Heart番外編 雪の華【ハナとユキ】
シンジと心を通わせることができたハナ。
これはそれから十年以上先の話。
それから十数年後。
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2021年10月。
「ユキ〜!お弁当ここに置いてるからね〜、ママ行ってくるからね〜」
「はーい!ありがとね〜。いってらっしゃーい」
ユキはもう17歳になる。月日の経つのはあっという間だ。私がずっと夢見ていた、お嫁さんの夢は、結局叶わなかった。だが、ユキがいる。あの人との間に出来た大事な娘だ。
もちろんシンくんにはそのことは話していない。妊娠がわかり、周りからもわかってしまう前に、お店のママに相談して、辞めさせてもらった。きっと打ち明ければ責任を感じて、何かしようとしてくれたに違いない。でも、そんなことをしてほしいわけじゃない。シンくんの家庭を壊したいわけじゃなかったから。
人の事を心から信じることが出来なかった私が、はじめて信じることができた。だから、その瞬間だけでよかったのだ。ユキには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。産まれた時からお父さんがいないのだから。でも、私はシンくんの分まで、私とシンくんの2人分、いやそれ以上の愛情を、この子に。ユキに注いできたつもりだ。もちろんこれからもそうするつもり。
そうするつもり、だった。
パートで働いている、スーパーでレジを打っていた最中の出来事だった。
「ありあとうおあいまいたー、んっ??」
なんか呂律がまわらない…
最近、疲れからか肩こりがひどいなとは思ってて、手が痺れたりとかはあったんだけど、ついにちゃんとしゃべれなくなるなんて…疲れすぎかな…
パートが終わったあと、気になったので病院に行ってみる。症状を詳しく聞かれ、脳神経外科で精密検査を受けることをすすめられた。今の段階ではなんとも言えないそうだ。え、そんなに重い症状なんだろうか…
今までも健康診断とかはちゃんと受けたことはないんだけど、特に何か身体が不調を訴えたことはない。脳神経外科では、問診のあと、MRIとCT検査、血液検査をした。
「ALSですね…」
へ?なにそれ?まったく聞いたこともないアルファベットだった。詳しく聞くと、筋萎縮性側索硬化症という、ものすごく長い名前で、言うだけで舌を噛んでしまいそうな、病気らしい。簡単に言うと、体中の筋肉の力がなくなっていく病気みたいだ。手足が動かなくなって、しゃべったり、息をしたりができなくなるらしい。
なんだか、あまりにも急なことで、頭が真っ白になってしまい、なんだか自分のことじゃないような気がしていたくらいだ。
「えーと、これって、なおるんですか?」
「ALSは現在の医療では治すことはできないんです。薬や点滴で、症状を遅らせることはできますが、完全に治癒はできません。あと、逆瀬川さんの場合、かなり症状が進行してまして…申し上げにくいんですが、あと1年というところですね…」
え、え。1年。1年で死ぬ、ということだろうか。
「手足がまず動かせなくなってくるので寝たきりになります。あと、呼吸ができなくなるので、人工呼吸器を使うことで、延命はできますが、知能は働いてはいますが、しゃべることも食べることもできなくなります」
そんなの…もう人間じゃない。
「ユキは…娘はどうなるんですか」
「もしご家族がおられるなら、逆瀬川さんが状況判断が難しい場合、その娘さんに委ねられることになります。今後どうするかということを」
医者の説明は、あくまでも淡々としていた。それがもちろん仕事であろうし、これを泣きながら必死に語ったところで、私が治るわけではない。ただ、これから死を待つだけの人間である私を前に、一片の感情の揺らぎもなく、話ができるというのは、医者はある意味すごいんだなと、変に感心してしまった。人の死を飽きるくらい見てきた、人間の境地なのだろうか。
とにかく。私は即入院となった。医者には、ユキには詳しいことは一切伏せてほしいとお願いした。過労でダウンした上に、安静にするために数日入院するということで、口裏を合わせてもらった。
「ママ大丈夫??先生もなんか疲れてるだけだから、って言ってたけど…びっくりしたよ〜」
「うんうん、ごめんね…たぶんすぐ良くなるよ」
しゃべるのも少ししんどかったので、ユキにはすぐに家に帰ってもらった。
医者には、明日までにどうするか返事しますと伝えた。そして、少しの間、眠った。
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夜中、目が覚めた。眠る前にも、ある程度決意は固まっていた。だが、動く気力を養うために、少し体を休めたのだ。
今の状態から、いつ寝たきりになってしまうか、予測ができない。医者の1年という見立ても、もちろんアテにはならない。例えば寝たきりになった場合、それまでに私が希望を出してなければ、ユキにすべて委ねられることになる。安楽死を望めば、ユキには深く傷を残すことになるし、もし延命を望んだ場合でも、多額の医療費がユキの身に降りかかることになる。どちらにせよ地獄だ。
ごめんねユキ、私は何もしてあげれなくて。
でも、なぜか悲しくはないの。私はこれまでの間、あなたに幸せをいっぱいわけてもらった。それに、あの人、シンくんも、その家族もきっと、あれから幸せに過ごしているに違いない。あなたに、ユキに負担をかけてしまうのは、淋しい思いをさせてしまうのは、申し訳ないけども、私は、とても、幸せだった。
だから、ここで、力を振り絞ろうと、勇気を振り絞ろうと思う。こんなことしか、できないママを許してね。
ユキ…どうかあなただけは幸せでありますように
違うな…
どうかあなたも、幸せでありますように
あとひとつ、もし叶うならば、ユキを、あの子を、守ってくれる人が現れますように。
◇◇◇◇◇◇◇◇
2021年11月某日 私は死んだ。
完




