第5節:悪運に座す者
中年男性が、通話の切れたスマホを耳に当てたまま目配せすると。
周囲の黒服たちが一斉に一歩踏み出して、春樹と冬子に銃を突きつけた。
冬子は、こめかみに触れる鉄の感触を。
とても冷たい、と思った。
「やってくれる」
「ホンマに殺ったろか? 銃、下ろせや」
春樹は笑みを引っ込めて、こめかみの銃よりも冷たい目で中年男性を見据える。
「勘違いしてんちゃうぞ、おっさん。オレは賭けをしに来てるんや」
「貴様こそ、自分の立場を理解していないな」
男性は、春樹の目を真っすぐに見返していた。
「今すぐ貴様ら殺してやってもいいんだぞ。人質を解放しろ」
「オレらを殺せば、二人は死ぬで」
「出来るはずがない」
「あんたの部下が、今二人のところに向かっとるからか? 見つけれる訳ないやん」
春樹は、寒々しいほどに冷酷に片頬を上げた。
男性の表情は動かない。
「時間をかければなんとかなる、と思ってんねやろ? オレの仲間なんざたかが知れてる、てな。子ども二人助け出して、その後ゆっくりオレやトーコを始末するわけや。簡単な話やなぁ?」
「それもある、が。そもそも」
中年男性はすでに、冷静さを取り戻しているようだった。
「息子はともかく、娘がさらわれた証拠はないからな。今、先に部下に確認を取らせている」
「どうぞお好きに」
春樹は肩を竦める。
「……ゲームを続ける。妙な真似はするな」
男性は、冬子の顔に軽く目を向けた。
「カードをめくる以外の動作をした場合、そこの女を殺す」
その瞬間。
場を支配していた冷気が吹き飛ぶような、灼けつく殺気が春樹から放たれた。
「なぁ、おっさん」
春樹は全く姿勢を変えておらず、表情も変わっていない。
だが。
気圧される、という言葉そのままに。
男性と、その部下たちは一様に固まっていた。
この場では圧倒的に有利なはずの男たちが。
たった一人の、少年に対して。
そうして、首筋を針で刺すような空気を放ちながら。
春樹は続ける。
「この場で、皆殺しにされたいんか?」
「な、んだと?」
「トーコに手を出すな。これは、ルールや」
「馬鹿げたことを……」
「おっさん」
春樹の髪が、ざわ、と揺らめいたような錯覚。
「分かった。娘を先に、なぶり殺して欲しいんやな?」
周囲を囲む黒服たちが、汗を流しながら一歩後じさる。
男性は、春樹とは逆に暗く、深く、闇に沈むような目で。
動じる事なく、言った。
「どうやって?」
「順次。オレのスマホ鳴らせ」
ふいに、春樹がこの場にいない男に声をかける。
沈黙の五秒後。
春樹のスマホが、場違いに軽快なメロディを奏でて止んだ。
男性が、察したように呻く。
「―――盗聴器か」
「そういうことや」
春樹は、自分に盗聴器を仕掛けていた。
自発的に通信出来る手段など、始めから必要なかったのだ。
春樹を喋らせないことが最優先だった。
男性は、それを見誤ったのだ。
彼が新しい命令を下すより先に、春樹の口がなめらかに動く。
「順次。1。盗聴妨害されたら娘を殺せ。2。一発でも銃声が聞こえたら娘を犯して殺せ。3。おっさんが三度脅しを口にしたら、娘を苦しめて殺せ。以上や」
もう一度、春樹のスマホが別の音を奏でる。
「ラインが入ったみたいやな」
「私が、貴様に読ませるとでも?」
「部下にでも取らせたらええんちゃうか?」
「……おい」
男性の声に、恐る恐る、といった様子で黒服の一人が春樹のポケットからスマホを取り出した。
「社長」
「読め」
「文章はありません。画像だけです」
男性は、示された画像に歯をかみしめた。
「貴様ぁ……ッ!」
そこには。
彼の娘が、縛り上げられた姿で映っていた。
アイマスクとタオルで目と口を塞がれ、ビニールひもで腕と足を拘束されている。
「口の利き方に気ぃつけや。オレは、殺ると言えば、殺る」
「ここまでやって、無事で済むと思っているんだろうな!?」
「脅し一回や。人の心配より、まず自分の命の心配せぇや。お前自身と娘の命の2択にしたってもええねんぞ」
一触即発。
だが、そこで。
「ンだよ、随分熱くなってんじゃねェか、ハル坊」
