6.2.Side-ウチカゲ-帰還報告
新しい畳の匂いが、部屋の中を満たしていた。
触り心地も良いし、なにより安心する。
そこに座って縁側を眺めていると、ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。
いつの間にか曇天となっていた空を軒先越しに見上げると、ゴロロ……と雷が声を上げる。
まだ雨は小ぶりだが、この調子だと後に本降りになりそうだ。
ウチカゲはゆっくりと立ち上がり、雨戸を閉めた。
外の様子が見られなくなるのは寂しいが、雨戸を閉めたおかげで畳の匂いをより濃く感じることができる。
悪くない、と思いながら座布団に座り、机に積まれていた書類を一つのぼんの上に避けた。
前鬼の里が天使に攻撃され、復興の手続きが多くいつもより倍の書類をやっつけたところだ。
とっくに冷めた茶を飲み欲し、息を吐く。
「……」
ガロット王国の兵士たちは、既に去った。
宥漸たちがいち早く逃げてくれたというのと、里の者全員に宥漸のことを教えたのが大きい。
兵士たちは碌な証拠を集めることができず、悔しそうな顔をしていた。
そのことを思い出して、小さく笑う。
無駄足だった、と思わせることができただろうか。
だが未だにアマリアズの一件は終わっていない。
スレイズがどう対処しているかは知らないが、しばらくは返せそうにないので何とか誤魔化してもらいたいところだ。
とはいえ向こうも本気だろう。
付け入る隙ができたのだから、それはもう必死で取り戻そうとしてくるはずだ。
申し訳ないことをしているという自覚はあるが、友好関係は崩したくない。
今回の調査も、それが目的で兵士たちには自由に調べさせたのだ。
すると、小さな気配が近づいてきたことに気付く。
目線だけをそちらに向けると、シズヌマがひょこっと障子を開けて顔を出した。
そしてすぐに跪く。
「ウチカゲ様、宝魚の原にて一つ、不審な者が」
「それを、どうした?」
「すでに捕えて尋問しております。人間ではありましたが、どうやら天使の息のかかった者に間違いはないかと。テキルの装備を身に付けておりましたので」
「どれだけ量産しているのやら」
ウチカゲは一つ、巻物を手に取った。
それをするすると開いてみると、テキルが前鬼の里に残した魔道具の制作方法がそこにはあった。
これは明らかに本物であり、この一つにしか記されていない。
一体どこでこの設計図が漏洩したのかは、今も尚調査中だ。
怪しんでいることは一つあるが、どうにも違うような気がする。
この里に、天使に寝返るものは一人としていないのだ。
それは宥漸のことを隠し通した彼らの実績が、そう物語っている。
「ふぅむ……」
「……人知れず溶け込み、設計図を読み取る技能も、あるとは思いますが……」
「そうだな。だがそうなると、私がこの部屋に招き入れた者全員を疑わなければならん」
「それも、そう、ですね……」
シズヌマは難しそうに眉を顰め、何か違う可能性がないかを思案しはじめた。
だが技能が絡んでいる以上、考えても答えは見つからない。
どんなものが使用されたのかすら分からないのだ。
技能とは、予想を超えるため、仮設、妄想すらも凌駕する。
本当に面倒な手合いだ、とウチカゲはため息をついた。
「タタレバの容態はどうだ」
「まだ動くことはできませんが、医者曰く、もう大丈夫だ、との事です」
「ほぉ、何故生きているか分からんほどの重体と医者から言わしめたあいつが」
「元気に握り飯を食うております」
「それで体が鈍らなければよいがな」
彼女はまだ若いが、しばらく床に伏せる必要があるので、体力は少なからず落ちてしまうだろう。
再び戦える力を取り戻すのには時間を要するだろうが、それは彼女次第なところもある。
だがタタレバであれば、案外すぐに再び任務に就けるほどに回復して帰って来るだろう。
すると、廊下が騒がしくなった。
ドタドタと誰かがこちらに向かって走ってきている様だ。
だがその気配は、二人ともよく知っている人物だった。
スパンと襖を開けて入ってきたのは、ケンラだ。
汗をかき、息を切らしているところから見るに相当遠くから走ってきたのだろう。
それも、全速力で。
「どうしたケンラ。柄にもなく焦りおって」
「げほごほっ……! う、ウチカゲ様……! ゆゆ、宥漸君が、ご帰還なされました!」
「「!?」」
ウチカゲはすぐに立ち上がり、着物を羽織る。
そして一言も発することなく縁側の雨戸を開け、一瞬で飛び出してしまった。
ほぼ一瞬のことでケンラは何が何だか分からなかったらしいが、シズヌマは辛うじて目で追うことができたので、そのあとをすぐに追いかける。
ぽつんと取り残されたケンラは、崩れ落ちるように畳に手を付け、息を整える。
「も、もう無理……走れない……」




