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&DEAD  作者: メアリー=ドゥ
第二話:オセロ
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第7節:現実は非情


 後に残った静寂を破ったのは、肉を叩くニブい音。

 我に返った冬子は、気付けば順次の頬を平手で打っていた。


「―――ッッ!」


 精一杯の怒りを込めて睨みつける冬子に、順次は普段通りの視線を返して来た。

 わざと避けなかったのだろう。


 それくらいは、冬子にも分かる。

 だが、それで許せるかどうかとは、別の話だった。


 目の前の男は。

 一人の、生きていた少女を見捨てたのだ。


「死霊、という存在はな」


 順次が、静かに言う。


「他の全てを捨て去れるほど、一つの想いに凝り固まった存在だ」


 早くも赤く腫れ始めた頬を、順次は喋りにくそうに動かした。


「あいつには、もう薄絹しか見えていなかった。その想いを遂げさせてやって、何が悪い?」


 もう一度。

 冬子が怒りのままに振り上げた腕を。


 掴んだのは、じっちゃんに解放された春樹だった。


「ちょっと落ち着きぃや、トーコ」


 ぶんぶん、と冬子は首を横に振る。

 だが、聞き分けのないだだっ子のような冬子に、順次がさらに言葉を投げる。


「梅咲。お前の友人は良くて、ノブはダメなのか」


 冬子の動きが止まる。


「生霊になったお前の友人は、駒道に復讐を遂げたんだろう。だからこそ、生きて戻ってこれたんじゃないのか」


 冬子が揺れる瞳で順次を見上げると、順次はポケットからタバコを一本抜き出した。


「だったら、死霊になったあいつにも、想いを遂げさせてやって、何が悪い? 生きていれば許されるのに、死んでいたら許されないのか?」


 冬子は、首をかすかに横に振る。


 サエは。

 駒道を殺しはしなかった。


 ヒドいことはしたが、殺しまでは……。


「春樹がいなければ、お前の友人も奴を殺していた。ノブは、肉体がすでになかったから死霊になるしかなかっただけだ。自分に残された遺骨を喰って、あいつは俺のところに来た」


 順次は、煙を吐いた。


「そして言った。邪魔をするな。愛しているんだ。―――でも、俺を殺してくれ、とな」


 彼は、真っ向から冬子の目を見る。


「一体、何が違う?」


 駒道と、まとい。

 サエと、ノブ。


 でも。


 ―――サエは、駒道を襲おうとしながらも、私のことを守ってくれました。サエは、ノブさんとは違う!


 冬子の心の声は、春樹以外には聞こえない。

 春樹が順次にそれを伝えるが、順次は揺るがなかった。


「何も違わない。死霊や生霊の行動は、全て想った相手に起因しているものだ。お前の友人もそうだ。梅咲を守ったわけじゃない。自分の男に近づく女を、ただ、追い払っただけだ」


