第34話 影しかない男(15)
【日曜日・夕食後:ブランドル家-広間】
夕方、遺言の開示場所だった広間は、夜になり事情聴取を行う部屋に様変わりしていた。カーライル氏が使っていたテーブルをレストラードが使い、その脇にソフィアは立っていた。まだロバート殺害の犯人は判明していない。
「確認したいのは他でもありません。貴方が目撃したというロバートさんが燃えていた状況についてです」
最初に呼んだ新工場の工場長は、レストラードの隣にちょこんと立つ少女でしかないソフィアを奇異の目で見た。
政府紋章と検屍官であることを明かすと、「は? 冗談……」と揶揄しかけたのを即座に「冗談みたいな真実だ」とレストラードにピシャリとやられ、一応の納得の姿勢を見せた。
「警察に何度も話した通りですよ。監督室の窓越しにロバートが苦しみながら燃えているのが見えた。それで慌てて駆けつければ人っこ一人いなかった」
何度も言わせる気だと、うんざりした表情の工場長にソフィアは、そのことについてより詳しく聞きたいのだと重ねて言った。
「具体的にどう燃えていましたか? 苦しんでいたのは煙で? それとも肌が焼けただれていく苦痛で?」
「いや……こう胸元を掻きむしるように……熱いと訴える感じで。言われてみたら煙や火傷の感じはなかったな。顔全体に火がかかってたのに」
背を外らせて、両手で首元から胸を掻きむしる動作をしながら話した工場長は不可解そうに首を捻る。ソフィアはレストラードに目配せした。毒の症状と一致する。
「州警察の調書では、監督室には鍵がかかっていた。工場長とデイビッドが鍵を持っていて、工場長の鍵で開けて入った。間違いないかね?」
「ええ、警部さんにもそう話したでしょう? あの部屋は旦那様が工場に来た時の居室であまり使っちゃいない。書類や現金も置いてないから鍵なんてかけてない」
それなりに高価な文具もあったのに不用心と思うものの、いまは警察が追い払っているだけで、事務棟には日中常駐の警備員もいる。
工場とは別棟で出入りする者は限られ、不審者がいればすぐにわかる。
終業した日暮れ後の時間にロバートがいたのはそのためだ。鍵がかかっていたなら、あの部屋は密室状態だったということだ。
「慌てましたよ! デイビッドは取り乱してた……父親が燃えてりゃ当然だっ」
「部屋に入った時に、床に焦げ跡があった。焦げた匂いや煙なんかも?」
レストラードに代わってソフィアが尋ねる。重要なことだ。
「気が動転して気に留めちゃいなかったが……煙っていうか煙い匂いは……焦げたような」
「髪や肉が焦げたような?」
「そういうんじゃない……あれはよく知ってる、石炭炉の燃えている煤と油の匂いだ。なんで気づかなかった!? 火の匂いって納得しちまってたよ」
やはり実際に燃えていたわけではない。炎は幻影の火と見ていいだろう。
現場に入った時、コンラートはすぐに床の人型の焦げ跡に注目した。「石炭の灰のようだ」と言って。あの黒い影は、焦げた匂いがない違和感を誤魔化すものだ。
「どういうことだ。そんなことこれまで一言も……」
「警部、これは心理学の問題です。燃えている人を見た異常な状況下で、誰もが冷静じゃありませんでした。その時、最も大きな違和感に人は意識が引っ張られます」
この場合、人体発火と消失だ。漂っていた慣れ親しんだ焦げ臭い匂いは、ただの火の匂いと錯覚し処理される。本来、異なる匂いがする違和感は追いやられる。
レストラードが罪なき人々の証言について言及した通りに、人は見たいものを見て導き出されることを思う。あとは知らない。
「なっ……じゃあ、奴は、ロバートは自殺じゃないのか!?」
「発見された遺体は、死後に燃やされたことがわかっています。なのでもう一度お聞きします。本当に、部屋には誰もいなかったのでしょうか?」
ソフィアの問いに、工場長はうーむと呻いて頭を掻きむしった。
「お嬢さんと話してたら、段々わからなくなってきた……いなかった……と思う。いやわからない! 部屋も暗かった、ガス灯も落ちてて」
「どうして誰もいないって言えたんですか?」
