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第36話 影しかない男(17)

【日曜日・夜:ブランドル家-客間】


 暗い、暗い夜だ。

 月が隠れ、影がなにもかも覆い尽くしたような夜……暗闇に……影。

 それはいつの間にか潜み蝕んでいく絡みつくような悪意だ。

 ソフィアの意識は、暗い闇へと手繰り寄せられるように、あるいは沈んでいくように夢へと引っ張られていく。

 暗い夜の夢……このブランドル家の出来事は、あまりに多くのことをソフィアに思い出させる。血と腐臭、焦げた火の匂い、コンラートの不遇、血筋が持つ色……黒い影――。



 ◇◇◇◇◇ 



 水晶の棺に綺麗なお姫様が眠っている。

 明るい栗色の髪に、閉じた瞳は榛色(ヘーゼル)なのだと、魔法使いは言った。


『君と同じ。底に少しだけ、時折きらめく魅了の光が宝石みたいだった』

 

 暗い部屋いっぱい、金で模様が描かれた石の床は、全部、真っ赤だ。

 少女と棺を囲んでいた人達も、真っ赤に染まって床の上。


『殿下達と訪ねた時、生まれたばかりの王女を一番先に僕に抱かせたのは、なにか予感してだったのですか? あの日を最後に……八年も……っ』

 

 気分が悪くなるような血の臭いの中で、誰もかれもが眠っている。

 起きているのは魔法使いと、魔法使いに抱え上げられた少女だけ。

  

『君の言う通りだ。姫を救う騎士のが余程ひどい……剥製も同然な遺体を出鱈目な魔道具もどきの棺に入れ、閉じ込めたと思い込んだ魂に定期的に贄を捧げる』


 塔の地下で、怖い人は時々、少女の側にいた人達を真っ赤にした。

 その怖い人も、眠っている。

 少女に理解できないことを喚きながら、自分で自分の首を切って真っ赤になった。いつも彼が、少女の目の前で、何人もそうしてきたように。


『外界を遮断し、他者と会話をさせず、人形のように育て、あるはずのない魂の器にとでも考えたのか……母親の遺体を前に、こんな儀式を繰り返していたなんて』


 少女を抱き上げ支える手に加わった力に、少女は寄りかかっていた肩の上で銀髪の頭を傾けた。

 水晶の棺を見つめる魔法使いの紫色の瞳が、なんだかいつもと違うように見える。それが強い憤りによるものだと少女にはわからなかった。

 外を、人を、知らなさすぎたから。


『……魔法使い?』

『外に出よう。ここは、君がいる場所じゃない』


 少女を抱えられたまま、カツンカツンと靴の音を響かせる地下の階段を上へ上へと運ばれていく。

 階段を上がりながら、魔法使いが低くなにか唱えるのを少女を聞いていた。


『……愚かな妄執にも、程がある……』


 少女の頬にひんやりと澄んだ夜気が触れてすぐ、ボウッ、と後ろで音がした。

 魔法使いの羽織る闇色のマントが、膨れ上がるようにふわりと大きくはためく。

 少女が彼の肩越しに後ろを覗けば、塔が黒い炎に包まれた火柱となっていた。


『無意味な邪術に辱められた姿など……陛下に見られたくはないはずだから……』


 すぐ耳元で聞こえた魔法使いのくぐもった声のつぶやきに、少女はなにか胸がつぶれるような悲しい気持ちになって、彼の肩に顔を擦り付ける。

 少女のいた塔が、燃えて崩れていく。

 それは暗い夜を照らすことのない炎。

 闇の中で、すべてを静かに燃やし尽くす葬送の炎であった。

 

