第37話 影しかない男(18)
【月曜日・午前:ブランドルコート-墓地】
「――御手にゆだね、土は土に、灰は灰に、塵は塵に……」
牧師の言葉が、棺の中身を想起させる。
すでに灰と骨とに化したロバート・クックの葬儀は、前日のリチャード・ブランドルのものと比較し、はるかに人が少なく寂しかった。
レストラードと警官一人に付き添われた息子のデイビッドと、トマスの配慮で郊外から馬車できたロバートの妻リディアが車椅子に乗せられている。
かつて彼女が仕えた女主人のエレノアが側に付き、車椅子はロバートの診察も請け負っていたグラットン医師が支えていた。
同僚としてかつて交流があった工場長も参列していた。それからもう一人。
「どうして店主さんが?」
「お得意様でしたので」
意外な参列者として、ブランドルコートの唯一の宿屋の主人であるノートン氏がいた。なんでもパブの利用客だったらしい。
「時々トマス様とご一緒に。ウチは“高級”ですから」
「……人が来なくて都合が良かっただけだ」
ぼそりとトマスが低い小声で否定し、ソフィアとコンラートは納得した。
閑古鳥が鳴いているという宿のパブが、二人の交流拠点だったのだ。
夜の賑わいは、昼間の店は閉まり静かな中央広場ではない。東の工場寄りのパブ周辺だから、人目につきそうでつかない絶好の場所と言える。
「あっさりしたものですね」
「弔問しようにも家族が留守じゃどうしようもない」
トマスが不機嫌そうに、しかし仕方がないといった様子でため息をつく。
埋葬後も、仰々しい遺言開示や弔問客が夜遅くまで続いたリチャードとは比べようもなかった。参列者同士ことさら言葉を交わすでもなく、通り一遍のお悔やみの挨拶で解散し、エレノアとグラットン医師は屋敷へ、工場長は彼の仕事へと戻った。
「あの警部は首都警察だけあってまあまあだな」
牧師への御礼や教会の手続きを終えたデイビッドとリディアはすぐ州警察の馬車に乗せられ、レストラードも同乗した。
馬車はプレストの庁舎行きだ。町の派出所は小さく、まだ罪が確定しているわけでもないため、領民の好奇の目を避けるレストラードの配慮でもあった。
それを評価したトマスの言葉である。
「警部はいい人ですよ。皮肉屋で時々拗ねますけど理性的です」
「それはほめてるのか、けなしてるのかどっちだ?」
「どちらでもなく。そのままを言っただけです」
「――フィフィ」
牧師のところにいたコンラートに背後から呼びかけられて、ソフィアがトマスとの会話を中断して振り返る。ノートン氏がよければ店でお茶でもとのことだった。
「折角ですから、トマス様もご一緒に。いつものスコッチもお出しできますよ」
「……あの可もなく不可もない酒か、こういった日にはいいかもな」
居残った者で死者を悼んでもいいでしょうと、ノートン氏の粋な計らいともいえる提案に、飲食代はトマスが出すと言って、ささやかな追悼の集まりとなった。
ぞろぞろと歩いて、宿屋へ入る。まだ午前十時を少し回ったばかりで中央広場もそれほど賑わっていない。そもそも平日なので子供は学校、大人は工場である。
「どうせ今日は誰も来やしませんし、ご婦人方は水曜日に集まるんで」
「貴様の店は一体なにで成り立っているんだ?」
「そりゃ、ブランドル家ですよ。お屋敷への納品や最近は魔石の取次で儲けさせていただいてます、ひひっ」
揉み手でもしそうに相好を崩したノートン氏に、トマスは鼻白んだ。
適当にどうぞという、新たな領主を招いたと思えない、まさしく適当な言葉でソフィア達を放置してノートン氏は店の奥へ引っ込んだ。お茶の用意のためだろう。
「まったく……いつもながら変人だな、あの店主は」
トマスが呆れて、店のほぼ中央のテーブルの椅子にやや行儀悪く腰掛ける。
完璧な令息の振る舞いよりずっとらしい、それでいて育ちの良さも滲み出た自然さがあった。父リチャードの死、長年抱いてきたデイビッドへの感情も吐き出し、肩の力が抜けて、わだかまりも消えたのだろう。
