第28話 影しかない男(9)
ブランドル家の屋敷から工場へ行く小道は、丁度、人体発火事件が起きた監督室の真下を通る。
汗ばむような陽気の中、褐色のローブの裾を揺らし、てくてくとソフィアは工場に向かって歩く。温度調節の魔術加工付きローブがなければ日差しにばてそうだ。
「あれ?」
前方に、監督室の窓を見上げて佇んでいる人がいたのに、彼女は足を止めた。
デイビッドではない。彼と同じ年頃の、淡い金髪で一目で仕立ての良さがわかる服と上等の革靴を履き、左脇に書類封筒を挟んだ上流階級の青年だった。
白手袋の右手に握る、庭で摘んできたらしいオレンジ色のルドベキアの花を、青年が道の脇にそっと供えるのを見て、ソフィアは声をかけた。
「ロバート・クックさんのお知り合いですか?」
「っ……!」
驚かせてしまったらしい。ばっと勢いよくソフィアに体ごと斜めに向いて、青年は花を持っていた右手と腕で顔を隠すようにした。
その表情が、人に見られたくなかったと言っている。
「誰だ貴様!」
「あ、ごめんなさい。ブランドルのお屋敷に滞在している、見習い魔導師のソフィア・レイアリングです」
「……見習い魔導師? 大魔導師のシュタウヘン卿じゃないのか?」
「それは、わたしの師匠です」
ソフィアが言えば、ふんと青年は鼻を鳴らし「そういや弟子連れとか言ってたな」とつぶやいた。ソフィア達のことを誰かから聞いているようである。
冷めた眼差しは緑色の瞳で、デイビッド同様に品のいい顔立ちだった。
身なりからして工員でも事務員でもないのは明白だが、それなりに厚みがある封筒を持って、工場へ向かおうとしている。
さっきまでいた「よそ者のお茶会」での会話を思い出し、ソフィアは青年に遠慮がちに尋ねた。
「もしかして……ミスター・トマス・ブランドル?」
「だったらなんだ」
ぶすっと無愛想に、青年はソフィアの問いかけを肯定した。
ジェシカが年下なのに生意気と言っていたが、名家の嫡男らしく偉そうだ。けれどもソフィアを見た目で侮ったり、平民だから見下したりする感じはしなかった。
「どうしてお花を?」
「貴様に関係ない」
関係ある。ロバート・クックの事件の捜査協力を受けた、コンラートの弟子という名目でソフィアはここにいる。
「クックさんと親しかったんですか? 工場事故でサー・リチャードを逆恨みしてたって聞――」
「は、貴様もか。どいつもこいつも……あの人はそんな人じゃない」
ソフィアの言葉を遮り、トマスは口の中でつぶやくように言って、抱えていた書類封筒を彼女に押し付ける。
「大魔導師様ご所望の設計書だ。さっさと渡しに行け」
「えっ、どうして? これはデイビッドさんが首都の事務所に……」
「その首都にいたからに決まっているだろう。どうせ今日帰ってこいと言われていたんだ。業者だって、事務員より次期当主が直接取りに行く方が話が早い」
つまり自ら業者に出向いて、コンラートが要求した工場機械の設計書の写しをもらい、ここまで持ち帰ってきてくれたのだ。
合理的だが、事務所の使い走りがやるような用事を、尊大な態度の彼が代わりに請け負った事実にソフィアは驚いた。
呆気にとられていたソフィアに、彼自身も同じことを思い至ったのだろう。面倒そうに顔を顰めて、たまたまその場にいて聞いたからだと言い添えた。
「領地に戻ると事務所に顔を出したら、デイビッドから電話がかかってきた。親父殿のこともあったから話を聞けば……連結部の負荷だの設計書だの、奴と違って頭の悪い事務所の連中に通じるわけがない」
それ、と。
トマスはついでとばかりに書類封筒を指差した。
