第35話 影しかない男(16)
【日曜日・夕食後:ブランドル家-小部屋】
「こうなると……我々も貴方にご同行をお願いせざるを得ませんな。デイビッド・クックさん」
ロバートの遺体発見と、なによりもデイビッド自身が州警察に掛け合い、警備のために庭中に配備されていた警官によって彼はあっさり捕えられた。
丁度、弔問客が引いて屋敷の入り口に錠をかけていた最中でもあり、外に出るのは使用人の出入口に絞られたこともある。
デイビッドの行動と境遇が彼自身を捕えたとは、なんとも皮肉で彼からすればやりきれないものだろう。そのことからも、ソフィアは彼が犯人ではないとほとんど確信していた。
だが状況的には最悪だ。確たる証拠はなく共犯者が必要となるものの、彼には動機も余興に使った魔法薬や殺鼠剤を手に入れられる立場と、手段も揃っている。
「もちろん、まだ任意の段階ですが。明日の葬儀もある。どうして逃げた?」
一階の小部屋を借り、警官二人に拘束された彼を連れ込んで、レストラードは尋問した。ソフィアもトマスも共に部屋に入り、打ちひしがれた様子の彼を眺める。
「デイビッド、答えろ」
トマスが当主然とした口調で促せば、俯いていたデイビッドの頭がわずかに持ち上がった。
「……どう考えても、疑われると。遺言もあって迷惑はかけられないととっさに。その、ロビンお嬢様の脅迫のことを聞いて。ジェシカ様からそのことを聞いたアビゲイル様から尋ねられて……アウストラリスへ出張した時のことを」
そういえば植民地にも工場の製品を卸していると彼自身が話していたことをソフィアは思い出した。これはますます状況がよくない。
「だからって、逃げる方が迷惑だ」
「申し訳ありません……」
顔を顰めたトマスに、床にくずおれてデイビッドは詫びた。
「立て、そして座れ。全部内に抱え溜め込むのは貴様の悪い癖だ。親父殿がかなり悪いと知っていたから、あれほどまでに世話を焼き、仕事に打ち込んでたんだろう?」
警官の一人が部屋の隅から運んできた椅子にデイビッドは座り直し、「はい」と返事をした。トマスが大きく深いため息をつく。
乳兄弟だが、そこには確固たる主従の関係があった。
忠臣デイビッドとトマスが口にするわけである。であればなおさら、ブランドルの新しい工場で父親を殺害するなど、いくら動機があっても有り得ない。
「……人のことは言えないがな――いまだから打ち明けるが、魔石動力炉の転用はロバートとの合作だ。あの人はこの仕事をきっかけに再起しようとしてた」
「え……?」
トマスの言葉に、デイビッドが完全に顔を上げた。灰色の目でトマスを射抜くように見た顔は半信半疑といった表情だった。
だが湧き上がる腹立たしさがあるのか、デイビッドのトマスを凝視する眼差しは鋭くなっていった。
「嘘じゃない」
「いまさら……っ」
膝の上で拳を固く握り締め、デイビッドは否定に首を振る。
トマスはそれを受け入れ、「そうだな」とつぶやいた。
ソフィアは広間で聞いたトマスの話を思い出していた。
妻子にふるったロバートの暴力は凄まじいものだった。
まだ十歳の子供を顔が腫れ上がり、全身あざだらけになるまで殴り、物を投げつけ、止めに入った母親を突き飛ばして不安定な体勢でいるところを踏みつけ、その脚を折った。
いまもなおリディアは足を引きずってでしか歩けず、長時間立っていることは困難で、デイビッドの仕送りで郊外の小作人家屋で暮らしているのだという。
「貴様にとっては最低の父親だった、それは言い訳のしようがない事実だ。その父親に怯える数年を過ごした貴様には……たしかに、いまさらだ」
巻き込み事故から回復したロバートは歩けるようにはなったが、そこからがクック一家の不幸の始まりだった。
事故に遭い、精神的に不安定だったロバートは、髪色が金髪から薄茶色に変わったデイビッドに妻リディアを疑いさらに自暴自棄になった。
家に一ペニーの金も入れず、一家の金をすべて酒に潰した。
有り得ないことと頭では繰り返していたようだが、妻子を目にしてしまうとどうにもならないことだったらしい。
「しかし貴様が貴様の人生をどうにかしたように、あの人にだって人生を立て直し、然るべき償いをしたかったはずなんだ……っ」
「そんなことッ……なんの救いにもならないっ!!」
デイビッドが堪えかねたように声を荒げた。彼もまた父親のことを考えるとどうにもならなくなっている。
「わかってる。貴様に許せと言ってるわけじゃない……ただ、機会を奪った何者かがいる……それが俺も許せないっ」
額から目を右手で覆い、トマスは無力感に苛まれる声音で言った。途切れる言葉の合間に涙を堪える濁りが混じっていた。
しんと、不意に沈黙が通り過ぎた。遠くで夜行性の鳥が鳴く声が微かにしている。
結婚自体がリチャードの計らいであったことが余計にロバートを自滅に駆り立てたのだろうと、トマスは広間でソフィアとレストラードに言っていた。
ロバートは人生に裏切られ、最愛の妻子がその裏切りの象徴と己自身で刷り込んでしまった。その姿を見るとどうにもならない憎悪と自己嫌悪に我を失うほどに。
「悪かった――!」
「……なにを……っ」
