5 同居
「……」
「……」
翌朝。外は眩しいくらいの晴天だというのに、朝食の席でも、重苦しい雰囲気が横たわっていた。
何か話してくれと言うべきか、何も話さないままでいいと言うべきか。私の無言の圧力に気付いたジュールが、咳払いの後、ようやく口を開く。
「……顔色が悪いな」
「……ええ。昨夜はあまり眠れなかったもので」
ジュールはそれを聞いて頷いた。
「環境が変わればそれも仕方ないだろう。食事を取ったらまた休めばいい」
違う違う。環境が変わったせいじゃないってば。
私は心の内で盛大にツッコんだ。
だけど「来もせぬあなたを待って、眠れなかったのだ」とは言えるわけがない。男女のかけひきのように取られても困るし、反撃の意ありと取られても困る。こちらは寝不足で頭が回らないのだ。この状況で争おうものなら、こちらが不利になる。……もともと、勝てる可能性は無いに等しいと分かっているけれど。
これといった盛り上がりもないまま、「なるべく早く戻る」と言い置いて、ジュールは屋敷を後にした。
数年ぶりに帰ってきたばかりだというのに、もう軍事訓練に参加しているらしい。ということは、夜までは私の命も保証されたということだろう。
別に早く帰ってこなくてもいいのにと考えながら、私は部屋に戻ると大きなあくびをした。軍人の朝は、早い。すっかり夜型の生活になっていたため、しばらくは苦労しそうだ。それも、命があれば、の話だけど。
「お庭でもお散歩なされてはいかがですか」
何もすることがなく、だけど眠気もやってこないのでぼうっとしていると、身の回りの世話をしてくれる侍女がそう提案する。確か彼女の名前はクレア、現在二十歳で、今回私の同居に合わせて新しく雇われたのだそうだ。わざわざ侍女を増やすとは、ますますジュールの思惑が分からなくなる。
「……そうね、そうするわ」
散歩でもすれば気分転換になるし、歩いて疲れたら眠気を催すかもしれない。
私はショールを羽織って外へ出た。クレアはいつ用事を言いつけられてもいいように、離れた場所で待機している。
見張り役もかねているのかもしれない。まあ、今までの経緯を知っていたとすれば当然だろう。自分で言うのもなんだが、私のような危険な女を野放しにするはずがない。
私は庭に視線を移した。
庭はその家の主人の好みや性格が色濃く現れる。
このお屋敷の庭は、とても不思議だった。大きな植物は悠々とありのままに、小さな植物は繊細に。どちらかに統一するのが一般的だが、どちらも混在しアンバランスだというのに、妙に統率の取れている庭だ。
ジュールもそういう性格なのだろうか。
行き過ぎてないところは好ましい。が、食わせ者な一面もありそうだ。
そういえば、と屋敷についても私は思い出していた。
どの部屋にも装飾の類がほどんどない。あっても風景が描かれた絵が数点壁を彩っているだけで、家具も何もかも寂しいという表現が合っているくらいだった。
だが、この庭を見ればその理由が分かった気がする。
確かに屋敷全体は寂し気な雰囲気だが、決して安価なものでごまかしている訳ではない。一点一点は値打ちのある素晴らしいものばかり。あえて落ち着いた雰囲気のものを選んでいるのだ。
ジュールを見直しかけて、私は急いで頭を振って自分を戒めた。
相手は敵だ。好感なんて持ってはならない。
屋敷や調度品だって、本人が選んだわけじゃないのかもしれないし。爵位は世襲制なのだから、全て親の代から受け継いだものかもしれないし。
それに家や庭を見て品定めするなんて……。貴族だった頃の癖がでてしまったのだろう。
私はこの国では娼婦と見なされている。娼婦としては働いていなくても、だ。つまり、ただの労働階級の女でしかない。それを肝に銘じておかなければ。
これまでは相手の意図が分からず戸惑っていたけれど、これからは愛想よく対応してみよう。いつも笑顔で接していれば、いくら将軍といえども隙が生まれるはずだ。何の技も武器も持っていない私は、相手の隙を突くしかない。
