15.リターンロード
夕食に食べたうどんはやはり味が薄かった。
関西ではこれが普通らしいが、トーキョー生まれトーキョー育ちの梨々亜には物足りない。
(お好み焼きにすればよかった)
と悔やんでも時すでに遅しだった。
梨々亜は、美都が手配してくれていたビジネスホテルで一泊した。
よほど疲れていたのか部屋に入ってすぐに眠ってしまい、そのまま12時間くらい寝ていた。
そしてのんびり支度をしていたら朝10時。
ホテルをチェックアウトして、駐車場に停めたバイスデヴァステイターに跨る。
あとはどこかで朝食を取ってトーキョーに帰るだけだ。
(今度こそお好み焼きにしよう)
梨々亜はふと、無人のサイドカーに目を向けた。
そこに座っていた琴美はもういない。
当たり前のことが思い起こされ、不意に寂しさがこみ上げてきた。
なにげなくスマートフォンを見る。
新着のメッセージも着信もない。
琴美のことだから電話の一本くらいしてくるかと思ったが、あいにく何もなかった。
(薄情なやつ……)
とはいえ久しぶりに母親に会えたとなれば積もる話もたくさんあるだろう。
それに水を差すのも嫌なので、梨々亜からも電話はしなかった。
そんな時、スマートフォンが電話の着信を告げた。
画面に琴美の名前が表示される。
即座に出て電話を待ちかねていたように思われるのも癪だったので、梨々亜はわざと一呼吸置いてから電話に出た。
「もしもし」
《阿武梨々亜さんかしら?》
しかしスピーカーから聞こえてきたのは知らない女の声だった。
「そうだけど……あんたは?」
《ふふ、失礼。私は大熊千代。琴美の母親と言えばわかるでしょう》
「ああ……」
《話はうかがったわ。琴美がずいぶんお世話になったみたいね》
「いや、それほどでも……」
果たしてどんなふうに話したのだろう。
想像すると少しだけ恥ずかしくなった。
《それで、そのお礼がしたいのだけど、今から会えないかしら?》
「今から……」
その場には琴美もいるのだろう。
顔を見るとまた別れがつらくなってしまうかもしれない。
梨々亜はそう考える自分が意外だった。
「ごめん、悪いけど、すぐトーキョーに帰らなくちゃいけないんだ」
特に急いでいるわけではないが、とりあえずはそう言い訳しておいた。
《あらそう。残念だわ。……本当に残念》
「琴美は、そこにいる?」
《いえ、今はちょっと》
「そう……なら、よろしく言っといて」
《わかったわ。それじゃあ梨々亜さん、またね》
そこで電話が切れる。
(またねって……)
琴美はともかく母親と会う機会はもうないだろう。
梨々亜はスマートフォンをしまってヘルメットを被り、バイスデヴァステイターを発進させた。
◆
ひとりで走るというのはこんなにも静かなものだっただろうか。
梨々亜は来た時と同じくトーカイドーハイウェイに乗ってひたすら東へ向かっていた。
無論、今もエンジン音と走行風がやかましいほど鼓膜を震わせている。
だがそれ以外の音は聴こえない。
それが普通だったはずだ。
ずっとひとりで走ってきた。
なのにこの孤独感はいったいなんなのだろう。
一瞬だけ、無人のサイドカーに視線を向ける。
来た時は常に琴美となにか喋っていた気がする。
中身のない話も多かった。
だが楽しかった。
よく笑う琴美。よく喋る琴美。
その姿を思い出すと、なにやら胸が締め付けられる思いがした。
一日一緒にいただけ……とは、梨々亜の弁だ。
そんなの関係ない、と琴美は言った。
彼女のほうが正しかった。
今朝の誘いを受けてもう一度会っておけばよかった、と梨々亜は後悔し始めていた。
◆
ナゴヤ・インターチェンジを過ぎてしばらく経った時だった。
短距離無線に聞き慣れた声が飛び込んできた。
《ほほほほほっ! 必ずここを通ると思って待っていましたわよ、梨々亜さん!》
「ティナ……」
サイドミラーにメタリックピンクのグラウンドファイター、『ローズマローダー』が映る。
そのままぐんぐんと追いついてきて、傷だらけのボディをしたマシンがバイスデヴァステイターに併走した。
「あんた、警察に捕まったんじゃないの?」
《最速で脱獄してきましたわっ!》
ピンクのライダースーツを着た女がガッツポーズを見せつける。
フルフェイスヘルメットで表情まではうかがえないが、おそらく全開のしたり顔を浮かべていることだろう。
