9 決闘
「お願いがあるの」
私がそう切り出したのは、次のジュールの休日だった。
食後にお茶を飲みながら新聞を読んでいる彼に私が話しかけると、目線だけこちらに寄越した。
「私と決闘してほしいんだけど」
「……何を言っているか意味が分からん」
これで話は終わりだとばかりに新聞に目線を戻すジュール。ここで切り上げられては困るので、私は食い下がった。
「そうしたら、諦めるから。お願い」
ジュールはこれ以上ないくらい眉間の皺を深くして熟考した後、新聞をばさりと畳んだ。
「いいだろう。今から、でいいんだよな?」
「ええ、今から、中庭で」
……これが最後。最後だから……。
私が負けることは分かっている。占いでもそう出ていたし、実力も何もかも叶わないってことは理解している。だけど、納得はできない。完全に負けだと止めを刺されない限り、私が諦めることはできないだろう。
「その服装では動きにくいだろう。ハリウス、リゼに合う服を」
リゼ、と呼ばれ驚いた。ジュールが私の名前を呼ぶのは初めてだ。
ハリウスが男性用の服を持ってきた。使用人用のものだが、ドレスよりは動きやすい。
男性服を身につけることに、抵抗はない。この国へ来るときにも男性服を着ていたからだ。そうでもしなければ、とっくに人さらいに遭っていただろう。女にはそれだけの価値があった。年端のいかない子供であっても。だから私はボロボロの服を纏い、顔を汚し。自慢だった金の長い髪も、自分で切った。その髪も、ずいぶん伸びた。まるで、昔あったことが無かったことにされたみたいに。
この国も、戦争など無かったかのように日々を送っている。
だけど私は忘れない。忘れられない。
「着替えてこい。中庭で待っている」
私はありがたく服を受け取り、自室で着替えてから中庭へ向かった。ジュールはベストを脱ぎ、動きやすそうな白いシャツ姿になっている。
ハリウスが恭しく剣を両手で捧げてくる。これを使えということらしい。
私は剣を受け取り、鞘から抜いた。重い。だが、持てなくはない。人知れず続けていた鍛錬が役に立ったようだ。女でも持てるものを選んだのだろう。
剣先をジュールに向け、私は大きく息を吸った。
「……本気でやっていいんだな?」
「手を抜いたら、一生あなたを許さないわ」
ジュールは一つ頷くと、自身の剣を抜いた。
互いの剣先を合わせ、音を鳴らす。始まりの合図だ。
私は先手必勝とばかりに斬りかかった。
剣はあっさりと受け止められる。弾かれた衝動で、私の身体は大きく傾いだ。
そこへ上から剣が降ってくる。――重い。全てを受け止めきれなかった剣先が、左肩に達する。
「くっ……!」
痛みよりも先に、熱がやってくる。
剣を押し返し、私は横へと転がった。肩を確認すれば、服が赤く染まっている。だが、傷は浅く、腕は動く。もっとも今はそんなことに構っている暇は無い。
態勢を整えた私は、再びジュールに対峙する。
はあ、はあ、という荒い息遣いが聞こえる。ジュールは涼しい顔をしている。そこでようやく自分の呼吸音だと気付く。
それでも、頭の中は静まり返っていた。神経が研ぎ澄まされ、身体が限界以上に機能しているのが分かる。
だが、いつまでも続かないのも分かっていた。次の攻撃が最後に――最期になるだろう。
互いに睨み合う。
一瞬即発の状況を打破したのは、ジュールの右足だった。
じゃり、という踏み込んだ音が聞こえたと思ったら、次の瞬間にはすぐ目の前にいた。
――いつの間に!?
その大きな体には似つかわしくないほどの俊敏さだ。さすがは将軍、さすがは死神。
遙か上から降り下ろされた大きな剣は、私の剣を易々と跳ね飛ばした。
遠くで剣が地に刺さる音がする。
ジュールの目が私を射抜く。獰猛な獣のような目だ。
私は死を覚悟し、ジュールを睨んだ。怖くはない。死ぬまで睨み続ける、そう決めたのは自分だ。
するとあろうことか、ジュールはピタリと動きを止めた。次に、自身の剣を一度振るい、鞘に収める。
「どうしてやめるの!?」
ジュールは答えずに踵を返し、剣をハリウスに渡している。
「どうして殺さないのよ! ねえ!」
そこでようやくジュールは振り返った。
「勝負は終わった。お前の負けだ」
「じゃあ、どうして私を? 殺すためじゃないの? ほら、さっさと殺しなさいよ、この人殺し!」
「……」
ジュールは何も言わずに私を見つめている。
それがまるで傷ついているように見えて、私は逆上した。
どうしてあなたが傷つくの? 傷ついているのは、私の方なのに。
もっと自分の罪を知りなさい。そして、償いなさい。
「私の両親は、中立派で、戦争反対派でもあった。あなたが言えば、すぐにでも投降して国を捨てることも辞さなかった。決して殺す必要なかったはずよ!」
私は拒絶された悲しみをすり替えた。
突然口をついた独白は、止まることを知らなかった。
「私の本当の名は、リゼ・ヴィルダリード。父はヴィルダリード伯爵よ。あなたはきっと殺した相手の名前すら知らないのでしょうね」
行く手を遮るものは全て“排除”する。それが死神であるこの男の座右の銘だと聞いた。
でも、それは真実ではない。私の両親は、決してこの男の行く手を遮ったりはしなかった。互いを愛し、平和を愛し、私を愛してくれた二人は、もうどこにもいないのだ。
涙が溢れた。だけど、私はそれを拭うことをしない。涙が出ることすら、疎ましくて悔しい。そのせいで視界がぼやけ、存分に睨むことができないからだ。
ジュールはそんな私に「……すまない」と一言だけ言った。
「謝るくらいなら、何で!?」
謝ってもらっても、もう両親は二度と帰ってこない。あの国は、元には戻らない。この場をおさめるためだけの謝罪なんて、欲しくもない。
だけどジュールは理由を一切語らなかった。
「俺を恨め。そして、復讐を遂げるまで、生きろ」
ジュールはそのまま屋敷へ戻っていった。
「リゼ様、早くお屋敷に戻り、お手当てを」
ハリウスが手を差し伸べてくる。
私は血の流れる肩を押さえ、唇を噛みしめた。
私の復讐は、終わったのだ。殺しも、殺されもせずに。――自分がこの上なく惨めに感じた。
「うっ」
頬が熱くなり、瞼からは涙が溢れてくる。その涙を拭うこともせずに私は心の中で両親に詫びた。ごめんなさい。私、二人の敵を討つことができなかった。ここまで頑張ってきたけど、もう、無理。もう、頑張れない。本当にごめんなさい、お父様、お母様……。
記憶の中の両親は、いつでも微笑んでいた。そして二人の声を思い出そうとして、すでに思い出せなくなっていることに気付いて愕然とした。あんなに想っていたのに。両親のことを考えなかった日など一日たりとも無かったのに。私は何て薄情な娘なのだろう。
自分のことを許せず、涙は一向に止まらなかった。




