17.ファイナルブースト
《誰かさんが邪魔をしに来ていたとはいえ……まだ片付けていなかったの、琴美》
嘲るような千代の声が無線から流れてくる。
《キタムラ製のものには欠陥品しかないのかしら》
真紅のグラウンドファイター、ロートヴィジランティは梨々亜のすぐ後ろにまで迫ってきていた。
《いいえ、あなたは小さい頃からダメな子だったわね》
千代は深いため息を吐いた。
《勉強も駄目、運動も駄目、習い事も真面目にやらずに私の顔を潰してばかり。私がどれだけ恥ずかしい思いをしていたかわかる?》
《う……うぅぅ》
うめき声が聞こえてくる。
琴美は黒いグラウンドファイターの上で痛みにあえぐように体をよじり始めた。
《出来損ないは検体になっても出来損ないなのね》
「あんたはっ……!」
バイスデヴァステイターの後部火器が使えたなら、梨々亜はすぐにでも千代に叩き込んでいただろう。
だがあいにく破壊されてしまっている。
残された火器はフロントカウルに装備された機関銃だけだった。
《せっかくシュバルツリベレーターを与えてあげたというのに。少しくらい私の役に立ったらどうなの、琴美》
《うぅ……うぅぅっ……!》
「琴美! そんな奴の言うこと聞かなくていい! 今すぐ止まって!」
《琴美! さぁ、早く! そのマシンを撃破しなさい!》
《うぅぅ……! うぅぅぅぅっ……!》
のた打っていた琴美の体が、糸が切れたように大人しくなる。
無線からうめき声も聞こえなくなった。
「琴美……?」
《……『ベーオハンマー』……オン》
直後、シュバルツリベレーターの長砲身から榴弾が発射された。
だが、それは梨々亜を狙ったものではない。
バイスデヴァステイターの真横をすり抜け、後方にいたロートヴィジランティに直撃した。
《なっ……!》
千代の驚いた声が途切れ、爆発の炎がサイドミラーを埋め尽くす。
爆炎が晴れたとき、真紅のグラウンドファイターが路上に横転しているのが見えた。
「琴美……」
シュバルツリベレーターは依然として止まる気配がない。
梨々亜は状況がさらに悪くなったことに気が付いた。
今の琴美は千代の指示さえ聞かない状態だ。
誰も彼女を止められない。
放っておいたらどこへ行くのかもわからなければ、何をするのかもわからない。
非常に不安定で危険な状態にあると言えるだろう。
(迷ってる暇はなさそうね)
多少乱暴な真似をしてでも琴美を止めなければ……と梨々亜が腹を決めたときだった。
バイスデヴァステイターが内部爆発を起こした。
いよいよ限界がきたのだ。
エンジン部から黒煙が噴き上がる。
スロットルを開いてもエンジンの回転数が上がらない。
速度が落ちる。
前を行くシュバルツリベレーターの姿が遠ざかっていく――。
「こんな時に……!」
梨々亜はエラー表示で真っ赤になっている正面パネルを思い切り殴りつけた。
「一緒に乗せて走ってきたよしみでしょうが……! もうちょっとくらい根性見せなよ!」
祈るような思いでスロットルを全開まで回す。
「おねがい……『ナイトロブースト』オン!」
一拍置いて、バイスデヴァステイターは再び加速をし始めた。
タコメーターとスピードメーターの数値が猛烈な勢いで上昇していく。
だがそれは、明らかにエンジンの限界を超えた走りだった。
いつまで保つかわからない。
一度止まってしまえば、恐らく二度と走り出すことはできない。
マシン生命を懸けた最後の加速だった。
「上出来よ……! うまくいくかわからないけど、私も命を懸ける。それで恨みっこ無しだからね……!」
時速320キロ。
シュバルツリベレーターの後ろ姿が見る見るうちに近付いてくる。
道路の右側は海。左は湖。
二台は連なって浜名湖の南端を横切る橋に突入した。
「いけぇ! バイスデヴァステイター!」
梨々亜は白銀のグラウンドファイターを最高速のままシュバルツリベレーターの側面に突っ込ませた。
コントロールを失った二台がガードレールを突き破って宙を舞う。
一瞬の浮遊感。そして落下感。
梨々亜はバイスデヴァステイターのシートを蹴って琴美に飛びつく。
