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13.NAKED


 元口の湯は旅館を含めた大きな複合温泉施設のようだった。

 看板を見ると風呂だけで十種類以上あったが、今は長々と堪能している場合ではない。


「ここでいいでしょ」

 梨々亜が先導して手近にあった露天風呂の暖簾をくぐった。


 脱衣所に入り、ライダースジャケット、カットソー、レザーパンツ、靴下、下着を脱いで裸になる。

 元々一泊する予定だったので着替えはある。

 明日の分がなくなってしまうが、それはオオサカに着いてからどこかで買えばいいだろう。


 長い髪を頭の上にまとめあげている時、隣で琴美が「うわぉ」と謎の声をこぼした。


「さすがGカップ……いいなぁ、脚も長いし」

「……なんでサイズ知ってんのよ」

「昨日お風呂借りた時に洗濯物見ちゃった」

「変態」

「いやー、でも気になるでしょー、普通。このレベルにもなると……」


 昔に受けた銃創は乳房の下に隠れて見えなくなっている。

 そういう意味では立派に育ってよかったとも言えるだろうか。


 琴美は梨々亜の一糸まとわぬ体をまじまじと見回している。

 梨々亜もお返しとばかりに琴美の平坦な体を眺めた。

 が、何も言わないでおいた。


「うぅっ、今なにかすごく憐れみを受けた気がする……」


 ◆


 白く濁った湯に肩まで浸かると胸の重みから解き放たれ、真の意味で体が楽になる。

「はぁ……」

 と梨々亜は無意識的に長い息を吐いた。


 湯船に浸かったままでも青空と緑豊かな山々が見渡せた。

 太陽は低い位置にある。

 あと一時間か二時間もすれば夕焼けに染まり始めるだろう。

 他の客は数人ほど。年配の人ばかりだった。


「はぁ」

 と横の琴美も声を漏らしたが、それは単なるため息のようだった。


「同い年なのになんでこんなに差がつくかな

ぁ」

「そりゃまぁ個人差はあるでしょ」

「見た目もだけどさ。梨々亜ちゃんってさ、すごい大人っぽいよね」

「そうかな」

「そうだよ。初めて見たとき絶対年上だって思ったもん」

 梨々亜は逆に、琴美のことを年下だと思った。


「それにわたし黒い下着なんて持ってないし」

「なにその基準」

「あとはさ、ひとり暮らししてたり、お仕事してたり、ちゃんと自立しててさ。そういうところなのかな」


 梨々亜にしてみれば、自立せざるを得なかったというだけだった。

 もし家族が生きていて順調な人生を送っていたら、今頃どうなっていたのか想像もつかない。


「真っ当に仕事し始めたのは一年前くらいからだよ。それまでは、アウトローやってた」

「あっ、やっぱりそうなんだ」


 琴美の反応は淡白だった。

 世間的には疎まれてもおかしくない経歴なのだが。


「あの最速の人とか、青いGFに乗ってた人とか、話してた流れでそうじゃないかなって思ってた」

「嫌じゃない?」


「嫌じゃないよ」

 琴美は心外と言いたげに首を横に振った。

「梨々亜ちゃんは、わたしを助けてくれた人だもん。それにもう辞めたんでしょ? だったら充分立派だよ」

「そっか」


 梨々亜は不思議と安堵した気分になっていた。

 今まで、人にどう思われようが気にせず生きてきたつもりだった。

 だがこの瞬間、琴美にどう思われるかが何故だかとても不安だった。

 体の奥が熱くなっているのは、温泉に浸かっているからだけではないだろう。


「わたしはまだ学生だし。って言っても、もう半年くらい行ってないけどね」

 琴美は取り繕って明るい声を出す。

 しかしそれも長くは続かなかった。

「なんか研究所みたいとこと、病院みたいなとこと、会社のサーキットばっかり。家にもほとんど帰れなかった」


 手術、投薬、マインドコントロール……。梨々亜の耳に克実が言った言葉がよみがってくる。

 非人道的な処置を受け続けた半年。

 それはどれほど苦痛を伴う日々だったのだろうか。


「それでもパパのためだって思って我慢してた。わたしにはパパしかいなかったから。だけどね、先月……」

 琴美は胸の前で両手を握りしめる。

 そして懺悔をするように目を固く閉じた。


「先月、わたしの誕生日だったんだけどね……パパはなにも言ってくれなかった。今まではそんなことなかったのに」

 吐き出された声は、今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しかった。

「きっとパパの中では、わたしはもう娘じゃなくなってたんだ」


 娘を平然と人体実験に使うような男だ。

 少なくとも梨々亜の目には琴美のことを人とも思っていないようにしか見えなかった。


「そう思ったら、急に、いろんなことが我慢できなくなっちゃって……逃げてきちゃった」

 琴美は照れ隠しをしようと笑ってみせたが、ぎこちなく顔が歪んだだけだった。


「それで正解だったと思うよ」

 梨々亜は包み込むようにささやいた。


 おそらく他のことでもきっかけ足り得たのだろう。

 心の拠り所が少し揺らいだだけで耐えられなくなってしまう。

 それほどまでに心身が衰弱していたのだ。


「お母さんに会えたら……向こうで一緒に暮らすの?」

「まだわかんないけど、しばらくはそうするかも……パパのところには戻る気ないし」

 琴美は膝を抱えて声を小さくする。

 つられるように梨々亜も声のトーンを落とした。


「その、体のこととかは、大丈夫なの?」

「それも相談したんだけどね、なんとかしてくれるって」

「そう……」

 なんとか出来るものなのだろうか。

 梨々亜にはわかりようもない。


「私は、明日の朝には帰るけど」

「うん。離れ離れになっちゃうんだよね……さびしいな」

「って言っても、一日一緒にいただけでしょ」

「そんなの関係ないよ」


 琴美は潤んだ瞳を向ける。

 声には咎めるような響きがあった。


「梨々亜ちゃんと会えなくなるの、いやだよ。やっぱりさびしいよ。……梨々亜ちゃんは平気なの?」

「それは……」


 遠く離れていても、一生会えなくなるわけではない。

 電話やメールだっていつでも出来る。

 そう思ってはいても、梨々亜の胸はざわめき立った。

 どこかに追いやった気持ちが心の奥から這い出してくる。

 遠くの景色に向けた視界がぼやけて見えるのは、果たして立ち上る湯気のせいだろうか。


「ううん……。本当は私も……少しさびしい、かな」


 裸の付き合いという言葉も案外馬鹿に出来ない。

 梨々亜の口から出たのは、紛れもなく、何も着飾っていない生の声だった。

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