第百八十八話 ざーこ
「話になりませんね」
さやちゃんの冷たい一言に、氷室さんは「うっ」と呻いた。
俺の手を握りながら、ひきつった笑みを浮かべている。無理のある作り笑いは、見ていてちょっと可哀想だった。
「まぁまぁ。さやちゃん、あまり責めないであげてくれ。俺がただ、氷室さんにまったく興味を持っていないだけだ。俺が彼女に対してそこまで関心がないだけで、他の男子なら照れていたと思うんだ。彼女は悪くない。俺が悪い」
「全然フォローになってないんだけど!」
え。そうか。
かばったつもりだったが、逆に追い打ちをしてしまったかもしれない。氷室さんの表情がより一層、険しくなってしまった。なんかごめん。
「お兄さまは悪くありません。この方が悪いです」
そして、さやちゃんは俺以上に容赦なかった。
かわいい見た目に反して、鬼教官である。兄である真田に好意的な人間にはとことん厳しいな。
「手を握った程度でお兄さまが照れると思えるその自己肯定感が逆に羨ましいです。自信家なのは悪いことではありませんが、もう少し地に足をつけてください」
「……わ、私って、実はそこまで美人じゃないの?」
美人の自覚はあるらしい。
ただ、ここで見た目の話だと思っている部分が、さやちゃんの危惧している理由だろう。
「見た目の話はしていません。前にも言いましたが、あなたの見た目は風子ちゃんに劣りません。ただ、中身に雲泥の差があると言っているだけです」
「中身って……性格がブスってこと!?」
「乱暴な表現を使わないでください。さやはそんなことを言ってませんから」
うん。さやちゃんの意図がまったく伝わってないなぁ。
最上さんと氷室さんの大きな差について、本人の自覚が弱いのだろう。
この際、ハッキリと言ってあげた方が氷室さんも楽になると思うので。
「あ、この子は俺のこと好きなのかもしれない――って」
「は? いきなり何言ってるの?」
「俺がニヤけてしまう時の心理状態だ。好意を感じると、どうしても嬉しさの感情が隠せなくなる」
最上さんやさやちゃんにかわいいと感じる時は、だいたいこの心理が発生している。『この子は俺のことが好きで、心を許してくれてるんだな』と思えるからこそ、かわいいという感情が発生する。
もちろん一例だ。かわいいという言葉には色々な意味が宿っているので、それがすべてではない。
好意の有無が関係ない場面もあるが、細かく説明する必要ないのでそこは割愛。
今、この状況に限って言うと、やはり『好意』が大事なのだ。
「つまりは、愛情表現の一種だな。相手に自分の気持ちがどうやったら伝わるのか、という素直さとも言えるか」
「……それが私は下手ってこと?」
「下手どころではありません。くそざこです」
「うぐっ」
氷室さんはさやちゃんの一言にクリティカルヒットを受けたらしい。
腹部に一撃もらったみたいなうめき声だった。
「兄にだけ好かれたい、という変な宗教に入っているから愛嬌がないのです。もっと多くの人から愛される存在になるためにも、せめて媚び方くらい習得した方がいいですよ」
「さ、さーちゃんは、普段から周囲に媚びてるってこと?」
「そうは言ってません。媚び方を知っていたら、加減して相手から良い印象を持たれるような言動もできるようになります。そういう逆算だってできるのです」
そういえばこの子は、フォロワー数が六桁に近いインフルエンサーでもある。
表情の作り方や、他人からの見られ方なども、意識しているのかもしれない。そういった意味では説得力があった。
「まぁ、媚びろというのは過剰な表現になるかもしれませんね。ただ、分かりやすいのでまずはそういう練習からしてみてください」
「媚び方をマスターしたら、ミスコンで勝てるんだよね……?」
「勝つ可能性が出てくる、と言った方が適切ではないでしょうか。少なくとも、今のそのままのあなたが風子ちゃんを越えられるなんて夢にも思いません」
「……そっかー」
氷室さんはしょんぼりしていた。
最上さんが強敵だとは認識していただろうが、もしかしたら想像以上だったのかもしれない。
「わたしって、くそざこなんだ……」
「はい。ざこです。ざーこ」
煽るような言葉である。
メンタルが弱い者なら、心にダメージを受けてもおかしくない厳しいセリフだ。
まるで、湾内さんのセリフみたいである。
さやちゃんが口走るのは予想外というか、少し無理があるように見えたのだが。
実は、そこにもちゃんと意図があったらしい。
「うん、分かった。とりあえず、がんばってみる。さーちゃん、サトキン、ありがとう」
さやちゃんの煽り文句を受けてなお、氷室さんは平気そうだ。
むしろ、もっと頑張ると言わんばかりに気合を入れ直している。
これが、氷室さんのいいところだよなぁ。
彼女は逆境に強い。華麗な見た目に反して、意外と泥臭い雑草魂を持っている。
「……あなたは昔から、本当に図太いです」
どうやら、意図的に煽っていたらしい。
なんだかんだ、ご近所さんだから付き合いは長いのだろう。
氷室さんの性質も理解しているさやちゃんは、感心したようにそう呟いていた――。
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