第23話 青葉さんは寝起きが可愛い
引き摺る……引き摺ってる? のか? 俺は? いや引き摺ってない、と自分の中で答えが出る。
「……いや、別に、よりを戻したいとは思ってないよ」
「でもその彼女との関係を『なんだかなあ』と思い続けてるんでしょ? 昔の恋人のことを思い出して、あの時こうしてれば違ったのかなって思ってるのは引き摺ってるからでしょ」
もし俺が愚痴の一つでも零していたら――確かにそう思うことはある。だから青葉さんの言葉は、ある意味図星だった。
図星だから、引き摺ってると言いたくないのか、俺は? 困惑してしまうあまり、目をかっぴらいたまま固まってしまった。俺はただ、過去の恋愛に辟易しただけだ。女ってのは何を考えてるか分からん生き物で、今日言ってよかったことが明日言ったら怒られることになる。だったらゲームがいい――昨日と今日の法則が同じ、法則が変わるときは条件も変わってる、そんな分かりやすいゲームをしているほうが楽しくて気楽でいい。俺は平和な日常を過ごしていたいんだ。そう思っているだけで――。
「……いや、でもどうしようもなくないか? 相原は相談したら相談したで『私のほうがしんどい』って言ってただろうし」
「それは相談した結果ダメだっただろう、であって、結局どうすればよかったのかという蟠りを抱いていたことは否定されない」
青バラめっ……! コンプライアンス部の青バラは合理的で論理的だ。
一瞬、俺達の間に沈黙が落ちた。もしかすると俺が返事をするターンなのかもしれない。でも返せる言葉がなかった。
……図星だからだ。返事をできないまま、答えが出た。
俺の中で、まだ相原との関係は終わっていなかった。
「……じゃあ、どうすればよかったんだろう」
相談したって駄目だったと、今でも分かる。でもじゃあ、あの時の俺の正解はなんだったんだろう。
「さあ? だって私、相原さんのこと知らないし」
もしこれがRPG内の一イベントだったら、青葉さんは颯爽と解決案を提示してくれるだろう。でも残念ながら現実はそうではない。知らない他人がどう感じるなんて知ったことか、なんて、あまりにも正し過ぎる回答が待っていただけだ。
「……青葉さんだったらどうした?」
「私が白沢くんだったら?」
「うん、いや、まあ相原の立場だったらどうしてほしかったか、と聞きたかったんだけど、じゃあ俺の立場だったら」
「別れる」
「身も蓋もねえな」
迷いのない四文字に、声を上げて笑ってしまった。もっと相原に寄り添ってやれよと言いたいところなのだが、最終的に間違えた俺が言えることではない。
「だって、面倒くさいじゃん。ああいえばこういう、じゃないけど」
「でも相原なりに本気で落ち込んでたわけだよ」
「それでも、白沢くんも同じ状況で必死だったわけじゃん? こっちだって自分の人生と悩みを持ってる人間だし?」
「急に大きい話になったな」
「でもそうだから。悩みに貴賤なし、誰だってどんなことでだって悩む権利があるわけよ。相原さんが落ち込んでる試験前に、白沢くんが『かつ丼食べたときに限って試験に失敗するのにコンビニで50円割引のかつ丼見つけた』って悩んでたっていいの」
「それはさすがに悩みの大小が違い過ぎる」
意味が分からな過ぎて、適切なたとえなのかなんなのか分からない。また笑ってしまった。笑いながら、ふっと、耳の後ろのこわばりが取れたような気持ちになった。
そうだ。俺はずっと相原とどうすればよかったのか、悩んでいたんだ。女は何を考えてるかよく分からん、じゃなくて、あの時の相原とどうすればよかったのかを知りたかった。
でも本当は――そうだ、悩みに貴賤なし、って、思っていたのかもしれない。俺も悩んでたんだ。相原から見たら大したことなく見えたかもしれないけど、俺も悩んでた。
そしてそれを、相原に分かってほしかった。俺だって、相原のことを一生懸命考えていた。結果的に支えになってなくてごめん、でも俺なりに頑張って、相原の力になろうとしてのことだったんだ。相原にそう分かってほしかった。
でももしかしたら、相原もそうだったのかもしれない。相原も、自分なりに頑張ってるのに、俺がそれを分かってくれているのかと、不安に感じていたのかもしれない。
そんなことを、今こうしているように、相原と話すことができていたらよかったのかもしれない。
「うんうん、興味深い。よかった、この話聞けて」
「人の元カノの話になぜそんなに深く頷くんだ」
「他人のコイバナに興味なんてないよ。白沢くんの話だから興味深いだけ」
「俺だって他人だろ」
「白沢くんはいま同居同盟を結んでる、一番近い人だから」
「……他人じゃないと?」
「そそ。興味のある人の昔話は、なんだって面白いよ」
ふふふ、と笑った青葉さんは、そこで「じゃ、私明日8時から会議だから」と布団に潜った。
「……それ何時に出るか聞いといていい?」
「私明日在宅だから」
「は!?」
「おやすみい」
「ふざけんな! おいこら!」
布団を掴んで引っ張るが、内側からの抵抗に遭った。布団の中の青葉さんは「だから7時半に起きまーす」と返ってきた。ふざけるな俺はそれじゃ間に合わないんだ。
「……鍵、ポストに入れさせていただいていいですか」
「どうぞ。玄関に置いてます」
「……どうも」
クソッ、青バラめ。勢いよく横になって毛布をかぶって、そのまま背を向けた。青葉さんが寝返りを打つ気配はしなかった。
翌朝、俺がアラームで起きても、青葉さんは起きなかった。俺はできるだけ静かに毛布と布団を畳み、万が一の事故に備えて脱衣所で着替え、玄関扉に手を掛けた。
「しらさわくん」
そのとき、青葉さんは起きた。くしゃくしゃの髪に、半分しか開いてない目に、ちょっとズレたパジャマのまま、寝室扉に寄りかかって、リビングから手を振った。
「いってらっしゃい」
今まで見る青葉さんの中で随一に気の抜けた姿だったのに、今まで見た中で一番可愛かった。




