第五十六話 『メインヒロイン』
――油断していた。
気を抜いた一瞬の隙を突かれた気がして、少しだけ感情が揺れた。
「おい。最上さんはどこに行った?」
「だから、さっきも言ったでしょ?」
パフェを食べ終えた後のことだった。
湾内さんが急に『お腹が痛い』と訴えたので、お手洗いに向かわせた。
しかし、なぜか彼女は一人ではなく、最上さんを引率として連れて行って……そこから三十分ほど、帰ってこなくなった。
不安に思って何度か連絡したが、最上さんとは繋がらず。
すれ違いになることを恐れてその場で待機していたら、ようやく湾内さんが帰ってきて、こう説明したのだ。
「――はぐれちゃった。てへっ♪」
悪気なんてない。
舌を出して、ふざけた態度を見せる湾内さん。
「せっかくだから、お手洗いに行った後に他のお店も回っていたのよ。ほら、ここってブランド品のショップもたくさんあるでしょ? 洋服を見回っていたら、ちょっと夢中になりすぎちゃって、いつの間にかはぐれていたのよね~」
へらへら笑ってから、彼女は大柄な態度で再び席に座った。
もう会計は済んでいる。パフェの容器もアイスコーヒーの入っていたコップも片付けた。今は俺が飲んでいた水しかテーブルにはない。
もう席を立って、最上さんを探しに行きたいのに……彼女は慌てる素振りすら見せない。
足を組んで、それから俺の飲みかけの水を手に取って、それを我がもののように飲み始めた。
相変わらず俺のことを軽んじている。その点で怒りはない。
ただ、最上さんとはぐれた割にはあまりにも態度がふざけていたので、その点で俺は苛立っていた。
子供相手にこんな感情を抱くことなんてめったにないのに。
この子はやはり、人の神経を逆撫でするのが上手い。
……一緒にいるとペースが乱される。
なので俺は、彼女を置いていくことにした。
無言で席を立ちあがって、その場を後にしようとする。
しかし――それを予測していたかのように、湾内さんは俺の腕をがっしり掴んだ。
「どこに行くわけ?」
「探しに行く」
「迷子じゃないんだからw 風子も高校生でしょ? 自分でなんとかできるに決まってない?」
「連絡がないんだよ。あの子の性格なら、はぐれたらすぐに俺を頼るはずだ」
「それは無理よ。だって――風子のスマホがあたしが持ってるもん」
……どういうことだ?
振り返って、改めて湾内さんを見てみると――たしかに、最上さんのスマホがその手に握られていた。
「なぜ?」
「風子が洋服の試着をする時にね、預かったのよ。あの子、あんたに連絡したがっていたから、代わりにあたしがするって言って……そのまま持ってたのよね。風子って本当に性格が良すぎてびっくりよ。あたしのこと、心から信頼して、スマホもずっと預けてたから」
その口ぶりで分かった。
湾内さんがスマホを持ち続けていたのは、うっかりではない。
彼女が意図的にそうしていたのだ――と。
「俺に連絡は来てないが?」
「あたしが連絡してないから当然じゃない?」
「理由を言え」
「あんたが邪魔だから」
悪びれる素振りなどない。
湾内さんは無邪気に、俺を否定している。
どおりで、最初から最後まで俺を舐め腐っていたわけだ。
最上さんに対しては好意的でも、彼女にとって俺は最初からずっと『敵』だったのだろう。
「あんたが隣にいると、風子が間違えないでしょ? あんたを頼って、あんたの言葉に従って、あんたを信じて、あの子は堂々と振舞える。だから――才賀に魅力を感じないのよ」
……結局、これなのか。
敗北が濃厚とはいえ、湾内さんはメインヒロインの一人。
彼女の行動原理は、全て一人に集約される。
この子の不可解な行動は――全て、あいつのためだったらしい。
「あんなに素敵な子を、あんた程度の人間で消費するのはもったないわ。やっぱり、才賀を幸せにする素質が風子にはある。だから、あたしはあの子を応援するの……才賀を幸せにしてほしいから」
そう言って、彼女はそっと首のチョーカーに触れる。
それから浮かべた笑顔は、あまりにも純粋で。
そして、醜悪だった。
「――そうしたら、あたしも二番目になれるかもしれないでしょ?」
これが、湾内さんの目的。
彼女が最上さんに目をつけた理由。
「気の弱い風子なら、才賀が愛人を作ることも許してくれそうでいいわよね♪」
真田才賀の寵愛を受けるためなら。
メインヒロインという生き物は、いくらだって歪むことができる。
「今、一階に才賀がいるのよ」
その言葉を聞いた瞬間に、俺はフードコートを飛び出した。
ここは三階。吹き抜けになっているので一階の様子も見える。手すりから乗り出して、最上さんの姿を探すと……いた。
「――っ」
そして、彼女の隣にはあいつもいた。
なるほど。これが、湾内さんの計画か。
俺と引き離して、真田と遭遇させる。
そうすることで、強制的に二人のイベントを発生させたようだ――。
【あとがき】
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