第百七十七話 あへ顔のおほ声
――闇を感じた。
「うーん」
高層マンションの一室。招き入れてくれてなんだが、室内を見渡してちょっと引いた。
「いらっしゃいませ!」
「お、おう」
湾内さんはいつも通り明るいのだが。
しかし、部屋がなんというか……殺風景なのだ。
まるで、モデルルームみたいですらある。
生活感がまるでない。設置されている家具も必要最低限のものばかりで、人の営みを感じられる要素が薄いのだ。
最上さんの家とはまるで違う。
部屋そのもので考えると、かなり質は良い。というか、こんな高層マンションに暮らせる財力があることがそもそも驚きだ。しかも高校生の一人暮らしで、この家をあてがうとは……湾内さんの保護者は、庶民の俺とは縁のない高給取りなのだろう。
だからといって、この殺風景な風景を見てしまうと、羨ましいとは思わないが。
「一人暮らしは嘘で、実は両親がちゃんといる――っていう設定とか、すごく羨ましいよね。あたし、ガチで一人暮らしだもん」
「そのようだな。家具が少ない」
「あたし、ミニマリストなのよ。体も小さいから、必要最低限のものだけで生きられるっていうか」
ミニマリスト、ね。
別に人の思想にとやかく言うつもりはない。ただ、このモデルルームみたいな無機質な雰囲気をそう表現するのは、少し違和感を感じる。
ミニマリストとは、必要最低限のもので最大限の機能性を追求することではないのだろうか。この部屋は、その最低限の機能性すら危ういように見える。
「ベッドがないが、どこで寝ているんだ?」
「床で寝てるわよ。夏はひんやりしてて気持ち良いの」
「冬は?」
「こたつでずっと寝てるわ」
夏は犬で、冬は猫みたいな生活をしているらしい。
(……この生活なら、寂しくもなるか)
部屋は心の鏡だと言われることもあるらしいが。
湾内さんの部屋は、まさしく彼女の心のようにも感じる。
何かが決定的に欠けていた。
うーむ。この状況を見てしまうと、つい同情してしまうな。
もう少し優しくしてあげてもいいのかもしれない。
「――おい。なぜ俺のベルトに手をかけている」
「え? 着たままがいいの?」
「……何もしないと言ったはずだが」
「据え膳って言葉、知ってる?」
「帰る」
「あ、待って! 冗談だからっ。ちょっとふざけただけだから、帰らないでよっ」
訂正。同情なんてしなくていいや。
部屋は殺風景だが、湾内さんの頭はピンク色だ。この様子なら、俺が思っているよりは平気なのかもしれない。
よし。じゃあ、帰るか。
とりあえず部屋に来いと言われたので来ただけだ。これで約束を果たしたことになるだろう。
そういう言い訳もできるので、速やかに帰宅しようとした時だった。
「えっと、あの……そ、そういえば! パパから、海外からのお土産でカップラーメンが送られてきてたんだけどね?」
「ほう」
玄関に向かいかけていた足がピタリと止まった。
ラーメン。その一言の抑止力は俺にとって大きい。
「あたし、ラーメンはあんまり食べないのよね~。もし、ちょっとだけオシャベリに付き合ってくれたら、帰りに手土産で渡してあげてもいいんだけどな~」
「……話を聞こうか」
「にひひっ。悟って、意外とチョロいわね」
「ラーメンという一手が有効なだけだ」
やはり頭の回る小娘だ。
ちゃんと俺の好みも把握しているらしい。
「あたしのパパは出張族なのよ。海外を飛び回ってるわ」
「それは大変だな」
同じく、出張族だったので気持ちはよく分かる。
俺の場合は国内だけだったのでまだマシだったが、海外規模になると何倍も重労働だろう。
「海外が好きな人だから、意外と楽しんでいるらしいわよ。ちなみにママはいないわ。あたしが幼いころに浮気して離婚したから」
「……反応が難しいな」
「笑えばいいんじゃない? 『なるほど。ビッチの血が流れてるから、こんな性格になったんだな』ってw」
「それを笑うほど俺は人間として終わってないぞ」
あと、自虐ネタが面白いと思われる時代は終わってるぞ。
今はもう、自分を貶めてもあんまりウけないんだよなぁ。
「少なくとも、湾内さんと母親は別の人間だ。たしかに不貞は良くないが、だからといって君が否定されることはないだろ」
「――ふーん。えっちじゃん」
「どうしてそうなった」
「あ、危なかった~。今の慰めはずるいでしょ。普通にときめいたもん……悟が本気で口説いてたら、今頃あたしはあへ顔のおほ声だったかも」
「酷い日本語だな」
あへ顔のおほ声ってなんだよ。
家庭事情は重そうなのに、本人が軽すぎる……そのギャップにちょっと戸惑ってしまった――。
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