誤解されやすい物言いは相変わらずであったが、攻撃的な感じはなくなっている。
「それで、実際のところ犯人の目星はついているのか?」
「あなたの可能性だってありますよ」
「はっ、冗談だろ……ああ、デイビッドを陥れたいなら最有力候補と言えるか」
「そういうことです」
頷いたソフィアに、意外と抜け目がないなとトマスはぼやいた。
「コンラート卿も同意見でしょうね。でもあの人を悼む集まりだ。魔石動力炉はなんとかなりそうですか?」
「補強の術式は構築できたよ。サーの強度計算のおかげでね」
「俺は、あの人に教わった通りにしかやってない……本当に優秀な職人だった。目新しい技術も好きで、いつもあれをこうすればどうすればとぶつぶつ言ってた。妻子への暴力だけが汚点だ……本当に」
ロバートが暴力に走ったことが、残念でやりきれない口調だった。だが、彼の技術と職人的な志は、トマスに受け継がれたのだとソフィアは思った。
でなければまだ試験段階な魔石動力炉を、あの規模の工場に導入しようなどと思いつかない。コンラートを夢中にさせたのだ。彼自身も立派な技術者である。
「ロバートさんについてですが、生前付き合いのあった人や、なにか気になることを言っていたとかはなかったですか?」
昨晩、事情聴取で人を呼ぶ前にレストラードとソフィアは少し話したが、ロバートは彼自身の情報が少ない。
ロバートは町の鼻つまみ者で、家族とも疎遠だった。町の住人に聞いても酒浸りのろくでなしの様子ばかりが目撃されていて、それ以上の話が聞き出せない。
現時点で、トマスが一番ロバートに詳しい人物だと言える。
「昨晩はデイビッドさんと乳兄弟として養育されていた頃が中心で、アビゲイルさんの転落で中断してしまったでしょう?」
トマスの話は、いまの青年二人の姿を象徴していた。
ブランドルを支える工場に連れられた幼い少年二人は、どちらも金髪で本当の兄弟のようだと言われたが、興味の向くところはまったく違っていた。
デイビッドは機械が人を抜きん出た働きをすることに感嘆し、トマスはその機械を生み出し操る人の技術に驚嘆した。
「アビゲイルか……今朝目を覚ましたが、転落前後の記憶も曖昧でまだ話を聞ける状態でもないからな」
ひとまず気分が悪いなどはなかったため、ジェシカに看病を任せ、なにかあればすぐ使いを教会に出すよう使用人にも言いつけて、トマスもグラットン医師もエレノアも葬儀に顔を出したのだ。
「警部から聞いたが、階段に糸が張られたピンの跡があったって?」
「はい。あの階段は中央階段と違い、使う人が限られます」
コンラートがジェシカに確認した状況では、アビゲイルがデイビッドとなにか会話した後、階段の途中でふと身を屈め、落ちていたなにか拾おうとして転落した。
落ちていたのは黒い紙人形だろう。
「つまり、誰でも犯人たりえる。居候共とアビゲイルの部屋がある側の階段だ……女達の誰かを狙ったのか」
晩餐会の夜、誰かがなにかを見たか聞いた。
なぜなら、リチャードが死に至る発作を起こす直前、ジェシカとアビゲイルも彼の部屋の近くにいたのだ。
「俺や母や執事に見つかると面倒だと、使用人の通路と階段なんか使って、厨房に夜食を食べになんか行くからだ……」
トマスが顔を顰めて腕を組む。
晩餐会の夜、ジェシカとアビゲイルの二人は、一緒に厨房で夜食を食べて戻る時に、リチャードが大声で喚く声を聞き、部屋から飛び出すロビンを見ていた。
「アビゲイルさんが拾おうとしたのは、黒い紙人形でしょう。ロビンさんの脅迫の話を聞いていたから」
「好奇心で首を突っ込み、ゴミみたいなものを拾おうとした挙句、死にかけるなんて……つくづく愚かな妹だっ!」
毒づくトマスだが、その怒りは妹の心配からだと表情でわかる。
トマスはため息をつき、「あの人のことだったな」とつぶやいた。
「俺も、よく知らないんだ……ここで会う時は技術や工場の話ばかりで」