次の瞬間、浜名湖に大きな水柱が上がった。
◆
梨々亜は動かない琴美の体を引きずって、湖のほとりに這い上がった。
ふたりともヘルメットはつけていない。
湖の中に脱ぎ捨てきた。
とても泳いでいられないので梨々亜はジャケットも捨てていた。
芝生の上に琴美を横たえところで、梨々亜は力尽きて倒れた。
「し……死ぬ……」
こういうのを火事場の馬鹿力とでも言うのか。
呼吸がおぼつかないほど苦しい。
心臓がうるさいくらいに早鐘を打つ。
視界が霞む。
手足が痺れたように動かない。
琴美を抱えて必死に泳いできたことで、体は完全に限界値を超えていた。
「ちゃんと生きてんでしょうね、琴美……」
どれくらいそうしていただろうか。
少しだけ呼吸が楽になったところで、仰向けのままぐったりしている琴美に這い寄った。
「これで死んでたら、私、バカみたいじゃない……」
濡れた髪が貼りついた顔には生気がなく、まるで死体のようだった。
だが胸は小さく上下運動を続けている。
梨々亜はひとまず安堵の息を吐いた。
「手間かけさせるよね、まったく……」
うまく動かない手を伸ばし、乱れて貼りついた前髪を払いのけてやる。
あらわになった琴美の両目が、そのとき薄く開いた。
「わたし……聞こえてたよ……」
しばし宙をさまよった瞳が、梨々亜の顔を見つける。
「梨々亜ちゃんの声……」
「そう……よかった」
「でも、ごめん……自分でもどうにもできなくて……」
「いいよ、もう。ふたりともこうして無事だし……。終わったことだからさ」
琴美の視線が動き、梨々亜の右耳に注がれた。
天使の羽を模したイヤリング。
琴美の左耳にも同じものがつけられている。
視線に気づき、梨々亜は自分のイヤリングを触った。
「あんな奴からのプレゼントだったとはね……」
母親から贈られたものと言って琴美が大事にしていたものだ。
しかしその母親があんな人物だと知ったあとでは、多少複雑な思いがある。
「けど、まぁ、持っとくよ」
梨々亜はそのまま手を下ろした。
「あんたからのプレゼントだからね」
「うん……ありがとう」
琴美は力無く微笑む。
それを見て梨々亜も口元をほころばせた。
だがすぐに顔を引きつらせた。
その場にエンジン音が近付いてきたからだ。
芝生から少し上がったところは道路になっている。
そこを、真紅のグラウンドファイター・ロートヴィジランティが走ってきた。
◆
ボディを半壊させたロートヴィジランティが道路際に停車する。
シートから臙脂色のライダースーツを着た女が降りて、横たわったままの梨々亜と琴美へと歩み寄ってきた。
「ママ……」
琴美の呟きにはやるせない悲痛さが滲んでいる。
梨々亜は上半身を起こすのがやっとだった。
全身が悲鳴を上げる。
立つ力さえ戻っていなかった。
「GFライドインターフェースにはまだまだクリアすべき問題がある。それがわかっただけでも収穫だったわ」
ヘルメットは取った千代の素顔は梨々亜が思っていたよりも若くて美しかった。
だがその表情は醜い憤怒に彩られている。
穏やかな口調ながら声は氷よりも冷たかった。
「テストに付き合ってくれてありがとう梨々亜さん。でもあなたはいろいろと知り過ぎたわ」
千代はライダースーツの胸元から銃を取り出し、梨々亜へと突きつけた。
「安心してね。愛車と同じこの湖に沈めてあげるから」
「――向けたね」
暗い銃口が梨々亜の恐怖心をよみがえらせる。
自分からすべてを奪ったもの……。
そして自分に消えない傷を刻みつけたものだ。
誰も守ってくれない。
だから梨々亜は、物理的に恐怖心を振り払ってきた。
だが今は、体が言うことをきかない。
振り払えない。
奥底に封じ込めた恐怖心が身を蝕んでいく。
梨々亜の瞳に、じわりと涙が浮かび上がった。
不意に、滲んだ視界を黒いライダースーツの背中が覆い隠した。
梨々亜と千代の間に琴美が立ちはだかったのだ。
「どきなさい、琴美」
「ママ……やめて」
だが琴美もすぐに膝をついてしまう。
それでも腕を広げて懸命に梨々亜をかばおうとした。
「どうして私の言うことが聞けないの?」
