第二次マリアナ沖海戦
大和型戦艦、最後の艦隊決戦です。
第二次マリアナ沖海戦
ソ連軍との激戦が続く中、海軍は米艦隊の再来寇がアメリカ大統領選挙の前にあると想定し備えていた。
特に、マリアナ諸島への来寇の可能性が高いとみられていた。
また、これに負けると後がないと考えた海軍は、特攻機の桜花の開発・量産・配備を進めていた。
しかし桜花の使用は、海戦に敗北した場合に限るとされていたようだ。
マリアナ諸島を始め、どの地域も落とされるわけにはいかないため、桜花の地上発射基地がマリアナ諸島を含め各地に密かに建設されていた。
飛行場が健在であれば銀河に搭載し敵艦隊まで接近し、桜花の航続距離120km内から発進させる予定にもなっていたようだ。
とにかく負けるわけにはいかない海戦であり、とはいえ来てくれないと非常に困るものでもあった。
モンタナ級が実戦配備される頃に来られては、とてもではないが通常の戦い方では抗しえず、その場合は最初から桜花の投入となってしまうだろうとこの時点では考えられていたらしい。
1944年9月。米艦隊の来寇を受けて、第二次マリアナ沖海戦が始まる事になった。
ルーズベルトにとっては4回目の当選を果たすための戦いであり、日本にとってはルーズベルトの支持率を下げ落選させるための戦いともいえた。
イギリスにアメリカとの仲介を頼んでいるものの、ルーズベルトの強硬姿勢は依然として変わらず、講和のためには落選してもらうしかなかった。
日本海軍は1944年半ばから、米艦隊への警戒の段階を上げていた。
潜水艦による偵察の密度を上昇させていった。
そしてついに米艦隊がハワイを出港した事を察知し、進路がマリアナ方面だと確信する。
この段階で日本艦隊はマリアナ近海に展開し、待ち受ける事になった。
戦いはトラック諸島からの米戦闘機と、米機動部隊からの艦上戦闘機の大編隊がマリアナ諸島に来襲するところから始った。
米軍は先ず戦闘機掃討戦を仕掛けてきたのだ。
日本側も機動部隊から援軍の艦上戦闘機烈風を送り、局地戦闘機紫電改と鍾馗、水上戦闘機強風改等と共に迎え撃ち、大規模な戦闘機同士による空中戦が展開された。
米艦上戦闘機には,F6FのみならずF4Uも加わっており、侮りがたい相手だったようだ。
ただ、低空で強風改に喰われる米戦闘機もいたようだ。
二派に渡る戦闘機掃討戦を仕掛けられた後、米軍は爆撃も開始し、飛行場の破壊を目論んだ。
日本軍は地の利を活かしつつ、終日迎撃に徹した。
米軍航空機は多大な損害を被る事となった。
しかし当然ながら、補充の航空機は護衛空母やマーシャル諸島、ウェーク島から続々と飛来し数が不足する事はなかった。
日本側も同様に、硫黄島やパラオから烈風の補充があり、制空権を維持し続け飛行場の損害は軽微だった。
この日、マリアナ諸島は多くの航空機が飛び交い撃墜しあう、大航空戦の舞台となった。
マリアナ諸島近海は、日本の制空権・制海権下にあったため、不時着水した搭乗員は徹底的に救助され、再び戦闘に復帰する者も多かったようだ。
また毎度の事ながら、ついでに米兵の救助にも繋がっていた。
米艦隊の位置は日中に掴んでおり、潜水艦や偵察機により夜間もその位置を把握され続けていたようだ。
この情報に基づき、機動部隊は翌日早朝の反撃に向け行動した。
翌朝、日本機動部隊は米機動部隊に向け反撃を開始する。
米軍に先んじて第一次攻撃隊を差し向ける事になった。
烈風とマリアナ諸島から合流した銀河による編隊となった。
烈風は直掩と爆装した機体がおり、さらに爆装した機体は、対艦用に改良された三号爆弾と噴進弾を装備した機体に別けられた。
爆装した烈風は投弾後、可能なら制空戦闘に参加する事になっていた。
攻撃は直掩の烈風が米戦闘機を引き付けるところから始まり、爆装した烈風は先ず輪形陣外縁部前方の駆逐艦を攻撃。
三号爆弾装備の烈風が緩降下爆撃を行いレーダーの破壊を目指した。
副次的効果として一時的に対空機関砲を止める事にもなった。
レーダー射撃が出来なくなった駆逐艦は、高角砲の狙いが甘くなっており、そこに噴進弾装備の烈風が肉薄し、噴進弾を打ち込んでいった。
防御力の低い駆逐艦は耐え切れず脱落していった。
米機動部隊は輪形陣を乱し、巡洋艦や空母を援護する対空砲火が薄くなり、そこへさらなる三号爆弾や噴進弾が巡洋艦や空母へ同様に用いられ、米機動部隊の対空火力はさらに低下し、真打の銀河の緩降下爆撃が始まる事になった。
銀河が搭載していたのは、赤外線誘導対艦徹甲爆弾のケ号爆弾だった。
ケ号爆弾は陸軍が中心となって開発に成功していた。
しかしそれを信用しきれなかった海軍は、桜花を作って備えていたという経緯があった。
ケ号爆弾は目標とした艦に命中させるために、訓練で最も命中率の高かった高度から緩降下爆撃で投下された。
対空砲火が薄いため訓練通り投下でき、命中率はより高くなったとみられている。
この銀河のケ号爆弾攻撃により、米機動部隊の空母と巡洋艦は大きく損傷し、航空機の離着艦能力を失う事になった。
