測された現象、観測できなかった事実そのもの。それら全てがネストールの術の正体に繋がっているものとクレアは考える。
――もう少しだけ情報がいる。
クレアはそう判断すると気付かれないよう糸の魔法を用いた。尖った石に炎を纏わせ、糸魔法によるスリングの要領でグライフとの剣戟を繰り広げるネストールに向けて撃ち放つ。
飛来する燃える礫に、ネストールは攻防の動作に一致させるような動きで黒い波を浴びせた。
それで炎の術は破綻。一瞬で掻き消える。が――飛来する礫の勢い、形状には変化がない。黒い波の守りを突破した礫をネストールは斧槍を風車のように回転させて打ち落とし、そのままそこからグライフに黒い斬撃波を放つ。
対応しての動きではあるが、グライフにとっては掻い潜って懐に飛び込むだけの隙のある技だった。双剣の斬撃を避けながら、床を踏みつける。そこを基点に黒い棘が訓練所の床からグライフに向かって飛び出した。
跳び退って避けたかと思えば、グライフは滑るような歩法で前へ。緩やかな動きからいきなり速度を上げて再び斬撃を斧槍に叩きつける。互いに斬り返し、弾き、逸らし、幾重にも金属音が鳴り響き、黒い斬撃と槍が放たれる。
そんな攻防も、クレアは分析を続けている。思考を回し、観察する。
魔法によって物理的な飛び道具を放った、先程の礫は有効だった。黒い斬撃は殺傷力を有するが、本質はあくまで魔法、魔力に干渉するもの。
諸々の情報を繋ぎ合わせ、クレアは仮説を立て、口を開く。
「恐らく……あなたの固有魔法は、魔力そのものを凍らせる、というものですね」
クレアの言葉にネストールは牙を剝くように笑って黒い斬撃波を放つことで返答した。クレアは半身になってそれを回避する。
ネストールは否定も肯定もしない。正しいのであれ間違っているのであれ、敵に情報を与える意味はないのだから。
だが、クレアは構わず言葉を続ける。
「魔力の動きそのものを阻害するから魔法も結界も探知も意味を成さない。戦いになっているのは私の仲間が魔力による身体強化ではなく、純粋な技量を主体にしているからでしょう。そして、あなたの黒い棘や飛来する斬撃も――本質的は同じ。魔力を固有魔法で固め、刃や棘にしているだけです」
用が終わればそれら放った黒刃は単なる魔力として散る。ネストールが制御を止めているからだ。
「では――魔法が効かない……? 今の話は本当ですか?」
イライザが信じられないといった苦笑で疑問を口にする。
「くく。当たっていると思うのならば、それに賭けてみるか?」
包囲を狭めながら看守達が笑う。しかし、それは悪手だった。イライザの固有魔法はネストールには届かない。だが、看守達になら通じる。
「私の推測ではありますよ。魔法を行使する事自体へのカウンターではない、と考えます」
「確信がないとしても、それが打倒の糸口になるかも知れませんね……」
クレアが言うと、イライザが不安げに応じる。
それはクレアの推測が間違っていない、という意味を持つ。
読心の上で違っているのなら「それには賭けられない」とイライザは素知らぬ振りで口にするだけだ。あくまで、確信を持っていない風を装っているだけである。その意図は――クレア達全員に伝わり、次の瞬間からクレア達の動きが変化する。
「行くよ――」
姉やエルムと共に牽制と防御に徹していたニコラスが看守に向かって剣を大きく引いた構えを取る。何かの気配を察したのか、相対する看守も身構える、が――。
次の刹那、ニコラスの身体が矢弾のような速度で突っ込んできていた。腕も足も動かしていない。そのままの姿勢であるにも関わらずの高速移動は、靴や剣に仕込まれた鉄を磁力で操作することで可能となる。装備品がそれを身に付けるニコラスの身体を引っ張る形だ。
「これは……!」
見慣れない動き。しかし看守も反応はした。