『安心ください……王妃……、っ』


 あの時のコンラートの顔をよく見ていないなと……覚醒前の夢現(ゆめうつつ)の中でソフィアは思った。

 抱えるソフィアを慰める、背や髪を撫でる手の甘い暖かさと、彼の歩幅に合わせた、揺りかごのような優しい振動の記憶にうっとりしながら。

 泣いていたような気がする。

 水晶の棺に入っていた綺麗なお姫様。

 ソフィアの母親である王妃を、まるで自分の母親のように(いた)んで。



 ◇◇◇◇◇



「フィフィ……?」


 優しく肩を揺らす手に、ソフィアはゆっくりと目を開けた。白っぽくぼけた視界に艶やかな黒い髪が揺れ、彼女を心配そうに覗き込む綺麗な紫色の瞳が映る。


「僕の部屋で寝るのは構わないけれど、夏とはいえテーブルの上でうたた寝しては風邪を引くよ」


 気遣うような声音に、きっと夢にうなされていたんだろうとソフィアは思った。

 遭遇し、巻き込まれる事件は、時にソフィアの過去を映し出す鏡のようだ。

 幼い記憶、コンラートと離れた後に国ごと家族を失うことになった無慈悲な理不尽の記憶を呼び覚ます。今回の事件は特に、彼女自身少し感情移入してしまっているところがあるのは否めない。

 割れたガラスの飛び散った欠片のように、あまりにソフィアと彼女が知るコンラートの過去に繋がる要素が散りばめられている。

 だからきちんと「なにが起きたか、起きようとしているのか」見極めたい。


「師匠……」

「弟子が幼くて困ったものだ。もう成年だというのに」


 子供にするように額から頭頂部を撫でた手袋嵌めた手に甘えたくなったけれど、ソフィアは深呼吸して突っ伏していたテーブルから起き上がった。

 過去は過去だ。それはもう決着がついたもの。ソフィアから遠く離れた記憶でしかない。いまは暗闇を見つめ、その闇と欺瞞がどういうもので事象なのかを暴き、払拭できる自分になっているのだと思いたい。見習いでも魔導師なのだから。


「……どれくらい寝ちゃってました?」

「三十分くらいかな? 今日はもう休んだ方がいい。寝不足が続いているだろう? 今晩の作業はこれでおしまい。思考にも影響する」


 研究に夢中にはなるが、頭の働きが鈍っては本末転倒だという理由でコンラートは自己管理がしっかりしている。徹夜するようなことは一晩だけとし翌日は日中に短くても仮眠を必ず取るし、根を詰めた仕事の後はたっぷりと休養を取っている。

 弟子のソフィアにもそれは徹底させていた。


「はい」


 ソフィアは返事をして、突っ伏していたテーブルの上に置いた、木枠に二本立てている水晶細工の採取管を見た。一本はロバート・クックから採取した魔術の残滓の魔力を分解したもの。もう一本は、ブランドル家の執事に尋ねて分けてもらった“鳥獣避けの魔法薬”だった。

 魔法薬は製造工房により魔力の波に僅かに特徴が出るため、同定試験が可能だ。

 分析用の触媒となる魔石の粉を混ぜて、解析術式をかけ結果が現れるのを待っていたのだ。


「同じですね」

「決まりだね。こちらもフィフィが眠っている間に頼まれていた確認をしてきたよ。アビゲイルは気の毒にまだ意識が戻っていない。幸い命に別状はないそうだ」

「……よかった」

「だが頭を打っているから、前後の記憶に混乱が生じる可能性があるらしい。それはそうとボイル夫人は面白い人だね、家系図に遺産内訳を書いてぶつぶつ言っていた」


 参考までにそれも貰ってきたよと、コンラートは苦笑しながら言った。

 ソフィアが分析作業をする間、アビゲイルの転落について確認してきてほしいと頼んだのだ。アビゲイルの容態はグラットン医師に確認し、転落の状況はジェシカから話を聞いて、黒い紙人形の証拠品もレストラードから借りてきていた。

 同じ黒い紙人形ということで、レストラードはロビンが持っていた手紙と紙人形も証拠品として押収していた。手紙についてはロビンは母親の形見と渋ったそうだが、殺人未遂事件だと言われては渡すしかない。

 

