第七十一話 『正ヒロイン』
尾瀬さんが最上さんを送り届けた後。
「あ、俺はここでいい。車を止めてくれ」
「庶民、遠慮しなくてよくってよ?」
「少し歩きたい気分なんだ」
「あら。わざわざ疲れる行動を選ぶなんて、庶民の思考は分かりませんわね」
と、いう会話を経て俺は車を降りることにした。
家まではまだ少し距離がある。しかし、考えを整理するためにも、歩きたい気分だったのである。
あと、それからもう一つ。
(尾瀬さんとの無言が気まずすぎる)
この子は俺のことを庶民としか認識していない。
だからなのか、まったくといっていいほど会話する気もなかった。一応、何度か話題を振ったが、全て適当にあしらわれたので、それが気まずくなったのである。
転生前に営業をしていた癖だろう。
知らない相手と無言でいることに抵抗感がある。あの状態が続くくらいなら、歩いていた方がマシだ。
「使用人。車を止めなさい」
「ありがとう」
そう言って、車を降りようとしたのだが。
しかし、尾瀬さんがそれを制止した。
「……西日が眩しいですわ。庶民、このサングラスを持っていくといいですの」
「いいのか? なんか、高そうだが」
「十万程度ですわ」
「なんか悪いが……」
「は? わたくしが愛用しているものを不要と言いますの?」
「いえ、もらいます。ありがとう」
なんか、受け取らない方が不機嫌になりそうだったので、素直に受け取っておいた。
すると、尾瀬さんは満足そうに頷いてから、しっしと犬を追い払うように俺に手を振った。
「それでは、ごきげんよう」
「うん。さよなら」
……な、なんだかんだ、優しい人なのかな。
愛用している所有物を手土産に渡してくれたのだ。なるほど、憎めないキャラだと思う。
まぁ、サングラスをかける習慣はないのだが。
とりあえずポケットに入れておくか。
「……ふぅ」
ため息をついて、ゆっくりと足を動かす。
顔を上げると、尾瀬さんの言う通り太陽が沈みかけていた。茜色の光は、すぐ近くにある川に反射して周囲を橙色に染めている。
そういえばここは、夏休みに毎日最上さんと一緒にランニングをした河川敷だ。
ちょっと前の出来事のはずなのに……なんだか随分と時間が経っているようにも思うから、不思議である。
(あれから、目まぐるしく状況が変わった)
厳密には、最上さんが覚醒してからか。
まず、俺がまだキャラクターとして活動している。
最上さんがメインヒロインになる手伝いが終われば、お役御免だと思っていたのに。
彼女と真田のラブコメを見届けるつもりだったが、なぜかまだ俺は物語の登場人物として舞台に存在していた。
それからもちろん、最上さんの立場も変化している。
物語の隅っこが定位置だった彼女は、今や舞台の中央に立っている。そこにいるだけで、周囲のキャラクターが動き出す。そういう、メインの存在となっていた。
あと、意外と真田才賀は……変わっていないな。
あいつはいつも通り、女の子たちとラブコメを繰り広げるだけだ。
最上さんの覚醒と、俺という特殊な立ち位置にいるライバル……俺はライバルなのか? よく分からんが、とにかく俺との対立軸があって、焦りこそ見せたものの、真田の立ち位置に揺らぎはない。
あいつは相変わらず、鈍感系テンプレラブコメ主人公としての地位を守っている。
そう考えると、一番変化しているのは『メインヒロイン』と呼ばれていた彼女たちだろう。
最上さんが覚醒してから、メインヒロインたちの行動は一気に変わった。
湾内さんは真っ向からの勝負を避けて、からめ手を使って二番目になろうと画策した。
根倉さんは勝負を放棄して、全てを諦めた。
そして尾瀬さんは、お金で最上さんを買収しようと試みたわけだ。
みんな、真田への愛は変わらない。しかし、最上さんの登場によって勝ち筋が消えたと判断している。
(尾瀬さんも、ダメだった)
湾内さん、根倉さんに続いて、彼女も最上さんに対してひれ伏している。
これでは、最上さんの対抗馬にはなりえないだろう。
「……まずいな」
嫌な感覚だった。
メインヒロインが誰も、最上さんと勝負をしようとしない。
そうなると、どうなるか。答えは簡単だ。
(最上さんが望まずとも、真田の恋人へと押し上げられてしまう)
戦わずして、勝つことになる。
本人の意思は関係ない。最上さんが、真田の恋人になる資格を得てしまうのだ。
それが、最上さんにとって本当に幸せなことだとは思えない。
あるいは、彼女がちゃんと真田を好きになって、真田が最上さんだけを好きになるのなら、それでいいのかもしれないが。
しかし、恐らく……そうはならない。
(最上さんはきっと、湾内さんや尾瀬さん……あと、もしかしたら、根倉さんもか。彼女たちを、見捨てられるような人間じゃない)
良くも悪くも、彼女は優しすぎる。
だから、他のヒロインが真田を愛することを、彼女は認めてしまう恐れがある。
いわゆるハーレム状態を、許容する可能性がある。
そうさせないために、俺が先に告白してみたのだが……結果は失敗に終わった。
最上さんの心がまだ準備できていなかった。
まるで、このラブコメを終わらせる気がないと作者のねこねこ先生が意思を示すかのように。
不自然なまでに、最上さんがヘタレた。
あんなに好意を示していたのに、肝心のところであんな選択を普通取るとは思えない。
……まぁ、この件にかんしては俺の及ばない力が働いている気もするので、不満を言っても仕方ないか。
税金と一緒だ。高い高いと文句を言っても安くならない。俺にできることは選挙に行くことだけである。払わないと結局自分が損するだけなので、こればっかりはどうしようもない。
現状もそうだ。
文句ばかり言っても解決はしない。
だから、突破口を探してみた。
メインヒロインたちの状況を確認して、そして今……俺は絶望しているというわけだ。
(彼女たちは、諦めるしかないのか)
別の手段を探すべきなのかもしれない。
と、思いつめながら、河川敷を歩いていた時だった。
「――ちくしょぉおおおおおおおおおお!!」
声が聞こえた。
ハッとして顔を上げて、声の方向に視線を動かした。
川のすぐ近く。そこに、一人の女の子がいた。
そしてその子は、見覚えのある女子高生だった。
「さっくんのばかぁああああああああああ!!」
叫び、そして持っていた石を思いっきり放り投げる。
そんな彼女を見て、俺は――思わず、笑ってしまった。
「ははっ。そうだよな……君が、諦めるわけないよな」
他の、全てを諦めたメインヒロインたちとはまったく違う。
膨れ上がる感情を発散するかのように、河原で叫ぶ彼女の名前は……氷室日向。
真田才賀の幼馴染にして、この漫画の『正ヒロイン』だった――。
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