それでも直前の変化にまでは対応しきれない。直線、最短距離を突っ込んできたのが、接触する寸前、逸れるように動いて剣をやり過ごし、すれ違いざまに脇腹を切り裂いていく。完全に虚を突かれた形。
「ぐあっ!」
それを見逃すクレア達でもない。別の看守がニコラスの動きを目で追った瞬間に、セレーナの魔力刺突が信じられないような間合いから飛来してその肩口を貫いていた。
ネストールの固有魔法は魔法自体を都度無効化はする。だが、魔法行使そのものへのカウンターではなく、魔法によって勢いのついた物体まで無効化できるわけではない。
ネストールの援護は確かに強烈な魔法への妨害になるし、予想もしていない距離や角度からの斬撃や刺突を繰り出すことができる。個人の武芸も卓越している。だが。
全員が魔法も交えながらの乱戦になった場合に、戦いながら的確に味方だけに有効に働くよう援護し切れるものだろうか。
それがクレアの見立てで、立てた作戦だ。
あちらと思えばこちら。ニコラスが魔力を集中させた瞬間にネストールが波を放つ仕草を見せた瞬間、ルシアが槍に暴風を纏って叩きつけて看守を大きく吹き飛ばす。
「こ、こいつら……!?」
「ほう――」
その動きに看守は目を剝き、ネストールは小さく呟く。
切り込んでくるグライフの一撃に対し、身体を逸らして躱すと目の前のグライフにではなく、後方にいるクレアに向かって斧槍からの斬撃波を放とうとした。瞬間、グライフが動いてネストールの斧槍の軌道を逸らす。
そのままグライフと切り結ぶ。切り結びながら、言う。
「庇ったな」
薄く笑うネストール。答えず、表情を動かさないグライフの動きを見ながらも、言葉を続ける。
「恐らく、あの娘こそが貴様らの司令塔であろう。どうやって全体を見ているのかは分からんが、全体の動き、互いの位置から支援し切れぬと見立てた瞬間に、仲間達に魔法を行使する合図を送っていると見た」
ネストールの固有魔法は確かに魔法に対して強い。しかし万能ではない。
凝縮させれば鎧や棘のように硬化させることもできるし剣も魔法も防ぐ事ができるが、その場合の射程距離は相応に短くなる。拡散させれば効果範囲は広がるが威力は落ちるし、作用させたい範囲に到達させるまでのタイムラグもある。放たれてしまえば対象は無差別というのもあるだろう。
それを見切って離れた位置から看守達だけが優位になるような支援ができるネストールは卓越した技量と蓄積した経験を持っている。
だが、あの娘の場合は何か毛色が違う。
把握できない別の方法で全体を俯瞰して感知しているかのような手段を持っているのだろうとネストールは推測した。
それは正しい。網目のように、薄く広く。クレアの微細な糸は床材の隙間に沿って広がり、仲間達に接続している。糸を切られても別の経路を用い、或いは繋ぎ直し、仲間達に魔法を行使する瞬間を合図として送ることができるのだ。だから、それぞれが目の前の戦いに集中しながら好機を見逃さない。
だが、そのネストールの言葉を受けて、看守達の動き――というよりも意識が変わる。最も警戒すべき相手。最優先で倒すべき相手は誰なのかを理解したのだ。負担が重くなれば、傾いた天秤もまた動くだろう。
クレアに視線を送る看守達に、全員の緊迫感が増した。更に言葉は続く。
「――他の者は良いがあの娘は殺すな。だが決して油断もするな。恐らく、こちらの情報を元々持っていた上に相当手強いぞ」
ネストールが言う。恐らく、ルーファスを救出しにきた者達。
顔を隠しているが探している年頃の娘だというのならば。皇帝の策により「当たり」を引いた可能性がある。魔法を最初は頼らず探りを入れていたとするなら、魔術師殺しの異名を警戒していたのだろうし、当人も何かしらの固有魔法も保有しているのだろうとネストールは判断したのだ。