「……すごいね」
梨々亜はため息をつくように返した。
今はそのテンションに付き合ってやれる気分ではない。
「残念だけど、琴美はもう送り届けてきたし、積荷もないし。私を襲っても得しないよ」
《そんなのは二の次ですわ! わたくしはリベンジマッチをしに来ましたの。今日こそロードヴァルキュリア最強の座をいただきますわ!》
「そういうの、また今度にして。わりと本気で言ってるからね」
《あ、あら……梨々亜さん、今日はなんだか元気がありませんわね……》
しつこく食い下がると思っていた梨々亜の予想に反し、ティナは気遣うような声をかけてきた。
「私だってそんな気分の日くらいあるよ」
《そ、そうなんですの……》
少しの間沈黙が流れる。
梨々亜は特に用事もないので単にティナが黙っているだけだが。
《悩みがあるのでしたら、わ、わたくしでよければ、その……相談に乗ってあげてもよろしくてよ?》
「えっ?」
意外な申し入れだった。
《あなたがそんな状態では張り合いがありませんし、勝負も出来ないみたいですし、それに……単純に、そんな姿は見たくありませんわ》
ティナは口をもごもごとさせながら続ける。
《わたくしは、あなたを目標にしてずっと走ってきたんですのよ。あなたがチームを抜けてからも、ずっと……》
「ティナ……」
《強くて、勇ましくて、気高くて、……いつもそういう梨々亜さんでいてもらわなくては困るんですの! だから……》
ティナがそんなふうに思っていたことを初めて知って、梨々亜は思わず吹き出した。
《なっ、なんで笑うんですのっ!》
「ごめんごめん、あんたにもそういう気遣いが出来るんだと思って」
いつも突っかかるような態度だったのは単に不器用なだけだったのかもしれない。
そう思うと途端に可愛く見えてくる。
笑ったことで少しだけ気分が晴れた気がした。
そういう意味では彼女に感謝しないといけない。
「ありがとうね。けど大丈夫。自分で解決できる問題だから」
《……今日の梨々亜さんはやっぱりどこかおかしいですわね。そんな優しい声初めて聞きましたわ》
「おかしいついでにおせっかい言っとくけどさ。ティナ、あんたもさ、もうアウトロー辞めなよ」
《えっ……》
「うちの会社ならきっとボスも受け入れてくれると思うし。バイク便、あんたに向いてるんじゃない」
《しかし、今さら……》
「真っ当な道に戻るの、今からだって遅くないよ」
《それは……まぁ、そこまで言うのでしたら、考えてあげてもよろしいですけども……》
梨々亜は、ふと後方を黒いグラウンドファイターが走っていることに気が付いた。
いつからいたのだろうか。
見たことがない車種だ。
ボディ左側にレールガン、右側に戦車の主砲のような長い砲身を装備している。
乗っているのは黒いヘルメットに黒いライダースーツ。
体型は女に見える。
黒いグラウンドファイターは滑るように加速してティナのローズマローダーの後ろについた。
そして突如。
《『ベーオハンマー』……オン》
長砲身から対GF榴弾砲『ベーオハンマー』が撃ち出された。
ローズマローダーに直撃。
《ぬわっ!》
激しい爆発を起こしてティナごとマシンが吹き飛ばされる。
《ぬわぁぁぁっ……!》
「うぐっ……!」
すさまじい爆風と衝撃波を受けて梨々亜のバイスデヴァステイターもガードレール際まで押し出される。
なんとか接触せずにマシンを立て直した時には、すでにローズマローダーの残骸ははるか後方に流れていってしまっていた。
「ティナ……!」
黒いグラウンドファイターは、今度は梨々亜に狙いをつけてじわじわと迫ってくる。
(今のは……嘘でしょ)
さっき聞こえた、黒いライダーの声。
まるで機械のように感情を抑えた冷たい声だったが、昨日一日中聞き続けた梨々亜が間違うはずはない。
あれは琴美の声だった。
「どういうこと……何やってんの!? 琴美なんでしょ!」
無線は通じてるはず。
だが応答はない。
「琴美! 聞こえてるんでしょ!」
黒いグラウンドファイターが真後ろに張り付いた。
《『ライアーズィッヘル』……》
温度の無い声に呼応して、グロスブラックのボディ左側面に装備された一対のレールが展開する。
「琴美っ……!」
《……オン》
レールガンから発射された弾体が、バイスデヴァステイターのサイドカーを撃ち抜いた。




