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第33話 影しかない男(14)

【日曜日・夕方:ブランドル家-広間(サルーン)


「それでは、遺言執行人としてサー・リチャード・ブランドル故人の指示による、遺言状の開示を行います――」


 神妙な面持ちでソファや椅子に座り、静まり返っている人々の視線が注がれる中、弁護士のカーライル氏が厳かに宣言した。手元には一通の封書がある。


「使用人および弁護士報酬を除いても、ブランドル氏の遺産は一〇〇万ポンド以上の莫大なものです。これは土地家屋や事業を売却しない、現状の資産総額となります」

 

 リチャードの葬儀は日曜の午後に滞りなく行われた。

 教会での埋葬儀式を終え、ブランドル家の人々は屋敷に戻り、主だった使用人達も共に広間(サルーン)に集まっている。

 

「顔色が悪いな……」

「大丈夫です」

 

 遺言書の封をペーパーナイフで切る間、令息から当主となったトマスが、秘書デイビッドに声をかけ、気遣うように左肩を軽く叩く。

 デイビッドは殺された父親ロバートの葬儀を月曜日にずらしていた。

 遺体を葬儀屋に委ね、火葬するためだ。

 司法解剖後、グラットン医師の手である程度の修復がされたものの、表面の炭化が惨たらしく内部の腐敗もひどい遺体は、その惨状と衛生面も考慮されて昨年出来たばかりのプレストの火葬場へと運ばれることになった。

 埋葬は遺髪と、集めた遺灰と遺骨で行われる。


「お前はお前で父親を亡くしてる。親父殿の世話もして仕事も教わってた……いわば父を二人亡くしたようなものだろ。無理するな」


 町の鼻つまみ者のロバートだったが、火葬せざるを得ない遺体で発見されたことはさすがに住人達からも同情が集まった。ブランドル家においても同じく。

 いくらリチャードと因縁があろうと、その理由は心情的に理解出来ぬものでなく、そのように惨い死が与えられたのは酷だと人々は話した。

 俯いて唇を軽く噛んでいたデイビッドが、震える声で答える。


「平気です。トマス様こそ……今後の重責を思えば……」

「本当にそうなるか、疑問だがな」


 自嘲を浮かべてトマスは答え、デイビッドは黙り込んだ。他の誰も二人の青年の間には入れない雰囲気であった。まるで支え合う兄弟のようにも見える。

 実際、二人は乳兄弟だ。幼少期はブランドル家の乳母を務めた、デイビッドの母親リディア・クックの手で兄弟同然に養育されていたらしい。

 そのリディアは足が不自由で来られない。不自由になった理由が夫ロバートの暴力であり、その要因がブランドル家の工場事故にあるために非難する者はいなかった。


「――シュタウフェン卿とミス・レイアリングは、立会人として同席をご遺族より認められています」


 カーライル氏の言葉に、コンラートとソフィアは皆に軽く一礼する。

 談話室ではトマスの揶揄でしかなかった話が、現実になっていた。

 リチャードの検屍をソフィアが担当し、コンラートと共にブランドルの事件捜査に関わったことでそうなった。


「では――」


 弁護士らしくカーライル氏は、遺言書に書かれた故人の言葉を淡々と読み上げる。

 広間にいるのは、金曜の晩餐会の出席者と執事、家政婦長、馬丁、三つの工場の長だ。弁護士を通じ集められているため、少なくとも相続に関わる者達である。

 あっさりした前置きの文章が終わり、壁際に立って控える使用人達に対する労いが告げられていった。


「思っていた以上に手厚いね」


 ひっそりとコンラートがソフィアに囁く。

 執事は終身雇用と年間五〇ポンドの年金。家政婦長には町にあるアパートの居住権と五〇ポンド。馬丁に五〇ポンド、工場長に各二〇〇ポンドずつ、他使用人には勤続年数に応じて三〇ポンド以下の一時金。

 それぞれ年収やそれ以上に相当する破格の分与で、使用人達は互いの幸運に歓喜している。だが、そこに秘書のデイビッドは含まれていなかった。

 室内の何人かが「やはり別扱いか」といった顔をし、デイビッド本人は平静を保とうとして、考えの読み取れない思い詰めたような表情になっていた。


「次に、ブランドル家のご家族と近親者の方々への配分です――ボイル夫人には領内のコテージ一軒と年三〇〇〇ポンドを十年間。その娘のジェシカには信託預金三万ポンドこれは結婚時か五年経過後にご本人に渡ります」

