第百四十七話 『パンケーキの誓い』
もともと、ここに来た目的は誤解を訂正することである。
真田の『こいつが妹に手を出した』という言葉で、最上さんがすっかり俺をそういう性癖だと思い込んでいたのだが。
「――お兄さまはロリコンさんではありませんよ」
清々しい一言で、俺にかけられていた疑惑が解消された。
最上さんは、さやちゃんの否定を聞いて安堵したように息をついている。
「そうなんだ……よ、良かった~」
「別に、さやはそうであっても良かったのですが」
いや、良くないだろ。
最上さんといい、ロリコンに対してみんな優しすぎる。
「お兄さまからそういう気配を感じたことはありませんね。出会った時からずっと一貫して、さやを見る目が優しいです。親戚のおじさんを思い出します」
たしかにその通りだった。
俺の目線は、まさしく親戚のおじさんだろう。肉体年齢は若いが、精神年齢で考えるとさやちゃんは姪に近いな。
「さやに愛されるより、さやが元気に成長することの方が喜んでくれる。そういう方ですね」
「――素敵だね」
あ。また最上さんの評価が上がった。
もうカンストしていると感じていたが、さらに上がる余地があったとは。
一目で分かるうっとりとした表情は、少し照れくさかった。
「はい。素敵な年上の男性です。さやが理想とする兄そのものなので、お兄さまになってもらいました」
「兄妹関係って。後から作れるものだったんだ……!」
「血と書類上では繋がっていなくても、心が繋がっていればいいのです」
「それって、なんだか『桃園の誓い』みたいだねっ」
「とーえん? じゃあ、さやはこの喫茶店で誓ったので『パンケーキの誓い』ですね」
可愛い響きである。
桃園の誓いとは、三国志の有名なワンシーンだ。劉備、関羽、張飛が義兄弟の契りを交わした場面である。
さすが最上さんだな。読書好きだから、そういうことも知っているのだろう。ちなみに俺は、転生前にゲームで知った。
ただ、さやちゃんはよく分かっていなさそうなので、そのことを説明すると。
「義理の兄弟ですか。じゃあ、さやとお兄さまの勝利ですね。こちらは義理ではなく本命なので」
解釈の仕方が面白かった。
というか、本命の兄妹の契りってどういう意味なんだろう。よく分からないけど、さやちゃんがなんだか満足そうな顔つきだったので、これ以上の言及はやめておいた。この子が納得しているならそれでいいか。
「さやさんにとって、真田君はお兄さんじゃないんだね」
「あれは兄という形をした『何か』です。恐らくは地球外生命体なのでしょう」
「真田ってエイリアンだったのか」
あいつは知らないんだろうなぁ。
実の妹からそう見られているなんて、夢にも思っていないはずだ。
何せ、さやちゃんから愛されていると盲目的に信じているような人間なのだ。
そういう独りよがりな態度のせいで、さやちゃんはうんざりしているわけだが。
「……正直なところ、お兄さまと出会えたおかげですごく気持ちが楽になりました。いざという時には、お兄さまのところに逃げればいいので。以前までは、本当に逃げ場がなくてたいへんでした」
そういえば、さやちゃんは出会った頃と比べると、少し表情が緩くなった。
あの頃は常に周囲を警戒するように、表情が険しかった。俺と出会った時は防犯ブザーから片時も手を放さなかったくらいである。
しかし、俺と打ち解けて以降は、一気に雰囲気が柔らかくなった。
これは間違いなく良い変化と言えるだろう。
だから俺は、この子が『お兄さま』と呼ぶことを受け入れている。
真田からの被害を軽減して、彼女の心を安定させるために、やはりこの立ち位置にいることが効果的だと考えた。
そして、最上さんも……恐らくだが、気付いたのかもしれない。
「――そうなんだね。じゃあ、わたしは妹じゃなくて……こ、恋人を目指すねっ」
さやちゃんに、席を譲るように。
邪魔しないよと、伝えるように。
敵じゃないよと、示すために。
あえて、彼女はさやちゃんに譲歩した。
そして、その言葉はさやちゃんが最もほしかったものだったのだろう。
「……えへっ。あなたも、お兄さまと同じ匂いがします。優しい方ですね」
最上さんに対しても、少しだけ警戒心を緩めた。
自分を脅かす存在ではない。そう判断できて、ようやくさやちゃんは受け入れられたのだろう。
(最上さん、ありがとう)
心の中で、感謝した。
恐らく、最上さんだから気付いてくれたと思う。
(さやちゃんは、真田の一番の被害者だからな)
この子が受けている痛みや苦しみを、年上の人間として癒やす存在でありたい。
そのために、こうやってさやちゃんと接しているという側面もある。
たぶん、最上さんも同じような気持ちになってくれている。
それだけで、すごくありがたかった――。
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