「デイビッドがすぐ、自分の事務室からランプを持ってきて。ロバートがどこかに行ったんじゃと一緒に探しに出た……あの時もし誰かいたんなら……」
監督室は、事務棟の入口の廊下の突き当たりから階段を登ってすぐの場所にある。だが、裏手の工場へ回る通用口もある。自分たちとすれ違ってないなら、ロバートはそちらから出たと、デイビッドや他の工員と一緒に探していたらしい。
ソフィアは監督室の様子を脳裏に思い描く。ほぼ真四角の部屋の半分に敷かれた絨毯、そこに設られた立派な執務机と黒い椅子。室内は暗かった……椅子が多少引いてあっても気に留めないだろう。
執務机は足の部分が囲われたもので、机の下は見えない。そこに遺体を押し込んで、犯人もまた隠れた。
「でも人が隠れる場所なんてあの部屋にはっ! 入口から明かりで照らしたし」
「事務室からとっさに持って来たなら、手元を照らすオイルランプですよね。蝋燭よりいくぶんか明るい程度の」
「……それは、そうだが」
壁際に柱時計、その奥に立派な本棚が並び、その間に隙間があった。
入口からは死角になる。
「ありがとうございます。もう結構です」
ぺこりとソフィアが頭を下げると、工場長は面食らったように「はあ……」曖昧な返事をして、退室した。
「検屍官?」
「この事件の犯人は、とても頭が良くて用意周到で機転も効ききます……それだけ強い悪意がある」
「ぴったりな人がいますよ、秘書のデイビッド。頭が良く用意周到なら共犯者がいるかもしれん」
レストラードが片手で頬杖ついて言ったのに、「そうですね」とソフィアは答える、そうしてしまってもいいかもしれない。
「……違うって顔だ。検屍官のやり方はいい加減わかってきてる」
ため息混じりに言ったレストラードに、ソフィアは微笑んだ。やはり彼はヤードで一番まともにソフィアの話を聞いてくれる刑事だ。
「大魔導師殿はどこへ行ったんです? 検屍官の側にいないのは珍しい」
「師匠は、弁護士のカーライル氏を駅へお見送りに」
「なんでまた?」
「首都に問い合わせたいことがあるって言ってました」
「この家には電話がある」
「電話じゃ連絡できない相手らしいです。郵便局は閉まっているから駅で電信を頼むそうです。特急停車駅だから駅員の宿舎があって助かったって言ってました」
あの人もよくわからん人だと、レストラードはぼやいた。ソフィアもコンラート個人の考えはよくわからない。魔術の師匠や、王女だった頃のソフィアの側にいた魔法使いのコンラートはよく知っているけれど。
でもいつだってソフィアを守り助けてくれる。
「で、次は誰をお呼びします?」
レストラードの問いかけに、ソフィアは少し思案した。
当初はトマスやデイビッドから話を聞くつもりだったけれど、ロバートの死因は工場長の話で十分だ。いまあの二人をいたずらに刺激するのはよくない気がする。
ソフィアは考えた末、リチャードの妻エレノアを指名した。
◇◇◇◇◇
「あの、わたくしに、警部さん方のお役に立つお話はできないと思いますが」
服喪の黒のドレスのままなのは、未だ玄関ホールの弔問客が途絶えないためだ。大半、執事や侍従、パーラーメイドに任せているが、知らせを受けて挨拶に来始めている付き合いのある貴族は夫人が挨拶する必要がある。
いい加減、屋敷の扉にも錠を下ろす頃ではあった。首都行きの戻り列車もなくなる。ソフィアは勧めた椅子に掛けたエレノアに一礼した。
「ロバートさんのご家族について教えていただきたくて。トマス様とデイビッドさんのお二人は乳兄弟だとお聞きしました」
質問は、はなからソフィアに任せられた。「検屍官の方が、貴族のご婦人と話すのは慣れているでしょう」とのことだが、たぶんレストラードが苦手なのだ。
「ええ、デイビッドの母親のリディアが乳母でしたので」
「お二人は同い年ですが、誕生日も近いんですか?」
「三ヶ月違いです。リディアが先です。わたくしは産後の肥立ちが悪く……彼女に任せて半年ほど別荘で療養を。でもそういったことは珍しいことではありませんわ」
母親が子供の面倒を見ないことを言っているのだろう。ソフィアがコンラートに師事し、グラハム伯爵家と付き合いもあるのは知っているが、どう見ても平民だから。