一瞬も気を抜いてはいけない。それは即“死”を意味する。殺すが先か、殺されるが先か。
私たちの命を賭けた勝負は、もう始まっているのだ。
部屋に戻った私は、未来を視ることにした。自分の未来は視えないので、ジュールの未来を。触れなければ詳しくは視られないが、触れる機会はないだろうし、触れたくもないので仕方ない。何か足掛かりが掴めたら、という限りなく確率の低い占いである。
自室の椅子に座って胸元から取り出したのは、紫色の宝石が付いたネックレス。華奢な金の鎖が小さな音を立てる。
私の生まれた国では、生まれた子に宝石を贈る習わしがある。その子供の瞳と同じ色の宝石は、あらゆる災厄から護ってくれという。私はこの宝石を戦時中も片時も離さずに持っていた。
……私に降りかかった災厄からは護ってはくれなかったけれど。いや、私だけじゃない。私の国の全ての人々が護られなかったのだ。アミザ国は滅んだ。その土地はディダルーシ王国のものとなり、生き残った人々はちりぢりになってしまった。
私は宝石を握りしめた。戦後、家を荒らされ値段のつきそうなものは全て奪われていたため、私に残された両親との繋がりはこの宝石だけになってしまった。
不思議とこの宝石を握ると未来がよく視える。触れていなくても多少はマシだろう。
「ジュール・アシュリーヴスの未来を」
両手で宝石を包み込み、胸に当てる。
目を閉じて精神を統一をする。額がわずかに汗ばんだ。
するといくつかのイメージが湧いた。だが、どれもぼんやりとして不明瞭だ。ジュールに関してはいつもぼやけている。私怨が邪魔をしているのかもしれない。
「……ダメだわ。やっぱりよく視えない」
私は目を開き、溜め息をついた。
一応ジュールの顔は浮かんだけれど、明確ではない。ただ一つ言えるのは、ジュールの顔が苦痛に歪んではいなかったということだ。
「つまり、……私はジュールに復讐できないのね」
それは同時に私の死を意味する。
私は復讐を諦めていない。今後ジュールに反撃をするということは決定事項だ。そして再び歯向かった私を、ジュールが今度こそ生かしておくとは思えない。
自分で自分の希望を絶ってしまうとは、何という皮肉だろう。
「こんな能力……欲しくなかった」
私は宝石を投げ捨てた。宝石は壁に当たり、絨毯の上にポトリと落ちた。
その夜も、特に会話のないまま食事がすすむ。
ゆっくりと、だが男性らしく量を食べるジュールに会わせ、私はたっぷり時間をかけて食事を取る。
食後の紅茶を飲んでいると、ジュールが咳払いをして話を切り出した。
「何か不自由なことはないか?」
「……特に何も」
「そうか」
会話終了。
何か不自由なことを言えば、それを叶えてくれるというの? 優しさ? それとも、これから命を奪うことに対する贖罪? 死神のくせに。
自分の命を狙う女が、どこの誰かは分からずとも、過去の戦争による怨恨であることは容易に想像がつくはずだ。情けをかけたところで復讐を止める気がないことも理解しているはず。
忘れるな、この男は私の国を滅ぼし、両親を殺したのだ。これも、私を籠絡させる手なのかもしれない。一瞬たりとも、気を抜いてはいけない。
「あっ」
手を動かした拍子に、スプーンが絨毯に落ちる。皆の視線が下がった、その隙に、私はフォークを一本、袖の中に隠す。
スプーンは、ハリウスがすぐに代わりのものを用意してくれた。
私の復讐は、まだ終わっていない。次の機会を虎視眈々と待つことにする。
部屋に戻った私は、黒い文鎮を砥石代わりにしてフォークを研いだ。精度はイマイチだが、あと数日磨き続ければ殺傷能力が上がるだろう。
その日は外出せず、フォークを磨き続けることにした。
ジュールが出掛けるのが、窓から見えた。
ぼんやりと見ていると、ジュールがこちらの方を見上げたので、私は慌ててカーテンを閉めた。




