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第30話 影しかない男(11)

 【金曜日・夜:ブランドル家-晩餐室】


「お父様ったら、人を呼びつけておいてご自分は寝室ってどういうことかしらっ」


 テーブルの燭台に灯る蝋燭の火に、薄茶色の結い上げた髪の後れ毛が金色に見え、淡いピンクのリボンが揺れている。リボンと同色のチュールレースを重ねたドレスを着た少女はアビゲイル・ブランドル。

 ソフィアと同じ十八歳。隣街プレストの名門寄宿学校にいて秋に卒業するらしい。


「まったくだ。出席できないなら日を改めるなりできたはずなのに、デイビッドは親父殿に進言しなかったのか?」

「絶対安静で、私のような者が寝室をお尋ねするのは気が引けましたので……」

 

 上席に座るブランド家令息トマスと、末席に座る当主秘書のデイビッド。

 同い年の青年二人は、実に対照的だった。

 どちらも見目よい立派な青年だが、境遇と立場の違いが服装に表れている。


「はっ、お前はいつもそれだな。“私のような者が”、事業も家のことも把握していて大した謙遜だ」


 母親似なのだろう金髪に緑目のトマスは、いかにも首都の社交界帰りらしい。

 洗練された細身の艶のあるテールコートは、青みを帯びた夜更けの空の黒だった。

 品よく光るサテンの襟に添えた、マリーゴールドの花が彼の反発心を思わせる。


「職務と立場は違いますから」


 一方、デイビッドは、まるでお仕着せのような黒いテールコートだった。

 薄茶色の髪をしっかり撫で付けているのも含め、とにかくこの場の形式に合わせたのが見て取れる。灰色の瞳が理性的で品のいい顔立ちと姿勢の良さがなかったら、彼には申し訳ないけれど、ひどく場違いに惨めだったかもしれないとソフィアは思う。


「トマス、お父様に代わりホストなのよ貴方は。アビゲイルもお客様の前で」

「その役は母上にお任せします。だが母上の仰ることは正しいな、アビゲイル」

「なによ……」

「そうだろう。学校で学んでいない親族達のがまだ淑やかで、見習い魔導師の検屍官様のがよっぽど女王陛下にご挨拶できそうだ」

「よしなさい。失礼しました……二人とも今日戻ったばかりの疲れと……警察の方々が外をうろうろして落ち着かないでしょう。気が立っているようなの」


 息子と娘をたしなめ、ブランドル夫人のエレノアは深緑の絹サテンのドレスの肩を落とした。女主人で子爵令嬢であった優雅さと威厳を見せるような装いだった。

 繊細な黒レースが露出したデコルテと二の腕を覆い、胸元に大粒の真珠を繋いだネックレスが光っている。


「本当にね、まるで番犬を解き放ったようだこと」


 ジェシカの母親ボイル夫人が言葉を、「つまりこの家はいま最も安全だ」とグラットン医師がまぜっ返したが、笑う者は誰もいない。

 日中の遺体発見もあって、なんとも言えず重苦しい夕食の席だ。

 客らしい客がいないため、ブランドル家の一族が上座についている。

 ソフィアとコンラートはリチャードに挨拶もしていない飛び入りの、警察の協力者なので微妙な立場だ。

 長方形のテーブルの家長の席は空席で、右側に令息のトマス、令嬢のアビゲイル、夫人のエレノアが掛けて、コンラートとソフィアが続く。

 左側の上座にはロビン、グラットン医師、ボイル夫人、ジェシカ、ゲイリー・カーライルと名乗った弁護士、デイビッドが続いていた。

 男女交互が習わしだけれど、カーライル弁護士とデイビッドは、ソフィアと違って使用人扱いの下座なのだろう。

 

「……おじさまがいなくても十分不愉快ね」


 ぼそりとジェシカがつぶやく。深いローズ色の絹サテンのドレスが彼女らしかったが、遺体を発見したショックがまだ尾を引いているのか元気がない。

 肉なんて出たら食べられない、と言っていたが、幸いにも慣習的に肉料理は避ける金曜の夜。メインディッシュは鮭にレモンと野菜を添えたグリル料理だった。

 元気がないなりにジェシカは食欲は旺盛で、昼食を控えたからとソフィアより明らかに多く皿に取り分けてもらっていた。

 やはり彼女はどこか滑稽だ。愛すべきジェシカ・ボイルである。

 

