第39話 青葉さんはクリスマスが読めない
「来週とかもずっと忙しいの?」
相原の声で我に返る。たわいのない質問には、どう答えればいいのか少し悩んだ。
「来週は……どうだっけな。年末って意外と直前になると忙しくなくなるんだよな、みんなお休みモードに入るから」
「ああ、分かる。うちも、家族の予定があるからって、クリスマスは休む人もいて」
「へえ、いいな。ホワイトだ」
青葉さんとクリスマスの約束はしていない。クリスマスイブは火曜日で、同居同盟の日ですらない。それに、今更クリスマスイブに外食をしようとしたって、どこも空いていないだろう。1週間前あたりからその有様だったのだから。
俺達には青葉さんの家でなんでもない飯を食うという選択肢もある。ただ、クリスマスがそれでいいのか。青葉さんは良いと言うだろう。森川は、サプライズは男のエゴだと言っていた。
でも、せっかくだから青葉さんと、なんかちゃんとした食事でもしたいな。
「だから、私は有難がられてるんだ」
そんなことを考えていたせいで、相原のいう「だから」の意味が分からず反応できない。でも相原はカップに口をつけながら勝手に続けた。
「相原さんはクリスマスでも休まないよね、って言われて。そうですけど、そう真正面から言われたら思うところがないわけじゃないですって言いたかった」
「はは、なるほどな」
ああ、そういうことか。相原はクリスマスに一緒に過ごす相手も特にいないのか。少し遅れて理解した。
「でも相原は、そんなこと面と向かって言わないだろ。相手のことを考えて我慢するタイプだ」
俺が知ってる相原は、言い返すようなヤツじゃない。何か思うことがあっても、相手がどう思うか、どう思われるか、そんなことを気にして言葉に詰まるタイプだ。
同じ場面で、青葉さんはなんて言うだろう。さっぱり想像がつかない。「クリスマスでも休まないと思われてそうだから逆張りで休もうかな」とでも言い出すだろうか。いや、もしかしたら「クリスマスって新しいクエストの予告あったっけ?」と言い始めるかもしれない。
そんなことを想像して笑ってしまいそうになり、コーヒーを飲んで誤魔化して――ふと視線を上げると、相原は唇を引き結んで固まっていた。さっきは鼻が赤いだけだったのに、それが頬まで広がっていた。
その意味を考える前に、俺のスマホが光った。青葉さんだった。
『で、結局爆美女ってなんだったの?』
あまりにもくだらない遣り取りなのになぜ、こうも意識が吸い寄せられてしまうのか。
「……友達?」
相原の視線は俺のスマホに向いていた。青葉さんの名前までは見えなかっただろうと思いつつ、あえてスリープする。
「……いや、友達というか……」
「……彼女?」
「いやそんなんじゃない、会社の人」
そんなものではない。青葉さんは、俺にとってはただの会社の人だ。
それをはっきり口に出して初めて、ああ、もうだめだ――と自覚した。
青葉さんと初めて、婚活パーティで出会ったとき、俺は穏やかだなんて自称したけど、的外れだ。穏やかなんかじゃない。腹の内側で、言いたくて言いたくて堪らないことがとぐろを巻いている。どうすればいいのか分からずに悶えている。言いたくて言いたくて、仕方がない。
いま何時だろう。いまスマホを見たとき、何時って出てたっけ。まだ終電はあるだろうか。
「……そっか」
そんな俺とは裏腹に、相原は少し緊張が解けたような、肩の力が抜けたように背を椅子に預けた。
「私達って、なんで別れちゃったんだっけ?」
「えー……確か院試のときに、まあお互い大変で余裕なかったみたいな、そんな感じじゃなかったっけ」
「……そうだね。あの頃は子どもで……今なら、もっと、余裕ができるのにな」
半分上の空で返事をしてしまっていたが、それを聞いて、ふっと意識が戻ってきた。
森川も言っていた。どうせ、どちらかが相手に合わせるもので、それに良い悪いはないと。
「……余裕ができるって?」
「……たかが、院試だったなって。過ぎてみたら、院試に失敗するのを想像するだけであんなに追い詰められることなかったのにって」
相原は、昔を思い返すように視線をよそへ流す。俺は思わず、膝の上で手を握りしめていた。
「だから私、たまに思うんだ。あの時、もっと大人だったら――直くんと付き合ったままだったら、違う今があったのかなって」