 冬子は、否定したかった。


 そうじゃない。

 サエは、そんな人間じゃない。


 でも、冬子には否定出来るだけの何かが、ない。

 サエがそんな人間じゃないと、確かに思っているのに。


「お前は、何も知らない。死霊のことも……春樹のことも」


 順次の宣告に。


「せや。トーコは何も知らん」


 同意したのは、冬子の肩を支える春樹だった。

 だが、それはとても優しい声音だった。


 それまでの、まとわりつくような負の空気を払うほどに。


「でもな、知らんことは悪いことちゃう。最初は、誰も知らんねや。悪いのは知ろうともしないことや。せやろ?」


 冬子は、涙のにじんだ目で春樹を見る。

 春樹はいつもの人なつこい笑みを返してくれた。


 大丈夫、と、言われたようで。

 す、と肩の荷が下りる。


「なぁトーコ。順次のいうことはもっともやけどな。一つ忘れたあかんのは、人間には表もあれば裏もあるっちゅ〜事や」


 順次は春樹の言葉に、紫煙をくゆらせながら顔を背ける。


「確かに、サエのやったことは一面ではそうや。コマッチを独占したくて、トーコを邪魔やと思っとったかもしれん」


 でもな、と。


「コマッチのやったことを、サエは知っとった。やから裏では、これ以上コマッチに誰かを傷つけさせない、と思っとったかもしれんねや」


 冬子は、目をまたたいた。


「それかて、立派なコマッチに対する『想い』やろ? 目に見える行動は一つでも、解釈は人によってちゃう。ホンマはどうなんか、なんてことは、実はどうでもええねん」


 春樹は、順次に目配せした。

 冬子も目を向けると、順次は軽く息を吐いた。


「悪かった。言い過ぎた」

「順次は、ツレの事になるとアツなるからなぁ」


 冬子は、どうしたらいいか分からなかった。

 サエのことは、確かにそうかも知れない。


 でも、まといとノブは。


「あの二人も、一緒やよ。トーコ」


 いつもみたいに。

 想いを先回りするような、春樹の言葉。


「思い出すんや。昨日一日聞いた、ノブの顔を。ノブを信じた、順次の言葉も」


 冬子の肩にかけた手に力を込め、春樹は冬子を振り向かせた。


「ノブは、人を傷つけるような奴やと思ったか?」


 冬子は、即座に首を横に振った。

 だが、それを言うならサエも、人を傷つけることを好む人じゃなかった。


「サエは、誰も傷つけないように、コマッチを止めようとしたんやろ? なら、ノブかて同じなんかもしれん」


 春樹は、まといの消えた床を指差した。

 そこで起こっていることを見て、冬子は息を呑む。


 水面が揺らめくように空間がたゆたい、そこにうっすらと、まといの姿が浮かんでいた。

 穴の底の方で目を閉じて、気絶しているように見える。


 彼女は、青い燐光に包まれていた。

 そんな彼女を抱き上げるようにかかえて、ノブが立っていた。


 俯いていて、顔は見えない。

 まといの体から黒い何かが染みだし、青い燐光と混ざっては空中に拡散して行く。


 毒を、吸い出している?


 直感的に、冬子はそう感じた。


 でも、何故?


「まといは多分、プッシャーにクスリづけにされとったんや」


 春樹の言葉に、冬子の中で全てが繋がった。

 死霊になってまで、まといに執着したノブ。


 彼が、プッシャーの体を奪ったのは何故なのか。

 その体と、死霊と化すことで得た力を使って、何をしようとしていたのか。


 全ては。


「惚れた女をクスリから解放するために死霊になった、てェことよ」


 悪滅道のじっちゃんが、冬子の横で一緒に穴を見下ろしていた。


「それを知ってたから、俺ァ、手ェ貸したのさ」


 穴の底でまといに与えられているのは。

 恋する少年の、見返りを求めない贈り物なのだ。


「死霊、なんて言葉は悪ィけどな。裏を返しゃ人間の魂なんだからよォ、そう悪ィことばっかりでもねェってことさ」


 冬子はうなずいて、堪えきれずに涙を流した。


 無性に悲しく、でも、心のどこかで暖かさも感じていた。

 春樹は、やれやれとソファに腰を下ろしたフミに言う。


「フミちゃん。そいや、依代やったプッシャーは?」

「生きとるよ。ただ、憑かれてた時間が長かったせいで狂っとる。もう元には戻らんやろな。病院の前に放り出しといた」


 フミの言葉に、冬子は複雑な気分になるが……今回の件で唯一の悪者だ。

 まといと、ノブと。


 もしかしたら駒道の人生も、狂わせた相手だ。

 同情する気にはなれなかった。


 結局、自分と周りさえ良ければそれで良いのかもしれない、と自分の現金さに呆れた冬子だが。


「人間なんて、基本的にはそんなもんやで」


 という春樹の言葉に、そうかもしれない、と思い直す。


「さて、と」


 穴の底から、ゆっくりと浮き上がってくるまといを見て、春樹が首を回した。


「最後の仕上げや」


 それを受けて、順次が吸い終えたタバコを灰皿に捨てた。

 彼は、まだ左腕に青い文字をまとい、瞳を赤く染めている。


 なんだか不穏な空気に、冬子は周りを見回した。


 春樹が笑みを消し。

 じっちゃんは悟ったような半眼。


 フミが目を伏せて前髪で顔を隠し。

 順次が、まといを救い上げてソファに横たえる。


 そして、言った。




「今から、ノブを殺す」




 何故、と冬子は春樹に目で問う。

 春樹は淡く微笑むだけで答えなかった。


 順次が振り向くと、《異界》の穴から透けた少年が姿を見せたところだった。


「ノブ」


 順次の呼びかけに、ノブは困ったような顔で笑った。


『約束、ダ。君ノ手デ……』


 その想いを聞いて。

 横で見ている冬子にも分かった。


 彼は、ひどく飢えている。

 力の消耗の代償として、存在そのものが薄れている。


 今すぐ誰かに憑かなければ、消滅してしまうほどに。


 そして。

 関係のない対象に、無差別に憑くようなことになれば。


 きっと、彼はもう、まといの事だけを想い続けた彼では、いられないのだ。

 表と裏、というのは、そういう意味なのだろう。


 望んだ力を得た代償は、決して軽くはない。


「…………ああ」


 ひどく間を空けて、順次は返事を返した。

 左腕をかかげ、静かに言う。


「〝招来〟」


 言葉とともに。

 順次の文字列が赤く染まり、左腕が変質した。


 手首までを覆っていた文字が肘の先まで広がり、その皮膚をも赤く染める。

 ツメが鋭く伸びて指先と一体化し、鋭く引き締まるのと対称的に、前腕が膨れ上がった。


 鬼の腕。


 異形の腕から、離れていても伝わる《異界》の熱気を感じる。

 順次は何かに耐えるように待つノブに対して、異形の指先を向けた。


 それは、まるで聖域で行われる祭事のごとき神聖さを伴っていた。


「ッ!」


 順次は、爪先で一息にノブの胸を貫いた。

 貫かれた場所から、炎のように赤い光が燃え、ノブの体を喰い尽くして行く。


「悪かった、ノブ」


 まるで、自分が燃えているかのように苦し気な顔で順次が言うと。

 灼けて行くノブは再び困ったような顔で笑い、首を横に振った。


 彼は。

 最後に、自分が救った少女の横顔を見て。


 満足そうにうなずいて、逝った。

 

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