「不具合箇所にかかる負荷の程度と部品強度を、移動中の暇つぶしで計算したメモを挟んである。見たら分かると思うが、シュタウヘン卿に伝えておけ」
「え、でも魔術の知識もなしに……」
「どんな状態か詳しく聞けば大体想定できる。デイビッドなら正確だ……魔術のことは知らなくても物理的な数値くらい出せるだろう。マヌケめ」
突然、マヌケだなんて言われた衝撃で、ええっと、ソフィアはたじろいだ。
だが、デイビッドが魔石動力炉の転用を提案し設計を手伝ったのは彼だと言っていたことも思い出す。
「そういえば……魔石動力炉の転用も貴方が提案したって聞きました。それも同じ要領で?」
「デイビッドか、余計な話を。あれは――まて、どうして貴様のような部外者に説明する必要がある?」
トマスの言葉はもっともだ。黙ったソフィアをつまらなそうに見やり、「渡したからな」とトマスは彼女とは反対の、ブランドルの屋敷の方向へ足を向ける。
「なんだ?」
「はい?」
「貴様じゃない」
ソフィアとすれ違い、数歩の進んだところで訝しげにトマスが歩みを止める。
振り返ってトマスに尋ね返したソフィアは、退けられて首を傾げた。
なんだろうと思った彼女の耳にも、遠くかすかな声が届く。屋敷の方向からだ。
ソフィアは目を伏せ、耳を澄ませた。
「居候の娘が、なに騒いで……」
声はジェシカのようだ。ロビンを案内すると言っていたし、最初はきゃあきゃあとなにかはしゃいでいる声かと思った……けれど。
「おい、なにかおかしい。お前、工場行って呼んでこいっ」
「え?」
「ヤードの刑事がいるんだろ! 呼んでこいと言っているんだ! マヌケ!」
いやあぁあぁ――!
今度ははっきり聞こえた。尋常ではない恐怖に叫ぶ声が。
なにか起きたのだ。ソフィアはローブを翻し「はい!」とトマスに答えてレストラードの元へと走った。
◇◇◇◇◇
「……鉄橋、から……見え、る……湖が素敵だからっ、ロビンに教え……うぅっ!」
芝生が広がる庭園のベンチに避難したジェシカが、がたがたと震えながら蒼白な顔で口を両手で覆う。吐くことはしなかったが、隣に座るロビンが背中をさすって介抱した。ロビンは見ていない。ジェシカは不幸にも見てしまった。
確認を頼んだ庭師の背と腕の隙間から、見えてしまったのだ。庭師が悪臭に耐えてめくった防水シートの包みから出てきた、黒焦げで膨れ上がった異形の手を。
「あ、歩いていたら……茂みの方から変な臭いがして……なにか腐ったみたいな……鹿かなにか獣の死骸があるんじゃって、そしたらッッ!!」
「ジェシカさん、落ち着いて……動けそうならお屋敷に戻りましょう」
ロビンが気遣わしげな言葉に、ジェシカはこくんと頷く。
「……ディナーでお肉なんて出たら、絶対に食べられないわッ……!!」
「ハッ、そんなふざけたこと言えるなら、心配する必要なしだな」
「なによっ……トマス様だって見たらっ、泣いて逃げ出すに決まってるんだからっ」
「馬鹿なのか? そんなもの見に行くわけないだろ」
見苦しいと、ぽろぽろ涙を流しているジェシカの膝に、トマスはハンカチを投げてさっさと屋敷に引っ込めと尊大に言い放った。
彼の態度に堪えきれないと、ジェシカを気遣っていたロビンが顔を上げる。
「ミスター! もう少し思いやりがあってもいいのでは!」
「お前か、デニス叔父の遺児とかいうのは……昨日今日でもうそんな大きな顔できるなんてな。さすがに図々しい者の血を引いているだけはある」
「っ、そんなつもりは……っ」
「なら、そいつを連れてさっさと引っ込め! 女がいても邪魔になるだけだ。そこの半人前のマヌケも! 刑事を呼んでくる以外に子供に用はない!」
