『妖精騎士の物語』と爵位の話
他力本願に読者に聞いてみる為の創作の素材を開示する話です。世界観は十六世紀の西欧を基にした剣と魔法の世界です。
異世界やファンタジーと呼ばれる世界において、『貴族』がそれなりに登場しますが、何をしている人なのかという疑問を感じていたりします。
様々な資料……という名のWikiや他の方のエッセイ、まとめサイトなどを参考にしつつ、自分なりに整理したものを提示してみたいと思います。
ところで、『中世』という世界と『近世』では、同じ爵位でも大きく意味が異なり、国と地域が異なればさらに意味が変わることになるので、その辺りは、区分が難しい所です。
例えば、『武士』というものが発生したのは平安時代の割と早い時代。蝦夷征伐後以降になるでしょうか。俘囚として各地に連れられて行った蝦夷の民が在地化して武装したものが『武士の起源』と考えられます。
騎射の技を武士の主たる戦法にするには、大和朝廷の徴用した歩兵を主戦力とする戦い方とは大いに異なります。平安時代に国軍が廃止され、私兵ばかりとなったのは、それ以前とそれ以降で武力の主役が変わったからなのでしょう。
真珠湾攻撃・マレー沖海戦以降、航空機を集中運用する日本海軍の戦法を米海軍が真似したように、蝦夷の戦いに学んだ朝廷周辺は積極的に俘囚の私兵化・武力としての確保を進めたのでしょう。
武士でさえ、千年の歴史の中で大きくその役割を変化させたのですから、欧州の『貴族』も時代と地域によって大きく変化していくことになるのでしょう。
さて、明治維新の際、日本にも貴族制度が取り入れられ、爵位が与えられることになりました。『華族制度』というやつです。
この爵位は、江戸期の幕藩体制の大名家を取り込み、また、朝廷に仕えていた公家を取り込んだものです。
公爵は五摂家当主と、徳川宗家・薩長藩主。侯爵は、旧御三家や土肥の藩主、前田家細川家蜂須賀家のような大藩の藩主に摂関家以下の上級公家、伯爵になるとさらに範囲が広がります。
当たり前ですが、公爵は少なく、伯爵は沢山いますね。子爵は分かりませんが、男爵辺りは更に多くなるようです。1912年に最も華族の数が多かった際、男爵家は409家。全体で947家あるので、43.2%を占めます。
男爵=一番下の爵位=数が多い=ショボいというイメージが湧きますが、これが正しいのかどうかというと疑問ですね。
例えば、ジャンヌ=ダルクを支えた『ジル・ド・レ』は大貴族ですが、『男爵』に過ぎません。父方、母方のそれぞれの家から相続した故に大きな領地をもっていましたが……『男爵』です。フランス王国の元帥ですが『男爵』です。
中世も半ばを過ぎた後期から末期のころですが、『男爵』ってべつに下っ端貴族ではないんですね。
Wikiで詳しい英国の爵位制度に関しても、百年戦争・薔薇戦争で多くの貴族の家系が途絶え、
尚且つ、新規に貴族を増やさないようにしたため、『准男爵』といった貴族と平民の中間的身分が発生したという、独自要素が存在します。
「騎士」階級が貴族扱いされるフランスと、されない英国、貴族扱いとそうでないものが混在する神聖ローマ帝国……騎士って身分なの? 職業なの? という区切りも分かりません。イタリアの都市国家では、納税額により御家人株のように騎士身分が贈与されたりしました。これは、防衛を自力で
行わず、傭兵に頼るため、傭兵を雇う資金を提供したもの=騎士という身分を与えられたためです。最初は自身で武装していましたが、商業資本の集積と共に、変化したようですね。
そもそも、貴族というのは「特権を持つもの」という意味合いが大きいようですね。爵位というのは中世においては「役割」という意味が強く、序列として認識されるのは近世になり王権の元で一元的に身分を管理するようになってからではないでしょうか。
もっとも、英国のように、嫡子のみ爵位を相続する制度の家はともかく、伯爵の男子は庶子でなければみな伯爵と見なされる(が、家を継がない者の子は伯爵位は継げない)という他の国の貴族だと、この辺り、微妙な話になります。貴族は身分であって、経済的な存在ではないということでしょうか。江戸時代の武士階級も似ています。
爵位があっても家が貧しいというのは、継ぐ物のない子供たちがいる場合、大いにそうなるでしょうか。次男は聖職者、三男以下は傭兵となり自力でどこかに仕官するというのが割とありがちな人生であったと思われます。