「ごめんなさい……でも」
琴美は大きく息を吸って吐く。
そして力強く母の顔を見つめた。
「梨々亜ちゃんは、何回もわたしを助けてくれたから……。だから今は、わたしが梨々亜ちゃんを助ける」
(琴美……)
小さくて非力な背中。
だが今はそれがとてつもなく頼もしく思える。
梨々亜の身を蝕んでいた恐怖心は、蜘蛛の子を散らすように霧散していった。
「たとえママの言うことでも、聞かない。わたしは、どかない……!」
「どかなければ、あなたごと撃つわよ」
その脅しにも琴美は屈しなかった。
「そう……わかったわ」
梨々亜は琴美の肩越しに千代の顔を見る。
冷酷に細められた目は、今の言葉が脅しでは済まないことを物語っていた。
「あなたの体の耐久テストも、ここでついでにやっておこうかしら」
千代の人差し指が引き金にかかる。
その時、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
湖畔沿いの道路を、白と黒にカラーリングされ赤いランプを灯した警察仕様のグラウンドファイターが疾走してくる。
《銃を捨てなさい! そこの女性、銃を捨てなさい!》
拡声器から聞こえてきたのは虎井杏の声だった。
「警察……!?」
千代はすぐさま走り出してロートヴィジランティに飛び乗る。
《逃走の恐れあり、攻撃する。『ファルケンパイツェ』オン!》
だがマシンが動き出すよりも早く、警察仕様のグラウンドファイターが高圧電磁弾を撃ち放った。
まるで雷が落ちたかのようにロートヴィジランティにまばゆい閃光が走る。
千代は痙攣しながらその場に倒れ、動かなくなった。
◆
「銃刀法違反その他諸々の現行犯で逮捕します」
杏は気絶した千代の両手に手錠をかける。
そして振り向き、梨々亜と琴美のところまで歩いてきた。
「脱走した堂家ティナを追いかけていて、あなたを見つけるとは思いませんでした」
腰に手を当て、印象的な鋭い目で梨々亜を見下ろす。
「今度こそ署に同行してくれますよね、阿武梨々亜さん」
そして口元だけで笑みを作った。
トーキョーからシズオカまで追いかけてきたのだろうか。
大した執念だ。
とはいえその執念深さに助けられた。
梨々亜は観念して大きく息を吐き、ふたたび仰向けに寝転がった。
「じゃ、パトカーじゃなくて救急車呼んでよ。もう座ってるのもきついんだから」
「善処します。……橋から落ちたようですが、よく生きてましたね」
「悪運強い方なのよ。昔からね」
「これに懲りたらもう暴走行為はやめたほうがいいと思います」
「善処しとく」
杏は「それから」と琴美に視線を移した。
「黒いグラウンドファイターに乗っていたのはあなたですよね?」
「は、はい」
「あなたも現行犯逮捕します。公道での戦闘行為、対向車線からばっちり見てましたから」
洗脳下にあったと弁明して、果たしてどれだけ聞き入れてもらえるだろうか。
「はい……」
琴美は甘んじて容疑を認める。
それを聞いて、杏は無線でどこかと交信し始めた。
琴美は緊張の糸が切れたようにへたりと座り込んだ。
「逮捕されちゃった」
えへへ、と力無く笑う。
その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
「琴美……守ってくれてありがと」
「ううん。わたしもいっぱい守ってもらったから」
梨々亜は目を閉じる。
太陽の眩しさがまぶたの上からでも感じられた。
泥のような疲労感が体を満たす。
座ってるのもきついというのは本当のことだった。
不意に梨々亜の頭が持ち上げられ、なにか柔らかいものの上に置かれる。
薄く目を開けると琴美が膝枕をしてくれていた。
心地良さに意識が遠のいていく。
このまま眠ってしまいたかった。
「わたし……これからどうしよう……」
父親にも母親にも頼れないとなったら自活していくしかないだろう。
琴美の事情をふまえると、さまざまな意味で厳しい生活が待っていることになる。
「あんたさえよかったら、だけど……」
「うん?」
「わけあり女に優しい会社、ひとつ紹介してあげられるよ」




