5.39.襲撃
応錬とリゼが揉めているが、今はそれどころではないように思う。
気配だけで分かる敵の数は、非常に多い。
なにせ領民が爆弾の使い方を理解し、それを運び出してこちらに向けているのだ。
凄まじい爆音が何度も何度も轟き、水の壁に衝撃を加え続けている。
しかしさすが応錬さんの魔法……。
あれくらいの爆弾ではびくともしていない。
真正面から受けてこれだけしか衝撃が伝わってこないんだから、相当な防御力があるんだと思う。
ていうか、これ、どうなってるの?
天使はさっきやっつけたはずだし、領民たちが結束して攻撃してくるのには早すぎる気がする。
まだ状況を理解できている人間は少ないはずなのに……。
と、とりあえずお母さんはアシェラさんと一緒にいるし、アマリアズは『空間把握』で状況を掴もうと手を伸ばして探りを入れている。
応錬さんは防御に徹しているみたいだけど、今は笑いながらリゼさんの相手をしてる……。
一体その余裕はどこから湧いてくるんだろう。
これくらいの冷静さっていうか、心の余裕があるってのはなんだかすごい。
すると、アマリアズが手を引っ込めた。
顔を見てみると、小さく笑っていたので、僕は少し驚く。
「……どうしたの……?」
「ああ、いや。久しぶりに、見たなって思って」
「……誰を?」
「本物の天使」
懐かしそうに、だが面倒くさそうにそう呟き、顔には微笑を浮かべていた。
ようやく自分がなすべき目的を見つけたと、彼はそう感じていたのだ。
だが、そこで自身の手を見る。
今持っている力は非常に少なく、肉体も非力で、全盛期には遠く及ばない。
今は仲間がいるから大丈夫かもしれないが、一人ではなし得ることができない目的は、人の手にはあまりある。
「……ああ、ウォーゼン様は、そういう目的で、私を人間の子供にしたのか」
天使をすべて始末し、世界の均衡を正すという目的は、自分一人では確実に無理だ。
恐らく彼は、この任務完遂は他の者たちと協力することを前提としていた。
ということは、自分はウォーゼンに確実に信頼されていたわけではないのだろう。
そうであれば、元々の力を宿したままここに転移していたはずだからだ。
妙に納得し、ため息を吐いた。
もはや自分の事など彼は覚えていないだろうが、知っている者が一人でもいるのであれば、問題はない。
まったく嫌なクソジジイだ、と心の中で笑いながら呟き、手に『空圧剣』を作り出す。
「応錬さん、技能持ちの天使がいる」
「大体リゼ、お前は──え、まじ? って、どうせくそ弱いだろそいつ」
「今回は違うみたいだよ」
「……ほぉ?」
応錬の顔つきが真剣になった。
リゼとの会話を中断し、魔法袋から新しい“刀”を取り出す。
それは、白い装丁を施されている三尺刀であった。
刀身は未だ鞘の中に納められているが、それであっても存在感はすさまじく、見事な曲線を描いた全身が芸術品と呼ぶにふさわしい風貌を携えている。
応錬はそれを、腰に差す。
軽く調子を確かめたあと、影大蛇を腰に差し直した。
白い和服に白い鞘の日本刀が見事に合わさり、だだ立っているだけで威厳が醸し出されている。
満足そうに笑った応錬は、三尺刀に手を置いた。
「久しぶりに使うな、こいつは。さて、アマリアズ。その天使ってのは、こいつを使う程の強敵かい?」
「……それ、白龍前?」
「お? ウチカゲから聞いてたのか? ま、その通りだが。で、どうなんだ? 使うに値するか? 値しないのか?」
「値すると思うよ」
「そうこなくちゃな」
応錬が一歩前に歩いたと同時に、白龍前を抜刀する。
洗練された美しい刀身が周囲の水を映し出し、ほのかに青く染まった。
流麗のごとき抜刀。
一切の無駄のない動きは見る者を釘づけにしてしまう。
その瞬間、周囲の水が崩れ去った。
ざばざばと音を立てながら地面に吸い込まれ、大地が水浸しになる。
巨大な『水結界』を解除して見えたのは、大勢の人間がこちらに鋭い眼光を向けている姿だった。
しかしその中には、確かに恐怖がある。
あの爆撃の中平然としていられるという事実が、より一層応錬たちを邪神だと決定づける者となってしまい、恐怖が伝染していく。
「恐れるな」
一人の天使が、人間たちの頭上を飛んでいた。
今まで見てきた白い衣の天使ではなく、彼は緑色の衣を身に纏っている。
死神でも持ちそうにない巨大な大鎌を肩に担いでいるが、彼の体は華奢というほかない。
細い腕がそれを振る姿は、どう頑張っても想像ができなかった。
黒く長い髪の毛を乱暴に後ろへ掻き上げる。
毛先に向かうにつれて深緑色になっているようで、少し特殊な色合いをしていた。
前髪を上げたことによりオールバックになった彼は、鋭い目線をこちらに向ける。
「お前たちは、そのまま、攻撃を続ければ、それで、いい」
一言一言を丁寧に区切り、領民の耳に残るような独特な声で先導する。
すると、次第に領民の恐怖の色が掻き消えていった。
それと同時に、人間である彼らの頭から、淡い黄緑色の靄が浮かび上がり、それは天使の下へと集まっていく。
彼の目の前でその煙は一つの球体に閉じ込められたかのように集められ、最終的には固形となった。
それを丁寧に指先で摘まみ上げ、天使はそれを、口に入れる。
バリッという硬い音がしたが、彼は美味そうにそれを堪能し、喉を鳴らして飲み下す。
「……ああ、恐怖とは、甘美」
巨大な大鎌を片手で構えた。
軽々と持ち上げられたそれを見て、応錬は笑っている。
「ああ、こりゃあこいつを使うに相応しい相手だな」
「天使らしからぬ天使だけどね」
「確かにな。さぁ……ってと。まずは一人、倒して見せますかね」