唐突に、ドアを開けて入って来た老人が、部屋の中を見回していぶかし気な顔をする。
「108億かけて、バクチ打ってたんじゃねェのか? もっと楽しそうな顔をしろい」
来客の顔を確認した途端。
男性が、がたっと音を立てて立ち上がり。
黒服たちが、一斉に背筋を伸ばした。
こめかみから銃がのけられた冬子も、目を丸くする。
「悪滅道の、ご隠居……!?」
中年男性が、信じられないものを見たように確認する。
「おう。良識通の坊主。邪魔してるぜ」
対してじっちゃんは、いつも通りの恰好で、いつも通りの態度で、いつも通りに軽い挨拶をした。
「ンで、ハル坊よ。なァにをそんなに揉めてんだい?」
「コイツが、トーコを殺すとか言うから、ちょっと脅しとっただけや」
春樹がふてくされたように鼻を鳴らす。
だが、先ほどまでの苛烈な空気は霧散していた。
「ご隠居……そのガキは知り合いなんですか?」
「まァな。善行寺のアホたれは元気か?」
じっちゃんは、誰かの名前を出した。
「オヤジなら、体一つ壊す様子もありませんよ」
「カッ。さっさとくたばれば良いもんを、クソジジイが」
「じっちゃん。人のこと言われへんやろ。兄弟組長やねんから、同い年くらいちゃうん?」
「うるせェ。ンなこと言ってると、やんねェからな、コレ」
「そら困るわ」
「ちったァ感謝しろ」
じっちゃんは、ポケットから無造作に書状を取り出した。
「ほれ」
シワの寄ったそれを、男性に放る。
「これは?」
「委任状だよ。修羅交差会組長のな」
中年男性が顔色を変えた。
冬子が後で聞いたところによると、修羅交差会、とは、悪滅道、善行寺を含む、系列組全ての元締めらしい。
そこの組長は、悪滅道の爺さんと善行寺の組長の、さらに『親』に当たる人物だという事だった。
「な、内容は・・・?」
「今日、この場でやってるバクチの決着に関する話だ。この件に関して、バクチ以外の決着を禁止する。そしてお互いにこの件で遺恨を残さねェこと。以上を、てめェらに守ってもらう。分かったら、委任状に名前を書け」
それは、事実上の命令だった。
男性は立場上組の元締めに逆らうことは出来ず。
春樹にとっては身を守るにこれ以上の安全策はない。
男性は息を呑み、春樹を見た。
冬子も、春樹に目を向ける。
彼は。
激昂する前と同じ、ふてぶてしい笑みを浮かべていた。
「ガキ……貴様、一体何者だ?」
「別に? ただのガキやで?」
人を喰ったような受け答えをする春樹の頭を、じっちゃんがはたく。
「あだっ!」
「わざわざ俺が、オヤジんトコまで足ィ運んだんだぞ。てめェがエラそうにすんな」
「シバくことないやろ!」
「カッ。おいハル坊。てめェも無事に決着したら、人質解放しろよ。委任状にゃァそれも書いてあんだからよ」
「わかっとるわい。心配せんでも、息子の方はもう、ここに向かっとんねん」
「なんだと?」
その言葉に反応したのは、中年男性だった。
春樹は笑う。
「もう着く頃や。さ、ポーカーの決着、つけるで」
と、春樹は最後のさらのカードを指差した。
「俺もちっと、噛ませろよ」
じっちゃんが新品をシャッフルし、置いたカードを春樹と中年男性がそれぞれカット。
そして、お互いに一枚ずつ、相手と自分の札を手元に伏せる。
イカサマの入る余地はない。
5枚ずつのカードがテーブルに並んだ時点で、男性が手札を確認しようとすると。
「ああ、ええ」
春樹はそれを留めた。
「どういう意味だ?」
「悪いけど、もう終わりやねん」
伏せたままのカードを、春樹は一枚ずつめくって行った。
最初が、スペードのJ。
続いて、スペードのK。
男性が、ぽかん、と口を開けたのは、スペードのQと、10が現れた時だった。
「最後や」
めくった一枚は。
まるで当然のように―――スペードの、A。
最強の手役、純正のロイヤルストレートフラッシュだった。
「バカな……」
立ち上がった春樹は、呆然とする中年男性に言った。
「一つ、ええことを教えたるわ」
男性は、のろのろと春樹の顔を見上げる。
「あんたの娘、サエを病院送りにしたのは、あんたの依頼した&Dやで?」




