第191話 監獄塔の戦い
ネストールが床に斧槍の石突を叩きつけた瞬間に衝撃が輪となって広がっていた。下方にもそれが伝わったのか、階下も騒がしくなる。
クレアもそれを座視してはいない。救出作戦が発覚した場合の事前の仕込み――備えを発動させると同時に状況に合わせ、簡単な作戦を皆に伝える。魔法糸が接続されており小声でも全員に正確に伝わる。
監獄島の建物や敷地のあちこちに仕込んだ閉鎖用の結界、消音や隠蔽の結界線を繋いで発動させることで、看守達を分断し、発覚や対応を可能な限り遅らせる。
灯台もまた隠蔽結界を発動させており、異常事態を察知して非常用の烽火を灯したところで外にそれは伝わらない。
現状ならば、塔の看守達と戦う上では外から邪魔も入らないだろう。塔の入り口もまた、分断されているからだ。その場合の作戦としては塔を制圧し、ルーファスを救出した後に続けて行う事になる。
ただ――ネストールが先程のような手であちこちに張られている結界を破りに行った場合は話も変わってくる。だから、ネストールを背後へと突破させるわけにはいかない。
しかし、ネストールは突破等最初から考えてはいなかった。斧槍を大きく引くと、クレア達の潜んでいる天井付近目掛けて無造作に振るう。
黒い三日月のような斬撃波とでも言うべきものが糸繭に向かって放たれていた。撤退させないようにクレア達が階段に逃げる方向の空間ごと薙ぐような斬撃。
それが放たれた瞬間、クレアは小人化の呪いを解除しながらも糸をゴムのように変化させ、仲間達を弾くようにして訓練場の中に飛び出させていた。
元の大きさに戻ったクレア達が訓練場の中に降り立つ。
クレアの言葉に応じ、糸繭が解けると同時にクレア達が飛び出す。訓練場の中心部に降り立ち、眼前のネストールと階下から上がってくるであろう塔の看守、それぞれに備える。
「また……随分な数が潜んでいたものだ。しかも巨人の娘まで脱獄させた、か。どうやったかは知らぬが、ここまで忍び込んでくるだけの事はある、が」
クレア達を睥睨しながら言ったネストール。迷うことなく突っ込んだのはグライフだ。自分が前に出る。そう宣言していた通りに。
迎撃すべくネストールが斧槍を振るい、グライフの身体がぶれるようにして歩法で速度を変えながら切り込む。即座に対応したネストールが斧槍を以って斬撃を受け、吹き飛ばすように払う。飛び退るグライフの着地地点を狙い撃つように。
斧槍が下から上へと振り上げられると、地を這う斬撃波の跡に、床から無数の黒い棘のようなものが乱立する。横に身をかわすグライフにネストールが凄まじい速さで切り込むも、ルシアがその空間を埋めるように暴風の塊を放つ。
「邪魔だ」
ネストールの空いた手が裏拳の形で軽く振るわれた。
「これは――!」
ルシアの驚愕の声。放たれた魔力によってルシアの放った術は霧散していた。暴風弾はネストールの動きの阻害に繋がらない。グライフ目掛けて大上段からの斬撃が降り降ろされていた。
避けている。逆に懐に飛び込みながらすれ違いざまの斬撃を繰り出すも、こちらもネストールを斬ってはいない。黒い障壁のようなものを上から薙いだだけだ。
ゆらゆらと揺れながらグライフが後ろに下がって、クレア達には切り込めないような位置で構える。
ネストールの固有魔法。その正体は不明。ただその戦い方は研鑽された魔法戦士のそれだ。魔力を乗せた斬撃波や乱立する錐のような形状に変化させての攻撃。斬撃と体術。
魔術師殺しの異名を持つが、純粋な武芸の技量も相当なものである事が窺える。
「くく……興味深い体術だな」
グライフの動きを面白がっているのか、間合いを保ったまま楽しそうに笑うネストール。その時だ。武装を整えた塔の看守達が登ってくる。クレア達を包囲するように左右に広がって退路を塞ぐ。背中から斬り込まれないように、クレア達も身構えた。
その武器や防具を見て、仮面の下にあるニコラスの表情が少し険しいものになる。
一般棟の看守達と違い、鉄の装備ではない。全員が魔法銀を使った装備だ。磁力による直接の制圧とはいかないだろう。
「遅参面目なく」
「申し開きもできません」
「塔の入り口に敵の強固な結界が張られており、分断されているようです。解除を試みましたが、かなり高度な術式で、我々では解除には相当時間がかかってしまいます」
「それほどか。私もそこの双剣使いと少し剣を交えたが相当楽しめそうだ。仲間達が同程度と仮定するのであれば、一般棟の看守達等、数を揃えたところで物の役に立たぬであろう。であればこそ……この者らは我らの手で制圧し、それを以って侵入を許したことへの雪辱とする」
「はっ」