「こちらがロビンの元に仕掛けられた紙人形、そしてこちらがアビゲイルが握っていたものだ」

「……紙が違いますね」


 コンラートがテーブルに並べた紙人形を見て、ソフィアは言った。

 アビゲイルの方がずっと上等な紙だ。

 

「おそらく、サー・リチャードやクック氏の葬儀の支度に使われた紙じゃないかな。カードか封筒かなにかの」

「ということは、少なくともブランドルの屋敷の中にいる人ですね」

「そうなるね。ああ、証拠品への調査は鑑識の後にしてくれって」

「ええっ!?」

「州警察が絡んでいるからね。要請のないフィフィが先に手を加えると、色々面倒なことになるらしいよ」


 よく観察するしかないねと、コンラートは苦笑して証拠品を手元に片付け、儀典用ローブに合わせて着けていた手袋を外した。


「魔法薬は僕が片付けておくから、寝衣に着替えておいで。こうして証拠品も借りてきている。内部犯が濃厚なら用心でここで休んだ方がいい。幸いベッドも二つある」


 コンラートの部屋が広いのは、ソフィアのことが内弟子としか伝わっていなかったからだ。侍従連れと似た用意をされ、小さな控えの間や客向けにしては少し簡素なベッドも備わっている。


「そういうのって淑女としてはよくないんじゃ……」

「そうだけど、他者がどうかはともかく、僕ら自体は家族も同然だ。説明もできるし、万が一にも君になにかあったら僕は一切自制する気はないよ」

「……怖い」


 コンラートが一切自制しないなんて、それこそブランドル家が丸焼けになりかねない。犯人はかならず追い詰められ、それに伴う醜聞にも火に油を注ぎ代償を払わせるだろう。いまの言い方は、ちょっとの怪我でもそうなる気がする。恐ろしい。

 ぷるぷると水浴びした子犬のように首を振って、ソフィアは了承した。

 苦悩の若き当主であるトマスを、恐怖の谷のどん底につき落としたくはない。


「ひどいな、弟子の身を案じているだけなのに」

「そんなだから、いろんな人から弟子に過保護だって言われるんですよ」


 とはいえ、慣れないよその家の客間に一人で眠れる気分でもなかった。朧げに覚えている夢がまだ細い尾を引いている。本音を言えばコンラートに甘えたい。

 ソフィアはぼやきながらも、へらりとうれしさを隠せない笑みを浮かべた。

 身支度をして、再びコンラートの部屋を訪れると、彼も簡素な服に着替えてテーブルの椅子にゆったりとかけていた。

 ソフィアが出した道具は綺麗に片付けられていて、代わりにブリキの人形がテーブルに置いてある。彼女は信じられない思いで目を見開いた。

 青い服の塗料が色褪せて、煤けた鉛色になっているけれど間違いない。

 

「これっ」


 室内履きの足で、ソフィアはテーブルにぱたぱたと駆け寄る。

 職人ではなく素人の手作りとわかる、愛嬌のある不器用な造作の胴体や手足。顔の部分は目に魔石が嵌まったおもちゃの人形は間違いない――ソフィアがこの国に到着してすぐ悪人に取られた、荷物の中に入っていた人形だ。

 ルドルフシュタットの王宮に来た頃、コンラートに作ってもらったもの。

 旅券も、名前も、すべて偽の経歴ソフィア・レイアリングだ。いまの彼女にとって、変身薬が切れた容姿を除き、唯一ルドルフシュタットのゾフィーである証明。


「魔石付き玩具だからね、質や骨董市に流れてるのじゃないかと……」

「探してくれてたの!?」

「期待はしない程度にね。それらしい物の情報を掴むのに二年以上かかった」

「本当に?」

「フィフィの物だ、確かめて」


 恐る恐るソフィアはブリキ人形を手に取った。カシャンと、音を立ててくたりと首が下向いて人形がうなだれる。その首元についた凹みは小さなソフィアが癇癪を起こしてつけてしまった凹みだ、胴体についた擦り傷にも見覚えがあった。