「知っています。生まれた時と名付けと洗礼式の時だけで、ある程度育つまで子供と会わないのも普通だとか」
「わたくしは戻ってからは、それなりに。最初の子供で嫡男です。それにやはり……可愛いですから」
「でしたら、いまはトマス様が反発されてお辛いですね」
終わりに付け足された言葉が、ぎこちなく感じられたのは気のせいだろうか。
談話室で口喧嘩のようになった時も、息子と距離があるのは彼の反抗心のせいばかりとは思えない。トマス自身は根は真っ直ぐなところがある。
「いずれ当主の重圧や、夫とデイビッドへの劣等感でしょう……あの子は頭は良いけれど……事業には向いていませんから」
膝の上に重ねた手に視線を落とし、率直に打ち明けたエレノアにソフィアは少し驚いた。彼女は貴族令嬢だった人だ。トマスが独身である以上、いまも屋敷の女主人。優雅で貞淑で家の中の事情など、他人に話すことはしない人物だと思っていた。
「先日、お恥ずかしい場面を見せてしまいましたもの。いまさらです」
「貴女も誠実な方ですね、レディ・ブランドル。では、一緒に育ったデイビッドさんのこともきっとよく知っていますね」
「ええ、小さい頃から利発な子でしたわ。とても家族思いで、父親のロバートに不幸が起きる前は、彼もデイビッドを可愛がっていました。本当に不幸にも、事故の時期にデイビッドの髪色が変わったものだから……」
途切れがちにトマスのことを話すのとは違い、饒舌にデイビッドについて語るエレノアの言葉に、ソフィアは目を瞬かせた。
髪色、とは……どういうことだろう?
「幼い頃は亜麻色の髪だったの。天使のようで……でも大きくなるにつれ茶色が勝って、両親が金髪の子供でもよくあるでしょう?」
「はい……」
「巻き込み事故は十歳の頃だったかしら。丁度、アビゲイルのような髪で……ロバートはリディアに疑念を抱いたけれど、そんなことあり得ません。リディアはデニスに捨てられて、双子で同じ顔した夫のことは毛嫌いしてました」
「え、あのっ……ちょっと待ってください!」
ソフィアは声を上げて、エレノアの話を中断させた。
「双子って?」
「検屍官、知らなかったんですか? デニス・ブランドルはサー・リチャードの双子の弟です。出奔前から学友や領民を虐めたり、学校では寮を抜け出し未成年から酒場に出入りしたりと問題児だったらしい」
「知りませんっ! どうして教えてくれないんですか?」
「お教えしましたよ。でも、寝てたでしょう。大魔導師殿から聞いていると思っていましたよ」
うぐ〜っ、とソフィアは下唇を軽く噛んで唸った。
ブランドル家に向かう馬車の中で、居眠りした自分が恨めしい。
コンラートはその後すぐ、魔石動力炉と工場機会に夢中になった。きっと警部から聞いた話を後でソフィアに伝えるつもりが、頭から飛んだのだ。
「二人が双子なことがなにか?」
「……すみません。大丈夫です。リディアさんはサー・リチャードを嫌っていた?」
「ええ、乳母として仕えてくれたのが不思議なくらい」
デニスの仕打ちの後始末でもあったのだろう。
当時ブランドルで一番有望な機械工ロバートとの縁組をリチャードが打診した時も、余計なお世話だと大変な剣幕だったらしい。
だが結婚してしばらくしたら、すっかり落ち着いたとエレノアは言った。
「ロバートは、リディアを愛してましたもの。金髪で灰色目がとても綺麗で、リディアは幸福が約束されていたような人でした」
お酒に溺れて見る影もなくなったが、ロバートも知的なハンサムだったらしい。
お似合いの美男美女だったと、エレノアは少女が憧れるような眼差しで言った。
家が没落し、資産家だが格下の地主階級の家に売られるように婚約させられた令嬢には、傷心の女性を愛する青年が騎士物語のように見えたのかもしれない。
「ロバートの暴力で、道連れにのように足まで悪くする運命だなんて……夫はデイビッドに責任を感じていたんです。だから彼に賃金と学資と機会を与えた」
デイビッドも経営の才能を見せ、トマスを支えられる者に育てるつもりでいたのだろうとエレノアは話した。だがその才能と期待に熱心が過ぎた。