「クック氏は失職した後、どうやって暮らしていたかは?」
コンラートの質問にたしかに疑問だとソフィアも思った。ブランドルの補償金をデイビッドの学資に回したのなら、彼の手元にはなにもない。
「そこそこ貯めてた金を食いつぶした後は、たまに町の外に出て炭鉱街辺りで日雇いの人足仕事かなにかやっていたようだ……時折家にも戻っていたらしいが」
「ロバートさんならたまに臨時雇いの人と飲んでましたよ。トマス様が社交シーズンで首都に出た頃くらいから」
四角い盆に、お茶と焼き菓子や軽食のサンドイッチを盛った皿を乗せて運んできたノートン氏が、テーブルにお盆を置きながら話に割って入ってきた。
「え、そうなんですか?」
「ええ。町の女性たちがハンサムだって騒いでて……東の荒っぽい方の酒場は馴染めなかったのかもですね」
「レストラード警部にはその話を?」
「……そういやしていませんねえ。聞かれもしてませんから」
あははとノートン氏は笑い、ソフィアもトマスもコンラートも仕方ないとはいえ、半ば呆れた眼差しで彼を見た。
灯台下暗しとでもいうのか、一通り定型的な質問はしたのだろうが、レストラードもこの人に詳しい聞き込みをすればよかったのではと思わずにはいられない。
「まあ僕たちも、サー・トマスとクック氏がここで交流とは思いもしていなかった」
「だからって、マヌケが過ぎやしないか?」
まさに盲点だ。工員たちと馴染めていなさそうな臨時雇いの人夫は、ロバートとしても気兼ねもする必要もない相手だったのだろう。
「ロバートさんは無愛想ですが、臨時雇いの人の方は気さくでしたよ。行きの列車で知り合ったって言ってたかな? きっとその炭鉱街から戻った時でしょうね」
この辺りで工員風の人を見かけたらブランドルだと思う。同じ臨時雇いと人夫の方から話しかけたのじゃないかと、ノートン氏は推理を披露する。
「ここらの人間で、わざわざあの人に話しかける人いませんから」
「悪かったな……」
「トマス様はブランドルの方だから別枠ですよ」
「どういう奴だったんだ?」
「シュッと垢抜けた感じで、あちこち行く人はやっぱり町の人間と雰囲気が違うでしょ? 首都の技術学校で職工の修行したロバートさんの若い頃みたく」
「まったくわからん。もっと具体的な容貌とかあるだろっ」
トマスの誤解される物言いは、事業資産家の令息らしく短気なのもあるようだ。晩餐会の場に現れたリチャードも短気そうだった。
怒らないでくださいよぅ……と萎れながらノートン氏は記憶を掘り返し始める。
「背は高くも低くもなく……シュッと細身で、髪は茶色っぽく長めで、邪魔にならないよう束ねて帽子の中にいれてましたよ! 散髪代もバカになりませんしね。顎が細くシュッとしてて」
「貴様、だからそのシュッってなんだ……もういい」
同じ言葉を繰り返すノートン氏に呆れて、トマスは彼を追い払うように片手を振ってお茶のカップを口にした。領民に気さくないい当主になれそうな気がする。
「背の高さは、丁度、トマス様とお弟子さんの間ですよ」
「たしかに高くも低くもないね。洗練された雰囲気の青年ってところかな」
「そういうことです。工員って荒っぽい感じの人が多いでしょ?」
「だったらそう言え。これだから平民は言語が貧弱と馬鹿にされるんだ」
首都でトマスが事務員相手に教師の真似事と、晩餐会でリチャードが苦言を呈していたのをソフィアは思い出した。彼なりに領民や従業員教育に思うところがありそうだ。デイビッドと比べて事業成果より技術向上や教育への意識が強く、事業に向いていないとされそうではある。どちらも大事だとソフィアは思うけれど。
二人に役割を分けたリチャードは慧眼の持ち主ではある。
「そういえば、サー・リチャードにはなにか深い悔恨があるってカーライル弁護士が言っていたそうなんですが、トマス様はなにか心当たりはありますか?」
「悔恨? 親父殿でその言葉が出るなら一つしかない」
「ですねえ。誰も表立って責めませんが……デニス様を追い詰めた張本人ですし」