「だけどリチャードはなにを考えてるの? 最近見つかった姪と弁護士はいいとして、使用人まで招いて。亡くなった父親も見つかってよくこの場に――」

「お母様っ! 皆が触れないところにどうして触れるのよ」

「大事なことでしょうっ」

「いま言うことじゃないでしょう……まったくもう」


 ボイル夫人はジェシカの母親とすぐわかる、同じ茶髪鳶色目をした四十半ばの夫人だった。意地の悪さが嫌味から少しずれる感じも親子同じだった。

 濃い紫のドレスが幾分古さを感じ、威厳を保とうとする居候の境遇が垣間見える。

 正式には遺体がロバート・クックかは確定待ちだ。

 解剖は終えても、身体的特徴の検証や照合は明日になる。ソフィアの分析作業もこれからで、デイビッドはかろうじてまだ喪に服していない。


「今夜は随分と良識派だね、ジェシカお嬢さんは。ロビン、君は遠慮せずにもっと食べた方がいい。彼女にもう少し取り分けてやってくれ」

「わ、わたしはほどほどで……」


 グラットン医師がロビンを気遣い、身内の気安さで給仕に指示する。

 彼も黒のテールコートだが、洒落者なトマスや儀礼的なデイビッドと比べ、寛いだ着こなしだった。急患がでたら、正装を腕まくりして処置にあたりそうである。

 ソフィアの正面に座る、銀縁の眼鏡が堅物そうな、カーライル顧問弁護士の無難で保守的な正装との職業的な違いを思わせた。

 ジェシカと違い、ロビンは食事があまり喉を通らないようだ。

 夜の正装も淑やかで、灰色がかったベージュの絹タフタのドレスだった。チュールレースを重ね腕を隠す袖が可憐さを添えている。開いた首元にレースのショールを巻きつけているのは喉が弱く、アウストラリスより夏の夜が涼しく感じてらしい。


「このサーモンはなかなかですね。レモンは自家のものですか?」

 

 ブランドル家のような広い敷地と立派な屋敷なら、きっと果樹や珍しい南国植物を育てる温室(オランジェリー)もあるはずだ。

 コンラートは料理だけでなく、古式ゆかしい特権階級の優雅さにも触れている。

 この重苦しい雰囲気で、いつも通りに穏やかな紳士ぶりを崩さず、場に馴染んでいるコンラートはさすがだなとソフィアは思う。

 服装もいつもの黒衣に白ローブを、金糸の刺繍が華やかさを添える黒ローブに変えただけ。絹地の典礼用で夜会にも出られる。他人に左右されない彼の性格が感じられた。

 ルドルフシュタットの王宮にいた頃は、侯爵家と距離を置く王の庇護を受ける青年として立ち回っていたから、この程度の気詰まりな場はなんでもないのだろう。

 ソフィアはといえば、早々に退場したい。

 お世辞にも和やかな夕食会とは言えなかった。

 お料理は美味しく、気に入ったものだけお皿に盛って客間でゆっくり味わいたい。


「フィフィ、あまり物静かでもよくないよ」

「師匠みたいには無理です」 

「人見知りはしないと思っていたけれどね」


 人見知りしないけれど、この場でにこやかに食事を楽しむのは無理だ。

 それにしても「一着くらいは旅の装いに用意しておくものだよ」と荷物に入れられた夜向けドレスを、本当に着ることになるとは思わなかった。

 アイボリー色の絹ファイユのドレープと琥珀色のリボン飾りが可愛らしい、既製のツーピース・ドレスはコンラートが見立ててくれたものだ。


「シュタウヘン卿に師事されるお嬢さんだけあって、とても所作が美しいですね」

「そうね、エレノアおばさまの仰るとおり、お茶会の時は地味に見えたのに。いまは上品で愛らしいわ」

「……ありがとうございます」


 王女だった頃に礼儀作法の繰り返し練習させられていたからかなと、ソフィアはコンラートが誉めた魚料理にナイフを入れながら思う。

 