「たった十年!? それにどうして娘と母親のアタクシが実質同じ額なの!?」

「夫人、家付で年三〇〇〇ポンドは大変な額です。たったではなく十年もあれば十分資産形成は可能ですよ。従妹の方にこれは破格と言えます」


 カーライル氏が銀縁の眼鏡の位置を直しながら、ボイル夫人をたしなめる。

 ジェシカも夫人の服喪のドレスの袖を引っ張って、「そうよ止して頂戴」と恥入るように言った。彼女は十分満足したようだ。


「貴女は未来があるからいいんですよっ」

「お母様も十分やっていけるじゃないの……お父様が亡くなる前よりずっといいわ。半分貯蓄に回しても貴族のご夫人暮らしが出来るのに、なにがご不満なの?」

「そりゃ、そうですけど」


 もっとごねるかと思ったら、あっさり認めて大人しくなった。ボイル夫人は本当に無防備で、天真爛漫な人だ。またそれ以上にリチャード・ブランドルという人物は、死しても領主たる体面を重んじる人だとソフィアは感じた。

 ジェシカが「よそ者のお茶会」で言っていた通りである。

 使用人から始まり、それぞれに偉大な領主たる印象を持たせるに十分な、破格でいて各々に対しする身分相応の配分と条件には感心してしまう。


「続いて、義弟のトリスタン・グラットン医師ですが……」


 そこからは順調に、事務的に粛々と配分が告げられていった。

 グラットン医師には主治医の務めと領民の健康への貢献、義弟としての付き合いへの感謝を込め、診療所の建物設備と一万ポンド。

 彼の反応は、感嘆の口笛まじりに呆然と感想をつぶやくだけだった。


「出すところには出す人だが、これはなんというか……太っ腹だ」


 妻エレノアには、ブランドル屋敷や別荘の終身居住使用権、年間一万ポンドの信託終身年金。結婚期間の感謝として現金二万ポンド。

 ここから侍女への労いも出すよう指示もあったが、十分すぎる額である。「お母様の結婚生活は金銭面では報われたわね」と、アビゲイルが娘ながらに政略結婚の両親に対して思うところがありそうな感想を漏らす。

 そのアビゲイルには、結婚か二十五歳を過ぎたら自由にできる十万ポンドの信託預金が遺された。持参金として魅力となり、事業家の娘として独立するにしても一生不自由しない額である。


「……実弟デニス様の遺児、姪のロビン・ブランドルには、帰国後の生活拠点に首都の邸宅(タウン・ハウス)、ブランドル一族として失われた過去の補償分二万五千ポンド、今後の生活資金で年間一千ポンドの信託終身年金」

「……そんなにっ!?」

「ロビンは欲がないわね。私でもあんな破格な遺産だったのに」


 ジェシカの言葉に、ソフィアはロビンの遺産について考えを巡らせた。

 それまで年数十ポンドで慎ましく暮らしていたはずの、農家の娘にとって夢のような遺産には違いない。しかし、娘のアビゲイルの持参金と比べたら、姪として妥当なものだ。むしろ従妹の娘でしかないジェシカにも手厚いことを考えると、物足りなさを覚えてしまう。


「よかったわね。リチャードおじさまが、“お前は誰だ!?”なんて言い出した時はどういうことかと思ったけれど、ちゃんと考えてくれていたんだわ」

「ええ、本当に……いいのでしょうか」


 戸惑うロビンに、ふんっとトマスが鼻白むように冷笑を漏らす。


「平民の感覚だと有り難みが増すものだな。本来ブランドルの令嬢として暮らし、相応の家に嫁ぐはずだったと考えたら、温情程度の見劣りする額だというのに」

「ミスター……いいえ、サーは誤解される物言いをなさる方ですね」

「そのままを言っただけだ」


 自尊心ゆえに表面棘はあるものの、トマスから何度も庇うような言動を受けているロビンが言葉返せば、彼は彼女から顔を背けて黙った。

 順当に行けば大部分の遺産は彼に渡るはずである。親族近親者の手厚い分与から考えても将来は約束されているはずが、トマスは不安と苛立ちで神経質になっているのを隠しきれない様子でいる。デイビッドに関する言及が一向に出てこないからだ。


「そして――秘書デイビッド・クック。彼には厳格な条件付き分与となっています」


 カーライル氏がそう言って、ハンカチを片手に額を拭った。眼鏡の奥から、デイビッドを見つめ、片眉の根本に皺が一本刻まれる。

 そして告げられた内容は、広間に大きなどよめきを走らせるものであった。


「現金一万ポンド、以下はブランドルの事業に所属する場合にのみ有効なもので、新工場の株式一五%、事業管財人権限の付与、管財人報酬で事業利益の三%――」

「馬鹿なっ!」

「デイビッドは秘書だぞ! あり得ない!」


 声を上げた新工場の工場長の言葉は、この場にいる者全員、デイビッドをも含めた感想と驚愕であった。なぜならカーライル氏が結びの言葉を言い終わらないうちに、最初の叫び声を上げたのはデイビッド自身だったからだ。