続く第二次攻撃隊の攻撃により米機動部隊は壊滅した。
第二次攻撃隊の陣容は、直掩の烈風と爆装の烈風、雷装の流星からなった。
トラック諸島から飛来した米戦闘機を直掩の烈風が押さえ込み、三号爆弾・噴進弾で無傷の駆逐艦を排除し、投弾後の烈風は損傷が無ければ制空戦闘に参加。
雷装した流星が空母と巡洋艦に止めを刺していった。
米機動部隊からの攻撃も日本の機動部隊に飛来しており、烈風や零戦改、巡洋艦を改修してまで搭載してきた強風改が防空に当たった。
烈風は増援も加わっており最も数が多かった。
零戦改は、烈風や流星を運用できない中・小型空母に天山と共に搭載されて来ており、性能は烈風にはやや劣るものの、F6Fとは十分戦える機体だった。
強風改は、対潜哨戒を天山に任せる代わりに巡洋艦を改修してまで搭載させていた。
米戦闘機には烈風と一部零戦改が対応し、米艦爆艦攻には零戦改と強風改が当たった。
一部防空網を突破した米軍機が出たものの、機動部隊の対空砲火で撃退に成功していた。
第三次攻撃隊は、米戦艦部隊に対し行われた。
直掩の烈風と爆装した烈風、再稼動可能だった流星を爆装と雷装に別け出撃させた。
トラック諸島から飛来していた米戦闘機を直掩の烈風が対応し、三号爆弾や噴進弾で戦艦部隊を攻撃し、対空火力が甘くなったところを、米戦艦部隊に対し雷装の流星が雷撃を行った。
米戦艦に魚雷を命中させ、その速力を落とす事に成功した。
日本の戦艦部隊が米戦艦部隊に追いつき、水雷戦隊が露払いを行った後、最後の艦隊決戦が行われた。
日本側は大和、武蔵、信濃、紀伊の大和型戦艦4隻に対し、米戦艦部隊はアイオワ級4隻を始めとした、日本の戦艦部隊に倍する数を揃えていた。
アメリカは戦艦の数を揃えるためにイギリスから購入していたようだ。
アメリカの艦艇は、度重なる海戦の敗北で数を減らしており、第二次マリアナ沖海戦に間に合わせるために急ぎ数を揃える必要に迫られた。
特に戦艦は建造に時間がかかるため、アメリカ大統領選挙前に勝利を収めたいルーズベルトは、イギリスに戦艦の購入を打診。
戦艦はまだまだ戦略兵器だったため、アメリカは高い買い物をする事になったようだ。
イギリスのアメリカに対する負債が大分減った事だろう。
大和型戦艦は主砲の電探射撃を開始し、程なくアイオワ級戦艦もそれに対し反撃してきた。
大和型戦艦は夾叉が出ると三式弾を打ち込み、念入りに米戦艦のレーダーの破壊を行った。
米戦艦のレーダーが、三号爆弾の被害から復旧出来ていたかどうかは定かではないが、より有利に戦うために行ったようだ。
距離が近づくまで一方的に命中弾を与え続け、光学照準で命中率が高まる距離で大和型戦艦は被弾するも、その頃にはアイオワ級戦艦は戦闘不能となり米戦艦部隊の勝利は潰えたといえた。
残りのイギリス製戦艦も夾叉したのち三式弾が使用され、全力で叩き潰されていった。
大和型戦艦の損傷は軽微であり、急ぎ修理が必要と言う事はなかった。
倍する戦艦部隊を撃破した大和型戦艦は、最後の艦隊決戦を圧勝で終えることが出来た。
もしアイオワ級戦艦の5・6番艦の完成が早まっていれば、また違った結果だったかもしれない。
しかし、ルーズベルトは大統領選挙前の勝利を求めていた。
準備不足の米海軍に、やはり勝利は無かったと思われる。
この海戦では、雲龍型空母が8隻参加していた。
夢の中の感覚でいくと俄かには信じられない話だった。
しかし現実として建造され、海戦に参加しているのだから受け入れるしかない。
翔鶴型や大鳳といった正規空母を建造していないから、余裕があったのだろうか。
それでも戦艦を空母化したり、雲龍型以外にも中・小型改造空母は夢の中同様に造られているのだから、簡単な事ではなかったと思われる。
雲龍型空母は1941年から年2隻ずつ竣工していた。
雲龍型は3番艦以降は全く同じ構造、同じ兵装だったので、交代で訓練を行った事で、7・8番艦は竣工後すぐに僅かな訓練期間で運用できたようだ。
ちなみに長門型戦艦は、予定通り速やかに空母へ改装されたが、訓練期間を少しでも短縮させるため、運用しやすい零戦改と天山が搭載され、訓練は万全とはいかないものの海戦に参加していた。
今海戦の空母艦載機の割合は、9割が戦闘機だった。
さらに、補充の烈風が追加されており、それも含めれば戦闘機の占める割合がもっと高くなる事になった。
そこまでしてようやく制空権が保てたといえた。
政府や大本営は勝利を喧伝。
しかし国民は総力戦の只中にあり、これ以上戦意を上げようがなかった。
むしろ、大本営発表は勝利勝利ばかりで、その割には生活は配給で余裕が無く、空襲警報も鳴る事があるため、大本営発表に不信感が抱かれていたようだ。
お読みいただきありがとうございます。
米英の大戦後半以降の戦艦建造ですが、
アメリカは、アイオワ級6隻、モンタナ級5隻、18インチ砲搭載戦艦が複数。
イギリスは、ライオン級4隻、ヴァンガード級1隻、18インチ砲搭載戦艦複数。
と、想定しております。
アメリカはもっと造れるかもw