トマスが声を張り上げる。ソフィアは彼から少し離れ、庭師から発見時の事情を聞くレストラードの側にいた。
マヌケに続いて子供とまで言われたが、同じくらい……いやもっと尊大な態度で「子リス」とソフィアを呼ぶ、どこかの第三王子殿下ほど腹は立たなかった。
陰惨な遺体発見現場から女子供をより遠ざけようとする、彼の意思がその言動から見てとれたからだ。
「――ブランドル家のご令息がああ仰ってます。どうしますか警部」
「困りますな。だが、正直、ご令息の言葉に従いたいですよ。稀に見るひどい遺体なことは間違いない。若い娘が見ていいものじゃ……」
レストラードの言葉を聞き終えるより先に、ソフィアはトマスのところへと進み出ていく。背後で「そうもいかんか」とため息つくレストラードの声が聞こえた。
「ミスター・トマス・ブランドル」
「聞こえなかったのか? 早くお前も……っ!?」
ソフィアが見せた、褐色のローブの内側につける徽章に、トマスが瞠目する。
政府紋章の効果は絶大だ。
それを持つ者というだけで、政府から権限を与えられた存在だと、平民の少女でしかないソフィアの立場を保証する。
「お前……」
「嘱託の検屍官、です」
「冗談はよせ、お前みたいな子供が……」
「検屍官は十八の成年ですよ。ミスター」
レストラードが援護の声をかけてくれたのに、ぺこりとお礼の会釈をして、ソフィアはトマスの顔を見上げた。
「貴方の許可がなくても、職権により検屍を行います。それからブランドル家の方々や、工場の人達はこの一帯に近づかないようにしてください」
貴方も離れてと、真っ直ぐにトマスを見てソフィアが言えば、顔を紅潮させて彼は「勝手にしろっ」と吐き捨て、大きな歩幅で屋敷へ向かっていった。
入れ替わりにこちらに駆けてくる人影が見える。
グラットン医師を連れたコンラートだった。
先に屋敷へ戻ったロビンが知らせてくれたのだろう。デイビッドは州警察への連絡と交渉で忙しいはずだから。
「師匠!」
「フィフィ、随分とひどい遺体のようだ……」
「はい、防水シートに包んで茂みに遺棄されていた。黒焦げで膨らんだ手を見たとボイル嬢が……もしロバート・クック氏の遺体なら最悪丸二日半放置されてます」
「日陰でも相当腐敗が進んでいるぞ、それは」
グラットン医師が表情を曇らせてつぶやく。
ジェシカは遺体の異様な手を見て、悲鳴を上げて逃げたという。
見てわかる手指の形がある、遺体は表面を焼かれ皮膚が炭化しているだけだ。
防水シートは、腐敗時の発生熱や水蒸気を逃さない。
血液や、肉や臓器が含む体液……人体の大半は水分だ。きちんと包まれていたなら、腐敗速度は通常よりも早くなる。夏場でもあり最悪だ。
時間が経って腐敗ガスで遺体が膨らみ、防水シートがずれて臭気が漏れたのだろう。
「来る途中で卿から聞いたけれど、本当に検屍官なのかい? 君みたいな若いお嬢さんが? あり得ない」
「そうですよね」
ソフィアはぶすっとつぶやいた。
第三王子殿下の強いご意向による任命なのだ。
亡命したての難民から政府に関わるアルビオン臣民へ、特例の帰化と引き換えで。
「横暴だと思います……権力、嫌い」
「フィフィ」
「お話中失礼しますが、皆さんお揃いになったところで始めましょうか」
ぱんぱんと場を仕切るように手を打ったレストラードが、抜け目のない刑事の鋭く黒い目をソフィアに向ける。
「仕事ですよ、検屍官」
「はい。行きましょう」
レストラードに応えて、ソフィアはローブのフードを被った。