唐突に謝罪の言葉を口にしたトマスに対し、デイビッドは狼狽して掛けていた椅子を揺らした。驚いたのはデイビッドを見張る事情を知らない警官二人も同様だった。
資産家の当主となった青年が、一介の使用人で犯罪者かもしれない青年に突然詫びたのだから当然と言えば当然だ。しかし、トマスの話を聞いたばかりのソフィアは、この捩れた関係の二人の青年を見守ることしかできない思いでいた。
険しい顔をしているがレストラードもおそらく同じだろう。
「すまないっ……俺の捻れた対抗心がっ! 父と、お前と、あの人をっ、そこまで追い込むなんて考えてもしていなかった……っ」
トマスはロバートの苦悩のすべてを見て、知っていた。そしてそれを黙っていた。
父親の関心を買っていたデイビッドへの妬みと、トマス自身が持っていたロバートへの好感から。
デイビッドに懺悔するトマスの口調は、幼馴染に対するものとなっているのに彼は、いや彼らは気がついているだろうかとソフィアは思う。
「お前が親父殿の関心を買ったように、俺もお前から父親を奪っていた――暴力を奮いながら苦しんでいたあの人の言動も知りながら、一つも、誰にも伝えずに……皆、誤解してる!」
「誤解? そんなものはなにも……」
「父が払おうとした賠償金を酒にかえたのじゃない、お前の学資に当てろとあの人は断った――本当はクック家の困窮も支援すべきだったが、あの人が金をもらったと言いふらしたから出来なかった……!」
だから子供のデイビッドの雑用に小遣い程度の賃金を渡し、使用人に余った食材を渡すよう手を回すことでしかブランドルとしては、生活支援ができなかった。
それ以上は明らかに、領民の目から見てクック家を贔屓していることになる。
「デイビッド、お前だって完全に憎み切ってるわけじゃない……俺は、全員の事情をただ一人知っていたのにっ!」
「……トマス……様……」
「なにもかも……俺のせいだ……。全部、私のせいなんだ……デイビッド……ッ」
「――いいえ」
嗚咽を漏らしたトマスの隣で、ソフィアはこの小部屋に入って初めて声を出した。
確固として、毅然とした意思の力が宿った声は、室内にいる青年二人と刑事達を過去の確執の精算から、いま現在の現実へと引き戻した。
「いま起きている出来事はお二人でも、その父親達のせいでもありません。たしかにその状況を整えたのかもしれませんが、出来事を引き起こしたのは犯人の悪意です」
室内にいる者達、全員がソフィアを見ていた。
彼女の底に金を沈める榛色の瞳に魅入られたかのように。
「フィフィの言う通りだ」
静かに小部屋の扉を閉める音がして、黒衣に儀典用の黒ローブを羽織ったコンラートが現れる。
「……たしかにもっともですな」
レストラードも肩をすくめてそう言うと、半ば放心していたデイビッドを見た。
「夜の間は拘束と見張りはつけさせていただきます。デイビッド・クック、明日の葬儀が終わったら事情を詳しくお伺いしますよ。母親リディア・クックも一緒に」
「母は関係ないっ!」
「貴方が言っても、いまのこの状況では彼女にも話を聞く必要がありますので」
どのような事情があろうと、警察の側でデイビッドは第一容疑者である。
共犯者の存在が疑われるいまの状況では、ロバートに辛苦を与えられた母親も疑わしい人物とするレストラードの判断も仕方ない。
足が悪い女性の身でも工場にロバートを呼び出し、毒殺することはできる。
工場長達を外へ誘導したのがデイビッドであるから、なおさら状況は悪かった。
「どうぞお二人共、お引き取りを」
レストラードが青年二人を警官に付き添わせて追い出し、三人だけが残った小部屋で息を吐く。
「これでいいんでしょう? 検屍官。そしていいタイミングのお戻りで大魔導師殿」
「はい」
「少し外に出ている間に、随分と状況が進んだようだね」
「進みすぎて、わけがわかりませんよ」
両手を投げ出して、レストラードはソフィアを軽く、恨めしげな目で睨んだ。
「デイビッドが容疑者なのは違いありませんからな。検屍官がなにを狙っているのか、私は知りませんよ」
「はい。蛇のように狡猾で執念深く、影のようにどこにでも潜み、付きまとうような犯人です」
十三羽の黒つぐみ、とコンラートがつぶやいた。
「なんです、それは」
「師匠?」
聞き返したレストラードとソフィアに、コンラートは紫色の眼差しを細めて肩をすくめた。
「依頼に忠実なカーライル弁護士を除く、十三人の関係者――リチャード、トマス、デイビッド、ロバート、リディア、ロビン、エレノア、アビゲイル、ボイル夫人、ジェシカ、グラットン医師、そして出奔したデニスとローズの夫妻」
その中に“私が、殺した”と歌う一羽がいて、それを見えなくするパイの包み皮があるのだろうと、コンラートは言った。
事件の死は一つでも、十三人中、四人もが命を落としている状況は尋常ではない。
「なら、焼かれたパイを切り、なにがあったか歌いだした小鳥達から、その一羽をひねり捕まえないといけませんな」
「なんだか物騒な言い方ですね、警部」
「我々の仕事はそういったものでしょう、検屍官」
顔を顰めたソフィアを見ながら、レストラードはそう言って悪賢いイタチのような顔ににやりと笑みを浮かべた。