反対に、継ぐ物があれば爵位無しでも問題なく貴族としての体面が保てた可能性があります。例えば、女性に持参金ならぬ持参領地があり、爵位は継げなくとも血筋が良ければ夫となり、子供が領地を継ぎ、然るべき爵位を祖父か母方の系統から受け継ぐ……なんて形で相続可能なのでしょう。
神聖ローマ皇帝のハプスブルク家辺りは、そんな感じで沢山の爵位と領地を手に入れていたりしますね。
また、金銭で領土を貴族から譲り受け、四世代『領主』として務めることで、『貴族』となることもできたと言います。領地は金銭で購入したのでしょうか。豪農が名字帯刀を許されたり、豪商の娘や息子が武家の養子に行くというのも日本では見られた類似の話です。御家人株を購入するというのもありますね。
さて、貴族の中で最も爵位の多いのは男爵ではなく、『伯爵』であるというお話があります。なんだって!! と私も思いました。
日本の男爵と伯爵の関係で考えると、あり得ませんよね。伯爵の家の数は男爵家409家に対し、108家(10.5%)となります。
なぜこのようなことが起こるかというと、伯爵が『都市の管理人』であるからという意味があります。
例えば、フランス王家が『パリ伯』であったことなどですね。フランスは伯爵がとても多いです。イル・ド・フランス(パリのある盆地周辺)は、ローマ時代から都市がありましたし、ノルマン人の侵略などに対抗する為に、壁を持つ都市がそれなりにありました。
その都市の名前に『伯』を付けて**伯というのがとても多いように思われます。
フランスの場合、『フランク王国の役職が分裂後の戦乱の9-10世紀に世襲化して封建貴族となり、中世終期に爵位化した』とされています。
公爵=軍政官(Duc)、侯爵=辺境長官(Marquis)、伯爵=地方長官及びその他の長官(Comte)、子爵=副伯(Vicomte)、男爵=王の直臣(Baron)という関係になります。
さらに、この時代、ヴァイキングや異教徒の海賊が来襲し各地を襲ったことから、共同して防衛する必要が高まりました。このため、爵位に関わらず王・公・伯は対等な盟約関係にあるとされ、上下ではなく対等な関係となったのです。
中世ど真中において、伯爵と国王は日本とアメリカみたいな関係であったと考えれば良いのではないでしょうか。
伯爵が一つの都市とその周辺に対する支配権を持つとすれば、複数の都市を支配下に納めている存在が『公爵』となります。部族長が『公爵』位を有すると説明される場合もありますが、複数の都市にそれぞれ自分の配下の氏族のリーダーを伯爵として(その多くは自身の血族と婚姻関係を結ばせている)配置している、複数の都市の支配者=小国家の長となるのではないでしょうか。
例えば『妖精騎士』では『サボア公国』という架空の公爵家が登場しますが、元は『サボア伯爵』と『トレノ辺境伯』が婚姻により結びつき、それが一家となったことで、帝国皇帝から『公爵家』に任ぜられた経緯があります。
その後、『聖国王位』も婚姻により取得したため、王位を持つ公爵ということで『大公爵』となり「サボア公国」を名乗るようになるのです。
他の国の領土から転じた場合も、『公爵』として任ぜられる場合があります。これは、他国の王家が王のいる国に降った場合(他の部族の旧王族ということで)公爵とされることになります。
また、辺境伯・侯爵が転じた場合も『公爵』となることがあるのは、複数の都市を支配下に置き、王に準ずる規模の独立した特権を認められるという辺りが基準となるのでしょう。
【参考文献】
図解 中世の生活 新紀元社
ヨーロッパの貴族―――歴史に見るその特徴 刀水書房
【参考サイト】
Wiki
Zorac歴史サイト
チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】
【なろう参考投稿】
公爵とか男爵とは何なのか ~君主や貴族の称号と、爵位という幻想~作者:みやび N1024GH
軍事関係の覚書 作者:はすむかいN1685BU
【参考商業コミック作品】
騎士譚は城壁の中に花ひらく 作者:ゆづか正成
十四世紀くらいの水準だと思います。中世後期相当。
エーゲ海を渡る花たち 作者:日之下あかめ
十五世紀の地中海東部のお話。
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