4.37.教会内部
からん、ころんと音がする。
転がった聖杯はすべてが銀でできているようで、少ない光を浴びただけでも光沢を輝かせていた。
美しい彫刻、装飾。
液体を注ぐのを躊躇してしまいそうなほど精巧に作られた聖杯が、今地面を転がって歪んでしまった。
高い所から落ちてしまえば、どこかが歪むのは必然だ。
精巧に作られていればいるほど、そうなる確率は高い。
飾り気に満ちた大聖堂の中心に、空から光が差している。
それにシンプルな作りではあるが美しい輪郭を整えた机と椅子が置かれており、そこに一人の天使が座っていた。
目の前には、跪いているまた違う天使がいるようだ。
「……今、何と言った」
転がった聖杯を目にも留めず、震える声でそう口にする。
低く、重圧のある声であり、その声に似つかわしい風貌をした男の天使が、目を見開いて報告をしに来た天使に殺気を飛ばしていた。
あり得るはずがない話が、彼の耳に入ったからだ。
長く伸ばした金色の髪を手で鷲掴んで乱しながら、机に置いてあったワインボトルを握った。
動揺しているからなのか、その手は震えている。
しばらくするとひびが入り、ボトルが粉々に砕け散って中身ごと地面に落ちて広がった。
「い、今一度……申し上げ、ます。応龍が、目覚めました」
「……」
ざわり、と周囲が“波立った”。
それに顔を青くする報告をしに来た天使は、即座にその場から跳躍する。
低空飛行を続け、難を逃れた。
そんな彼を忌々し気に睨みつける。
そして怒気を含んだ声を投げつける。
「どういうことだ……! あれは、封を解かれれば、死ぬはずだろう……!!」
「しかし、インブロは既に生命反応を断ち、殺戮天使も召喚されております。無論、それも反応を消しましたが……。あれを読めるのは……応龍しかいないかと……」
「インブロはともかく……殺戮天使が……」
震える手を何とか押さえつけると、周囲の波が次第に凪になっていく。
完全に収まったところで、飛んでいた天使は足を地面に着けた。
入念に大丈夫かどうかをつま先で蹴って確認したのち、顔を上げる。
天使だというのに輪っかはなく、翼は少しばかり小さい女。
おどおどとした様子ではあったが、目の前の大天使の気が落ち着いてきたことを感じ取り、ほっと胸をなでおろした。
「ど、どうなさいますか……? 恐らく、あの者たちは他の三体も目覚めさせるつもりだと思いますが……」
「ならぬ!! それは断じて許してはならぬ!! 我らが四天教会の悲願が潰えることになるぞ!! 今すぐ動ける者共を動員し、封を解きに参れ!! 普通に封印を解けば死ぬはずだ!!」
「は、はっ!!」
急に大声で叫ばれたが為に体を跳ね上げて驚き、命令をまっとうするために即座にその場から飛び立った。
その後ろ姿をしばらくの間見ていた大天使は、大きなため息をついて椅子に腰かける。
金色の長い髪を手櫛で梳き、乱れを整えていく。
だがそれでも胸の内に残る苛立ちと懸念が拭いきれない。
こうして座っているだけで何かに責め立てられているかのような焦りが込み上げてきていた。
「なぜ『封殺封印』が解かれるのだ……! あれは代償の代物だぞ……!」
あの封印は『応龍の決定』を使用した代償。
なにに使用したのかも、今でははっきりとわかっている。
封印される数秒前に『応龍の決定』を発動した応龍は、霊亀の妻子を未来へと飛ばしたのだ。
一体いつの時代に飛ばしたのか、それは長年分からなかったが、今は確かな情報源があり、この時代に来ているということが確実となった。
これで、ようやくあの技能を作り出せる。
下準備は整っているし、あとは連れてくるだけだ。
そんな矢先のことである。
応龍が復活したのは。
昔と同じように邪魔立てをしようとしていることは明白であり、今の状況から考えても既に敵対しているとみていい。
だが、まだ一体だ。
これ以上封印を解かれなければ、まだ何とかなる。
「邪魔はさせぬぞ……! 応龍……!」
「ガァ」
「……そうだな」
どこから現れたのか、黄色い鴉が机の上に乗っている。
一声だけあげたが、それ以降は顔を振るってから大聖堂の中を飛び回った。
大天使は立ち上がり、日の光を浴びながら、黄色い目を見開いた。
「この世にあの四神を再び」




