第20回 擬音語と擬態語の違い
皆さんお気づきとは思いますが、日本語には、擬音語、擬態語が非常に多い。
もう、どんな状況でも、擬音語、擬態語で表わせるようにしているのかと思えるほど、その種類の豊富さに感心させられますし、それを日常なにげなく使いこなして会話している私たちを、あらためて思ってみると、何ともいえない面白さを感じるのです。
擬音語とは、
「パンッ」「ピンッ」「プンッ」「ペンッ」「ポンッ」というように、発せられた音の響きを言語で表わしたものです。「プンッ」という擬音語は、あんまり聞きませんが、すごく速く飛び去った蚊の羽音だと思って下さい。
一方、擬態語は、
「がっしり」「ずっしり」「どっしり」「びっしり」「みっしり」というように、それがどんな状態であるかを音の響きの印象で表わした言葉です。
擬音語については、日本語としての正式な規格というものはなく、あくまでも創作者の感性で好き勝手に言葉を作って良い事になっているようです。(好き勝手といっても、それを見聞きした側が、創作者の意図した音を想像できる言葉であることが望ましいですが。)
上記の「プンッ」のように、聞き慣れない擬音語でも、情景にぴったり合えば、その音が発せられた状況をより明確に受け手に伝える効果を発揮します。
そう言えば、「プンッ」は、怒った時の擬態語としては、漫画などで使われるのをよく見かけますね。「プンプン」「プンスカ」「ぷりぷり」という言葉と同様に。
(これは、怒りで頭が熱して沸騰したり湯気を噴いたりしている様子を音で表わした言葉でしょうか。だとしたら擬音語と呼ぶ事もできますね。)
創作を行う上で、注意が必要なのは、一般的に、擬音語を多用すると、文章が稚拙に感じられるようになる、という事です。
幼い子向けの童話や、漫画、擬音語の響きの面白さを活用した詩などでは、かえって良い効果も期待できるのですが、大人向けの小説上で、例えば「宮内社長を乗せた飛行機はブーンと飛び立った。」というような文章を書くのは、笑いを誘う以外の目的では、なかなか作品の良さに結び付けにくいと思います。
「ゆらゆらがね、ビューっとなってね、バタバタしたの。」
幼い子どもは、よくこんな風に、擬音語を多用した言語で世界を表わします。
ですから、逆に言うと、子供らしさを象徴するものとして、大人向けの小説中で擬音語を効果的に用いる事は可能です。
二、三歳の幼い子供が、
「風に揺らめいていた旗が、強風にあおられて、突然激しくはためいたの。」なんて言うと、リアリティのある小説ではかえって奇妙に思えますからね。
では、『擬態語』を用いるときは、どんな点に気を付ければ良いのでしょう。
まず、擬態語には、創作者が自由に作っても良い擬音語とは違って、ある程度、既存の語彙を尊重しなければいけない、という、暗黙の規則があります。
例えば、うろたえた時の擬態語は『おろおろ』ですが、創作者が、「私にとって、その状態は『あぱあぱ』だから。」といって、作品中であぱあぱを用いても、読者にはその感覚を共有する事が難しい、という事になります。
〝親方が「墨壺持って来い。」と言ったが、俺には何のことだか分からなくてあぱあぱするばかりだった。〟
こんな感じで、せっかく新語を作っても、どうもしっくり来ません。
(擬音語の自由さに比べて、擬態語に制約がある理由については、深く考察すると面白そうですが、おそらくそう単純な理由ではないと思われるので、今回はそういう性質がある、という点だけ触れておくことにします。)
擬態語の持つ擬音語と同じ性質としては、擬音語ほどではないものの、文章の印象が稚拙に感じられるようになる、という点が挙げられます。
例えば、大人向けの硬派な歴史小説の中に、
〝ローマ総督ピラトはバルコニーに立って広場をいかめしく見下ろした。
群衆は広場のはるか向こうまで、ズラーッと埋め尽くしていた。〟
という文章があったとします。
たしかに、「ズラーッ」という擬態語の効果で、人々が所狭しと居並んでいる様子はうかがえます。
でも、ピラトのいかめしさに対して、群衆のどこか緊張感のない、間が抜けた雰囲気はどうでしょう。
まるで映画の撮影のために急きょ集められた、ボランティアのご近所の住民達みたいです。
でも、この間が抜けた感じは、上手く利用すると、文章で笑いを誘う手法としては役立ちそうです。
例えば、これは実際に、映画の撮影現場を題材にしたコメディー作品で、群衆も頼み込まれて駆り出されたボランティアの市民たちなのだという事にすれば、ズラーッと埋め尽くす群衆という表現が、かえってしっくりその状況にはまることになります。
〝ローマ総督ピラトはバルコニーに立って広場をいかめしく見下ろした。
群衆は広場のはるか向こうまで、ズラーッと埋め尽くしていた。衣装はタオルやシーツを巻き付けて、何とかごまかしてはいたが、眼鏡をかけた者、髪をピンクに染めた者、中には電子タバコを吸っている者まであった。〟
どうでしょう。これで、「ズラーッ」が、無理なく納まったのではないでしょうか。
ピラト役の役者さんの、内心の当惑ぶりが、伝わって来るようです。
こうやって、擬音語、擬態語について、あらためて考えてみると、私たちは日常、それらの性質を何となく把握した上で、無意識のうちに使い分け、使いこなしていることが分かります。
創作においても、無意識の直感で擬音語、擬態語を用いて構わないのですが、ある程度規則や法則を把握して、意識しながら言葉選びをしたり、逆に規則や法則に逆らって、あえて読者に挑戦するような言葉を探してみたりするのも、文芸の趣味を豊かにする一つの手法として、面白いのではないかな、と思います。