 そっとソフィアは魔力を流す。

 下向いた首が、またカシャンと音を立てて持ち上がった。ソフィアに向かって衛兵が王女にそうするように恭しくお辞儀する。魔石に宿った魔力が、ソフィアの魔力と反応してお辞儀をしたり歩いたり動くようになっている。他の人には動かせない。


「本当に? 本当の、本当の本当にっ!?」


 人形を持って、ソフィアは椅子にかけているコンラートの左肩に抱きついた。


「……うれしい。ありがとう、師匠」

「喜んでもらえてよかったよ。君いつも魔力切れを起こした人形に怒っていただろう? だから余程でなければ魔力が切れない石に直しておいたよ」

「え?」


 そういえば、黒っぽいクズ魔石だったはずなのに、宝石みたいな遊色の輝きを持つ黒い石になっている。ブラックオパールのような……ソフィアは宝物が戻ってきた感慨も引いて、ひくっと頬を引きつらせた。


「これって、もしかしなくても……師匠が作った最上級人工魔石……」

 

 カフスリンクスにしていた石だ。


「元々その目的で祖国にいた頃から試行錯誤し、こちらで学んで造った成果物だ」


 水晶に込められるだけ魔力を込めて再合成した、それはそれで天然物と異なる希少さで売れば首都に小さな家一軒持てそうな人工魔石の、呆れた製造秘話だった。


「少しは元気が出たかい? いつ渡そうかと荷物入れて持っていたけれど、ここに着てからずっと、なんだか息を詰めるようにどこか緊張していたからね」


 人を安心させるコンラートの声音にこくりとその肩に懐くように、ソフィアは頷いた。大丈夫、闇は暗いだけじゃない。小さな光も明るく輝かせる。

 そしてふとソフィアは、コンラートの肩越しの彼の手元、線図の描かれた紙があるのに気がついた。


「なんですか、これ?」

「さっき話したボイル夫人が描いた家系図。記憶力のいい人だ、各人に渡る遺産が正確に書き込んである。“やっぱり二十年支給があっていいわ”とぼやいていた」


 コンラートの苦笑に、ソフィアもまた苦笑した。

 側にいたに違いない、ジェシカの顰め面が目に浮かぶようだ。

 ブランドルの家系図にはご丁寧に、クック家の家族との関係、また財団設立を委託されたカーライル弁護士の補足まで書き込んである。

 この一枚で事件関係者の全貌が確認でき、コンラートがボイル夫人を言いくるめて参考資料に貰ってきたのも納得の出来だ。


「遺産の正当性の検証か、デニスとローズ夫妻の出奔年まで書いてありますね……デイビッドさんとトマス様の出生年はリディアさんに疑念が持ちあがったから?」


 どうにもできないものなのに、遺産への執着に感心してしまう。

 俯瞰するとあらためて、財団化する資産の莫大さと不可解さが目につく。

 それにトマスと、デイビッドへの分与についても。


「なにか、おかしくないですか……これ」

「そう。僕も、遺言開示から気になっている」


 愛する息子と事業のすべてを教えた若者に、ブランドル家の将来の繁栄を託す。

 遺言には二人の青年に向けた言葉が綴られていた。その時は二人が支え合ってブランドルを盛り立てて欲しいと願うリチャードの不器用な愛情にも思えた。

 

「ブランドルの利益を最大化し、財団を通してどこかへやろうとしているようにも見える――ここにも管財人がいるはずだからね」


 莫大な事業収入と配当となる。さすがにカーライル弁護士にすべて任せると思えない。ブランドルの誰かを立てるのではないか。


「財団設立は遺言とは別の委託契約だ。あの親族の場では開示されない。そこになにか重大な意味が隠れている気がする。カーライル弁護士も駅に向かう途中でこぼしていた」

「なにをですか?」

「サー・リチャードには深い悔恨がある。だからこその遺言であり、弁護士として依頼人の意志に忠実であることが職務であり義務だと……だけど彼は迷っていた」


 果たしてその意志は正しいことなのか――と。

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