第33話 青葉さんはニンニクも好き
金曜日の朝、青葉さんが「お昼食べよ」と連絡してきた。今日の同居同盟はスキップだ、青葉さんがコンプライアンス部の忘年会に出るから。
緊急対応の青葉さんの代わりに飯を作ったのが先週。ここから2週間、青葉さんとの同居同盟は、年末の飲み会を理由にスキップすることになっている。その話をしたときは、いいタイミングだったと胸を撫で下ろしたが、いざ日中を過ごしていると、今度は青葉さんが脳裏にちらつく。
最初は「ちょっと面白そう」くらいの適当なノリで、というかデメリットがないから別にいいかと勢いで決めてしまった結果がこれとは。なかなか厄介な同盟を結んでしまったものだ。
青葉さんが選んだイタリアンは、ちょっとおしゃれで、でも大行列だった。並びながら「大丈夫、意外と回転速いから」と言われたとおり、2人組の俺達が席に通されるまで10分少しだった。
「オフィスから遠いから知らなかったな」
「お店なんて知ってる人から聞くくらいしかないしね。おすすめはニンニクたっぷりのこちらのパスタです」
ド平日の真昼間だというのに、ニンニク入りの料理を勧めるのにまるで躊躇いがない。
「いま臭いが気にならないのかなとか思ったでしょ」
「心を勝手に読むな、コンプライアンス部は目に見える事実を重視するって言ったのは誰だ」
「プライベートなので、仕事の話はしないでくださーい」
仕事の話もたまにするじゃないか! と言い返したかったが、仕事の雑談をするのと仕事のネタを引っ張り出すのは似て非なる話である。俺は黙らざるを得なかった。ついでに、プライベートという響きに「翻弄されてなるものか!」と憤慨する俺もいた。つまり翻弄された。
青葉さんが勧めてくれたパスタは確かに美味かったし、確かにニンニクの味がとんでもなかった。青葉さんがこんなものを食べていると知ったら社内の男の大半は目を剥くに違いない、そう思うと得意な自分もいた。なお青葉さんはきちんとブレスケアを持っていて、帰り道にくれた。
「今日、コンプライアンス部の忘年会なんだよな? コンプライアンス部だけでやるの?」
「そ、だから少人数でいいよ。ていうかそう、ごめんね同盟スキップで」
「ま、この時期は仕方ないだろ」
俺も2、3日駆り出されて平日を潰しているところだ。なお金曜日にこっそりバツをつけている。
だとしても、青葉さん側の事情で同居同盟をスキップされるのは、それはそれで構わないと思う。……構わなくはないのだが。ただここ最近、同居同盟に気まずさを感じるので、ちょうどいいとは思っている。
「ごめんねえ白沢ラビット、寂しかったら泣いてもいいよ」
「俺をなんだと思ってるんだ。しかもなんだよラビットって」
心臓は跳ね上がったが、青葉さんは気付いていない……はずだ。
そんなことを、夕方、自宅へ向かう電車に揺られながらに思い返す。実際、これからどうしよう。この同居同盟は“距離が縮まった結果、『コイツ、ナシだな』ってなるのも『アリ』である”。非常に割り切った関係だが、じゃあ一方だけが――俺だけが好きになってしまった場合、どうすればいいのか。
告白したとき、青葉さんはどんな反応をするか――「ああ、じゃあ、同居同盟は解消しましょう」と言う姿が容易に目に浮かぶ。
「うっ……」
不整脈かな。むしろ不整脈であってほしかった。同居同盟を結んでいるからこそ、俺の中にはあまりにもリアルに青葉さん像が出来上がってしまう。なんてことだ。
もし同居同盟が解消されたら。青葉さんは“いい友人として”なんて言っていたけれど、もう二度と青葉さんと会社外で会うことはできなくなるだろう。あまりにもリスクが高すぎる。逆に、素知らぬ顔をしていれば、何も進展しない代わりに、のんびりと同居同盟を続けられる。
答えの出ない関係は心地が良い。関係に答えを出すと、感情と思考に基盤ができる。“彼氏だから”“付き合っているから”が、そのうち“彼氏なのに”“付き合っているのに”に変わる。そうしたらまた言いたいことが言えなくなるかもしれない。相原と同じことになるかもしれない。
俺も青葉さんも、互いに責任を負わず、ただ楽しい同居同盟を過ごす。ゆくゆくは、この同居同盟のある生活が、日常に変わるのかもしれない。
それでもいいのかもしれない。下手に告白してリスクを取るよりも、この安定した同居同盟を続けるほうが。
最寄駅のホームに着いて、ICカードの入った財布を取り出す。金曜日にこの改札をくぐるのはいつぶりだろう。思えば、もう2ヶ月近く同居同盟を続けている。食事の回数でいえば、朝食も合わせると20回くらいは食べたかもしれないな。そんなことを思い出して、笑ってしまいそうになった。
スーパーに寄ると、久しぶりに見た総菜のラインナップは少し変わっていた。思えば、同居同盟を結んだ前の週までの世間はハロウィンで、今はクリスマス直前イベントが目白押し。もう2ヶ月近く経つのか、と驚きながら10%オフのナスのはさみ揚げを手に取った。金曜日のルーティンをこなすのは久しぶりだった。
一人の部屋は静かで、寒かった。暖房を入れるか悩んで、先にシャワーだけ浴びた。シャワーを浴びた後はゲームを起動しようか悩んで、結局起動して、しかし青葉さんのオンライン通知が来ないので、しばらくして消した。
まだ10時にもならないうちから、なんとなく布団に潜りこんだ。いつもなら、青葉さんと一緒にゲームをしながら、たまにゲーム機を置いて、たわいない話をしている。
カチカチと時計の針の音がしている。こんなにうるさかっただろうか、と見上げた先の時刻はまだ22時13分。寝るにはまだ早い、としばらくネットサーフィンをしていたが、そのうちすることがなくなった。
疲れてるわけだし、ちゃんと寝るか……と悩み始めたときポン、とLINEの通知が来た。
『コンプライアンス部の忘年会って字面、聞いただけでも絶対行きたくないよなってふと思った』
それを見て、気付けば笑っていた。
『絶対面白くないからな。てか何の話すんの』
『意外と普通の話』
『青葉さんの普通ってあてになんないからなあ』
『上司が11月に冷房つけて奥さんに怒られたとか』
『本当に普通の話だった』
『セキュリティ部の忘年会のほうが意外とニッチな話してそう』
『意外と普通の話してる。最近行った温泉の話とか』
『え、いいなー温泉。一緒行こ』
……それはアウトだ、青葉さん。心の中で短く却下する。
『同居同盟は青葉宅という決まりでは?』
『それはそう』
この温泉の話が続いたらどうしようか、と少し悩んでいたが、青葉さんが「でも考えてみれば忘年会でコンプラ違反の話とかしてるわ」と言い出したお陰で事なきを得た。
ポン、ポン、と軽妙な音と一緒に互いの吹き出しが流れていく。いつの間にか時計の音は気にならなくなっていた。
『やばい、明日11時に友達と待ち合わせしてるのに、寝なきゃ。おやすみ』
『俺は惰眠を貪る。おやすみ』
『許さない』『起きろ』『今すぐ起きろ』『寝るな』
『いや寝ろよ』
『寝ますーう! おやすみなさい!』
最後に時計を見たのは、午前2時だった。