「よかったね、褒められて」


 コンラートの言葉に少しばかり、ささくれ立っていた場が和みかけた時だった。


「楽しんでいるようだな」


 少しばかり息苦しそうな、しかし威圧感のあるざらりとした低音の声が晩餐室の雰囲気を一変させた。

 誰と聞くまでもなくサー・リチャード・ブランドルだとわかった。

 体調不良にも関わらず、きちんとした正装姿で現れた男は当主たる威厳に満ちていた。ソフィアとコンラートを除く人々にぴりっと緊張が走り、皆、目線を下向ける。


「いらん、デイビッド! 貴様は客だ。静かに座っていろ」


 一番末席のデイビッドが彼を支えようと席を立つが、すぐさま一喝され座り直す。


「父上の代わりは、母上が。思ったより元気そうですね」

「ふんっ、服まで道化に成り下がったのか? トマス、お前を首都にやっているのは遊び呆けさせるためでも、首都の事務所で教師の真似事させるためでもない」

「貴族は遊び呆けるのが仕事ですよ。父上には理解し難いかもしれませんが……それに首都で賃金を渋ってろくな事務員がいない」


 席についた父親に最も近い席で肩をすくめたトマスに、隣に座る彼の妹のアビゲイルが制止するように暗い色の袖を引っ張る。だが、トマスは意に介さなかった。


「あまりにお粗末じゃ、デイビッドの仕事が増えるだけです」

「お粗末なのはお前だ。首都で顔を出すクラブも商談にもならん道楽者の溜まり場ばかりらしいな。少しはデイビッドを見習え」

「次の時代を席巻する技術を論じる場で……止しましょう、客人に父上の無知を晒すだけだ」


 和みかけた夕食会は、緊張の糸が切れそうに張り詰め、息詰まる場となっていた。

 それを破ったのは他でもないコンラートだった。


「先ほどはお休みのところ失礼しました、サー・リチャード。飛び入りの客に素晴らしい夕食のもてなし、感謝します」

「どのような客とて、このブランドルの屋敷で歓待せんなどありえんよ。義弟が面倒をかけ申し訳ないほどだ、シュタウヘン卿」


 完璧に他所向けの微笑みをコンラートが浮かべる。

 鷹揚に頷いたリチャードはソフィアに目を向けた。


「ああ、そちらのお嬢さんかね? 随分と愛らしいが、グラハム卿の支援で創薬研究とは大したものだ」


 リチャードの言葉にアビゲイルとロビンを除く人々が、一斉にソフィアを見た。

 グラハム伯爵も夫人も、貴族社会で大変に力を持つ人だからだろう。

 ソフィアにとっては、時折仕事をくれて、会えば娘のように可愛がってくれる親切な貴族のご夫婦でしかない。向こうもそんな付き合いを望んでいる。


「技術がどうのと口先だけのお前とは違うと思わんか、トマス」

「……っ」


 おそらくこの親子が考える支援とは違うと思うけどなと、ソフィアはコンラートをちらりと見た。きっと弟子の立場でソフィアが蔑ろにされないように、リチャードとの世間話に混ぜたに違いない。


「ん? おいこの令嬢は誰だ、トマスお前か!?」


 突然、叱責するように問いただしたリチャードに、トマスも、テーブルに着く他の人々も一様に戸惑いの表情を浮かべた。

 それはソフィアやコンラートも同様だった。何故ならリチャードの視線は、彼が招いたはずのロビンへと向けられていたからだ。


「首都から連れてきたのか?」

「一体なんの冗談です? 父上らしくもない」

「なんだと!?」


 怒りを滲ませた態度を見せたリチャードに、トマスも、他の者達もリチャードの様子がおかしいと表情が変化する。

 ロビンは青ざめ、「あ、あの……」と彼に招かれたことを説明しようとしたが、リチャードに気圧され上手く言葉が出てこない様子なのが見てとれた。


「倒れて錯乱しているのですか? 父上が招いたのでしょう。デニス叔父の遺児のロビンを」


 なにかリチャードが思い違いをしているといった調子で、トマスが代弁した。

 他者を冷笑するような態度でいて、やはり内面はそうではない人かなとソフィアはトマスにあらためて思う。

 だって他の人はリチャードの言葉に、ロビンを見る目に少しばかり疑念を滲ませたのだから。ソフィアも事前にロビンから母親の元に届いていた手紙を見せてもらっていなかったら、彼らと同様だったかもしれない。


「馬鹿なっ!」


 リチャードが、テーブルに手を付いて勢いよく立ち上がった。

 ガタン、と椅子が倒れ、テーブルの上で皿やカトラリーも乱れた音を立てる。


「ロビンのはずがない……っ!」

「そんなっ、私はロビン・ブランドルですっ……私や母に届いた貴方の手紙もっ!」

「誰だお前は!? 誰だその女はっ……、っ!?」

「いけないっ――」


 胸を押さえてうめき出したリチャードに、グラットン医師が叫んで立ち上がり側へ駆け寄った。


「無理に起きるからですよ……ロビンのことも、落ち着いてくださいっ」

「グゥ……ウゥゥ……そんなはず」

「旦那様!」


 うっ、と大きく呻いて意識を失ったリチャードに、彼の妻であるエレノアが悲鳴に近い声を上げる。グラットン医師が腕に支えたリチャードの呼吸や脈を素早く確かめ、「大丈夫、気を失っただけです」と答えた。


「デイビッド、手を貸してくれ! ジョージも、リチャード義兄(にい)さんを寝室に!」

「はい」

「た、直ちに……旦那様っ……」


 グラットン医師がデイビッドと控えていた執事に声に指示し、だらりと脱力しているリチャードの体を肩で支えるように担いで立ち上がるのを二人がかりで助ける。

 慎重にこの屋敷の主は、彼の寝室へと運ばれていった。


「そんな……どうして……」

「ロビンさん」


 晩餐室は異様な雰囲気に包まれ、ソフィアがロビンを見る。

 震わせた指先を組んでロビンは茫然自失の(てい)であった。

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