トマスだけじゃなく、ノートン氏まで一緒になってうんうん頷いたのに、ソフィアとコンラートは首を傾げた。
「どういうことかな?」
「親父殿が偉大なる領主になったのは、デニス叔父が出奔がきっかけだ。晩餐会でも見ただろう? 親父殿はああいう不愉快な男で、デニス叔父とは双子だ」
曖昧な言葉で言い淀んだトマスの言葉が捉えきれず、ソフィアは眉間に皺を寄せる。もう少し明確に話してほしい。
「だから、ちっ……鈍い奴だな」
「品行方正な令息リチャードではなく、弟デニスだったということかい?」
コンラートの言葉に、ソフィアは目を見開いた。
なんということだろう。手がつけられない悪童は偉大なる領主サー・リチャードの側だったということか。
「……町の人間には虐めの被害者もいますからね。皆、知ってますよ。でも正当な跡取りでしょう?」
「この町はブランドルで成り立ってるんだ、誰もなにも言えやしない」
若い頃のリチャードは己の悪事はすべて、気弱な双子の弟のデニスのせいにして誤魔化し、醜聞を避けるためトマスの祖父である当時の当主もそれでよしとした。
跡取りとそのスペアでは、同じ諍い事でも風評の打撃が異なるからだ。
「自分が、卑劣な血を引いてると思うと反吐がでる。まあさすがに出奔して行方知れずとなっては、親父殿も祖父も後悔し反省したが……」
それが数百ポンドを持ち出して、街の女性とデニスが失踪した経緯だったのだ。
「人間、追い詰められるとなにするかわからないって奴ですよ。あの事件をきっかけに先々代の当主様もリチャード様もすっかり人が変わって、いい領主様に」
「人間そう変われると思わんがな……家族にとっては愉快な人じゃない。だが、少なくとも目を配るようにはなったし、償いをする気はあったってことだ」
労働者会館を建てたり、教会に莫大な寄付をしたり、グラットン医師を町の医者にしたのも領民への償いのためだとトマスは話した。
「この町は医者がいませんでしたからね……ロバートさんが左手足が不自由だけで済んだのもグラットン医師がいたからなんですよ」
「丁度、強引に町医者にした頃だったんだ」
屋敷で見聞きするリチャードの評判や家族のよそよそしさと、偉大な領主で立派な旦那様として君臨する姿がなにかちぐはぐに感じられていたが、すべて繋がり違和感が氷解した。
そしてそれが新たな違和感をソフィアの中に呼び起こす。
あの遺言と、晩餐会で錯乱したリチャードの姿だ。
トマス達の話が本当なら辻褄が合わない。
「師匠……なんでしょうかこれ」
「フィフィ?」
「すごく……すっきりしないぃぃ」
「なにがだ!? どう考えてもそういうことかってなる話だろう!」
トマスが文句を言い、「そうだけどそうじゃないんですっ」とソフィアが訴えていた時だった。カランカランと宿屋の扉が取り付けたベルの音と共に開く。
「あのぉ、すみません。教会の牧師様に聞いて……こちらにコンラート・シュタウヘンさんはいらっしゃいますか? たぶんお役人の方かな?」
「僕だよ」
電信を届けにきた郵便局員だった。
手を挙げたコンラートに、「えっ、新聞で見る人!」とまだ若い郵便局員は驚いてあたふたと制服の襟を直して、白手袋の手を胸元でぱんぱんとはたいた。
大魔導師を知っていても、関心のない名前までは覚えていなかったらしい。
「これ、こちらっ! どうぞっ!」
「ありがとう」
苦笑しながらコンラートは受け取りのサインをして電信を受け取ると、「さすがに仕事が早い」と口の端をつり上げる。
「仕事?」
「ちょっとした国家間の調べ物だ」
「それって……」
国家間の調べ物……そんなことができる人間は限られている。
昨日、コンラートは電話では連絡が無理な場所へ電信を打ちに行った。たしかに首都の宮殿で電話は取り次いではもらえないと、ソフィアは天井を仰ぎ目を閉じる。
尋ねるまでもなく、第三王子エドワードからの政府優先通信による電信だった。