「久しぶりの狩りだ。楽しむとしよう」
看守達は左右に広がり、クレア達を包囲する。ネストール達の出方に注目しながらもクレア達はアストリッドを中心に円状に構えていた。
様子を見ていた事には理由がある。
看守達の方針――特にネストールの動きが重要だったからだ。
クレアの多重結界を同時に解除した事を考えると、ネストールを牽制せずに自由にさせた場合、分断した結界も同様の結果になる可能性がある。
そして、恐らくはそれがネストールの固有魔法だろうと思われる。正体不明の魔力。先程の攻撃。観察する時間。思考する時間が必要だった。
一方で、看守達もまたすぐに攻撃を仕掛けるでもなく、クレア達を観察していた。
例えば――守られているアストリッド。どうやって自分達に気付かれず脱獄させて上まで連れてきたのかは不明だが、従属の輪はついている。
だから、看守達の一人――昼間、女看守と共に地下牢に降りてきていた者が薄く笑って言う。
「アストリッド。貴様に命令する。我らに協力し、侵入者共を捕まえろ」
「それ、は、嫌……」
アストリッドが苦しそうな表情をしながら首を横に振って膝をつく。それを見て取った次の瞬間、看守達が突っかけてくる。
呼吸を合わせるようにネストールも凄まじい速さで踏み込んできた。グライフがネストールの前に。セレーナ達もアストリッドを守るように前に出て、訓練場にいくつもの剣戟の音が重なる。
階下から突っかけてきた看守達に対し――クレア達は武器による近接戦闘で応じた。魔法主体による迎撃を避けたのは、ネストールの魔術師殺しという二つ名を警戒したためだ。
実際に多重結界を破壊されていることを考えると、少なくともその正体が掴めるまでは慎重に動き、自分達の手札を隠す必要があった。
「ルシア様の放った魔法の消え方がおかしかったですわ! 相殺されたわけではなく、術自体が破綻したような印象です……! ですが、魔力が真っ黒でうまく感知することが……!」
剣を交えながら、セレーナが先程見たものを伝える。数で劣るクレア達が包囲されて尚看守達を抑えられているのは、エルムがいるからだ。蔦の触腕を伸ばし、複数の看守相手に猛烈な速度で叩き込む。
「アルラウネの従魔とはな……!」
「くく、だがな――!」
「くっ!」
看守達はエルムの蔦と痛みに顔をしかめて動けずにいるアストリッドを狙うように突っ込んでくる。人質であるアストリッドを殺すつもりは看守達にはないが、クレア達が守ろうとしているのならば確保してしまうことに意味はある。文字通り、人質として機能するだろうという判断だ。
少人数のクレア達は看守達を抑えきれない。看守が二人、守りを突破してうずくまるアストリッドに手を伸ばし――。
「ぐはっ!」
二人の看守が天高く舞った。
全く警戒していないところからの攻撃を避けられなかったのだ。つまり、弱っていたはずのアストリッドから、強烈な一撃を貰った形である。
「う、うぐ……ッ!」
それが精一杯だったというように、アストリッドが苦悶の声を上げてふらつきながら胸を抑える。
もっとも、それは演技に過ぎないが。首に付けている従属の輪は偽装で、効力等ないのだから。
「おのれ、化け物が!」
地下牢にも姿を見せた女看守が激昂し、アストリッドに向かって武器を突き込む。急所を外してはいるが、戦闘能力を奪う算段なのだろう。
瞬間、アストリッドが寸前まで弱っていたとは思えない、凄まじい速度で裏拳を振るった。
「ちッ!」
女看守は先程の動きもあって油断はしていない……というよりも最初から警戒していたのだろう。寸前で後ろに跳んで躱していたが、アストリッドが拳に氷を纏っていた分だけ間合いを見誤り、その頬を浅く薙ぐような形となった。
「シグネア副長……!」
「……問題ない。掠り傷だ」
女看守――シグネアは頬を触れ、指についた血をつまらなそうに一瞥する。先程の激昂もまた、演技なのだろう。静かにアストリッドに視線を戻す。
「今の動き……化け物――。貴様従属の輪が効いていないな? どうやったのかは知らないが……いや、その連中か?」
「巨人の王族に、こんな物いつまでも効かないよ。もう対応できるの」
戦闘になったら演技をして不意打ちをする。バレたらバレたで欺瞞情報を流す。そういう作戦だ。少なくとも弱っている振りはもう意味がないだろう。他の看守達ももう油断はしない。
だから、アストリッドは開き直って身体に氷を纏って立ち上がる。
「……その言葉が本当かどうか、後でじっくりと検めさせてもらおう。この傷の礼はさせてもらうぞ、化け物」
女看守は好戦的とも嗜虐的とも取れる笑みに顔を歪めると、長剣を構えて魔力の輝きを身体の各所に宿した。