「すっかり裏目に出てしまって……トマスは父親に見放されたと。それでもデイビッドのことは認めていた。だからあの子がカーライル弁護士に、あんなことを聞き出そうとするなんて、わたくしたまらなくなって……っ」
胸のつかえをため息と共に吐き出し、エレノアは両手で顔を覆った。あの談話室の言い争いはそういった事情だったのかとソフィアは深く納得した。
「失礼しました……あの、そろそろわたくし戻らないと……」
「はい。色々と詳しいお話を感謝いたします。レディ・ブランドル」
ソフィアはローブを摘んで頭を下げる礼で、エレノアに敬意を払った。
エレノアが去って、レストラードがしげしげとソフィアの顔を見てきた。
「――検屍官、そういうのもちゃんと出来るんですな」
「できますよ。師匠に教わったんです」
「あの人は魔術の講釈だけじゃなく、作法の先生みたいなこともやるんですか。つくづくなんでもありな人だ」
たしかにコンラートはなんでもありなところはあるけれど、レストラードがそう言うとなんだか毒気を抜かれるおかしみがある。
「じゃっ、次は誰を? 今後は検屍官も事情聴取にいてほしくなりますよ。皆ぽろぽろ驚くことを話してくれる」
「いませんよ。今回は検屍の答え合わせや、ロビンさんのこともあるので特別です」
大体、いつも現場から遠ざけようとするのにとソフィアは胸の内でぼやく。
刺激するのはどうかと思ったが、やはりトマスに話を聞きたくなった。こうなると彼とロバートの関係も気になってくる。
「まったく、死人相手の奴らは生きてる者への配慮がない」
「相手をするのは死人ばかりじゃありません。サー・トマス」
「トマスでいい。敬う気もない敬称など虫唾が走る。トマスさんでもブランドル氏でも好きに呼べばいい」
トマスの皮肉と毒舌ぶりは絶好調だった。
遺言開示の場での彼の様子に少し心配していたソフィアだったが、虚勢ではなく吹っ切れたようにせいせいした感じがあった。
「人を馬鹿にするのもと思ったが……親父殿にはブランドルのことだけと、はっきりわかってすっきりした。デイビッドすら部品に過ぎなかったと思えば、奴を意識するのも馬鹿馬鹿しい……聞きたいのは奴の父親のことだろう?」
さすがに話が早かった。トマスは非常に頭の回転が早くて機転も効く。だが犯人ではない。彼はロバートを心から尊敬している。監督室の下に手向けた花はルドベキア。花言葉は「あなたを見つめる」「立派」「正義」「公平」だ。
「あの人は、そうだな……デイビッドにとっての親父殿のようなものだ。彼に教わったことは色々ある」
そうしてトマスは語り出した。
トマスとデイビッドと彼らの父親の話を――その途中でアビゲイルが階段から転落した。
「っ、貴様は神は神でも死神の加護があるんじゃないのか!? 貴様といると常に女が叫び人が倒れる!」
「同感ですな」
居間を出る時にトマスとレストラードの言葉に、失礼なとソフィアは頬を膨らませたが、文句は後だ。
「なにっ、なんなのっ!? どうしてこんなことが――っ!」
「レイアリングさん!」
階段下にアビゲイルを抱えるロビンと、おろおろしているジェシカがいた。
「揺するな! 頭を打ってたらどうする! そっと床に」
トマスがロビンを指示しながら、近づいてアビゲイルを床に寝かせて様子を見た。
気を失っているだけに見えるが油断はできないと、レストラードにグラットン医師を呼んでもらうよう、トマスは頼んだ。
彼はもう診療所に戻っていて、レストラードがすぐ警官に手配する。
「あの使用人と話して離れた直後に転げ落ちたのよ! あの人がどうして二階にいるのよ!?」
ジェシカが階段上を指差す。
そこには呆然と立ち尽くし、デイビッドが階下を見下ろしていた。
「レイアリングさん、これを……落ちた彼女の手にあったんです」
「黒い……紙人形……」
「なんだそれは。そんなものより、おいっアビー! デイビッド!」
「違う……僕じゃない……」
「おいっ、待て――!」
トマスの「俺」とおなじく、それが本来のデイビッドの口調なのだろう。
首を横に振りながら後退って、デイビッドははその場から逃げ出し、二階の廊下を走り去った。