「御令息のトマス・ブランドルには、四五〇〇エーカーの所領とブランドルコートの屋敷、他者に贈与後に残る他不動産のすべて、動産は全事業株式の五%を分与する」


 室内のどよめきを無視し、カーライル氏は続けてトマスへの分与を声を張り上げ気味に伝えたが、人々の動揺を大きくしただけであった。


「領地収入は年間最低でも十万ポンドは下らず、事業株式の配当は時価五万ポンド相当になります」

「……はっ、まさにお飾りだな。跡取りとして言い訳は立っても、事業は渡さない親父殿の意思は明白だ。どこまで人を馬鹿にすれば……っ」

「こんな……なにかの間違いでは、トマス様……」

「間違い!? さすがは親父殿と誰もが納得の采配だろう! おめでとう、デイビッド! この瞬間にお前は億万長者だ。ただし生涯、私の影となりブランドルの事業に使い倒される条件付きでッ!」


 息子の自分も、子供の頃から長年尽くしてきた忠臣も、その生涯とプライドを踏み躙られた! そうトマスは亡き父親を詰った。


「こんな遺言を残すなんて! 偉大なるブランドルのリチャード王らしい! 私は無能の息子と烙印を押されて家の名誉の象徴となり、忠臣デイビッドは黄金の鎖で首を繋がれる、まるで中世喜劇だ!」


 その中世の劇役者の如く、高らかに言い放ったトマスの哀感と虚しさが広間中に響くようであった。いつの間にかどよめきは沈鬱な静けさとなっていて、誰もがなにも言えない顔をしている。

 カーライル氏が、ごく控えめな咳払いをした。


「愛する息子と事業のすべてを教えた若者に、ブランドル家の将来の繁栄を託すと遺言状には記されております」


 果たしてその言葉は、二人の青年にとって慰めや救いとなるのだろうか。

 本当に一幕の悲劇的山場を見た気分でソフィアは二人を眺め、コンラートの横顔を見た。コンラートは黙っている。注意深い眼差しで人々の様子を眺め、なにか深く思案している様子だった。


「師匠……なにか気になることが?」

「一通り関係者への分与は発表されたが、ブランドルの資産の大半がまだ宙吊りだと思ってね」


 彼の言葉に、広間中の人々がはっと息を呑んだ。

 たしかに、主だった不動産や事業権利はトマスとデイビッドに渡るとはっきりしたが、これまで築き上げてきた資産――莫大な現金や株式、有価証券他とその配当の行方が不明だ。


「残る動産の資産についてですが、無作為な投資や事業の段階は脱したと、ブランドル家が創立する、事業財団の設立資産とする旨の委託を依頼されております」


 職業的な報告口調でカーライル氏がコンラートの疑問に答え、場にいた全員が肩透かしを喰らったような困惑に包まれた。


「事業財団ってなんなのかしら」


 思ったことが口に出るボイル夫人の言葉が、全員の感想そのものであったが、それについての理由はすでにカーライル氏によって述べられている。

 つまりブランドル家が有する現金資産や株式の類、投資で得ている配当の大部分は事業資金として私有ではなく財団管理となるということだ。

 

「おそらく……資産そのものを事業財団化することで、今後の税金の優遇を受け、個人が受け継げば避けられない、莫大な相続にかかる税の損失を回避する策かと……」

「最後まで、親父殿が考えそうなことだ」


 デイビッドの説明と、トマスの一言で親族も使用人達も納得した。

 しかし、ソフィアが見る師コンラートの横顔はそれでも思考するのを止めていない表情であった。

 こうしてリチャードの遺言開示も、一部困惑と動揺はあったものの滞りなく終わった。あとは具体的手続きに進むのみとなり、翌日にはロバートの葬儀と埋葬もされ、捜査は継続なもののブランドルは平穏を取り戻すと思えた。


「なにっ、なんなのっ!? どうしてこんなことが――っ!」


 遺言状の開示がされた夜、屋敷の階段からアビゲイル・ブランドルが転倒し、その手に側に黒い紙人形が握られていなければ――。

 ジェシカが指差す階段の上部から見下ろす形で、デイビッド・クックが立っていなければ。 

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