そしてその台詞を聞いた途端に、あまりにも自分の感情が腑に落ちた。ああ――そうだ。もう、俺の中で答えは出ていたんだ、と。
「……俺も思ってた頃があったよ」
「そうなの?」
「……ああ。……あの頃、どうすればよかったんだろうって、よく考え《《てた》》頃があった」
ずっと考えていた――あの日、青葉さんに、相原の話をするまでは。
いつからだろう。青葉さんと話す度に相原を思い出していたのが、いつの間にか日常生活の中で青葉さんを思い出すようになっていた。きっと相原の話を青葉さんにしてからだ。俺は相原とどうすればよかったのか、俺がどうしたかったのか答えが出たときに、俺の中では区切りがついた。
「でも、俺達が終わったのは、俺達それぞれのせいだった。そうだろ?」
相原は、昔と同じ顔をしていた。聞きたかった答えじゃない、そう思っているのは分かる。ああ、俺はまた相原の望むことを返してやれないのだと、申し訳なかった。
それでも、俺達は確かに終わったのだ。7年前の冬が、最後のメッセージになっていたように。
「そんなことないよ、直くんはいつもそう言ってたけど、でも直くんのせいじゃなくて」
「いや。俺も悪かったんだ。俺も余裕がなかった。相原になかったのと、同じくらい」
自分が悪いことにするのは、相手に合わせるのと同じくらい楽だ。そうすれば相手に謝れば解決する。関係が壊れないか怖がりながら相手と真正面からやり合うより、そのほうがよっぽど気楽でいい。俺が相原と終わった原因を俺の中に探し続けていたように。俺《《が》》どうすればよかったのかばかりを考えていたように。
何もかもがぴったり合う関係なんてありはしない。森川のいうとおりだ。そしてそれは、青葉さんのいう大人としての弁えに似たものがある。もう、俺達は子どもじゃない。だから、俺達の関係が壊れた原因を些細なものにしてしまえるし、次は譲り合って、合わせて、同じ轍を踏まずに付き合えるだろう。だから今なら、もう一度やり直すことはできるかもしれない。
でも、俺はもっと話をしたい。もういい大人になった。だから時々譲り合える。時々合わせられる。でもそれまでに、たくさん話をしよう。大人になったからって物分かりよくならなきゃいけないわけじゃない。俺が悪い、相手が悪いじゃなくて、もっと聞かせて、聞いてほしい。
そしてそれを、俺は青葉さんとしたい。青葉さんはいちいち奇行ばかりで、何を考えているか読めなくて、合わせられることなんてないかもしれない。譲り合いをするよりも合理を提示するかもしれない。それは大抵意味が分からないだろうし、時々大変かもしれない。
それでも、何日も何時間も、同居同盟を通じて話をし続けてきた青葉さんとなら、きっとこれからも話を続けていける。関係の名前が変わっても、それを変えずにいられたら大丈夫だという確信がある。諦めて譲り合うことも、黙って自分にばかり原因を探すことも、青葉さんとならしないでいい。
「……ごめん相原。俺は、多分、あの日は、終わるしかなかったと思う」
なんで今更こんなことを言わなきゃいけないんだろうと、苦しかった。有耶無耶に終わらせたほうが絶対気楽だった。相原のセリフに「懐かしいね」と言葉を濁して、理解ある元カレを演じたほうが、きっと気持ちが楽だった。それでも、俺が言わないといけなかった。
「……幸せになってくれ。俺は、相原を幸せにできなくて、ごめん」
相原は言葉に詰まっていた。目も合わなかった。俺が見ていることには気付いているはずなのに、俺を見ることはしなかった。
「……そう」
ただ一言、蚊の鳴くような声のそれは、返事と受け取っていいのかどうか、分からなかった。
ただ、相原の言葉はそれきりだった。カップを抱えたまま、たまにその縁に口をつけるだけだった。それ以上の返事は、きっとなかった。
俺は、まだ熱いコーヒーを無理矢理飲み干した。喉が焼けるかと思った。というか多分口蓋を火傷した。
立ち上がると、軽い椅子が引っ繰り返りそうになる。相原のカップにはまだ中身が入っているから、まとめて捨てる必要はなさそうだ。
「じゃあ相原、元気でな」
「あ、うん。……また」
俺は、またな、とは言えなかった。そうなると、それ以上の挨拶は口から出ず、そのままマクドナルドを出た。




