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4  身請け

 私の身請け話はトントン拍子に進んだ。


 同じ娼館にいながら客を取らなかった私が、貴族の妾になる。普通ならばやっかみもあるだろう。だが、子供の頃から面倒を見てもらっていたせいか、私は娼婦の姐さんたちに祝福され、別れを惜しまれた。ディダルーシは我が国を滅ぼした。本来ならディダルーシの者と馴れ合うことなどできない。だが、戦争を起こすことを決めたのは一般人ではない。複雑な思いはあるが、私は娼館の者やそこに訪れる客にたいしては不思議と殺意などは起きなかった。標的をジュールただ一人と決めていたからかもしれない。

ジュールに対する憎悪を除きさえすれば、幸せな七年間だったと思う。


 そして私はジュールの元へ赴く日まで、シンシアを始め娼館の皆に精一杯のお礼をしながら過ごした。溜めていた金は全て装飾品に換え、姐さんや女中たちに配った。別に感謝の念からではない。どうせ死ぬのだから、今持っている財産に意味はない。




「お迎えに参りました」


 二頭立ての馬車でやってきたハリウスと名乗った家令は、しかめっ面をした初老の小柄な男だった。


「一応聞くけど、私で間違いないのね?」

「間違いございません、女神リゼ様」


 衣装やら靴やら、嘘のように私にピッタリのサイズのものが送られてきたので徐々に実感はしていたけれど、最後の最後まで誰かと間違えているんじゃないかと疑っていた。だが、やはり私で合っているようだ。

 もしかして別の娼婦を気に入って身請けしようとしていて、私と名前を間違えているのではと考えもしたが、あの夜の様子では他の娼婦と懇意になる暇も無かったはずだ。

 私を処刑するためだけに身請けの体を装う理由が、ますます分からない。表向きの体裁を取り繕うような男なのだろうか。死神将軍のくせに?


 ……あの男に直接問いただすまで、答えは保留になりそうだ。


「ジュールは?」


 様なんて、つけてやらない。ハリウスは片眉を上げたものの、私の無礼を咎めなかった。


「王城に詰めておられますが、夜には戻られるとのことです」


 それだけ聞いてしまうと、後は話すことがなくなってしまった。

 私は最低限の手荷物だけ持つと、馬車に乗りこんだ。残りの荷物は後日届けられる手はずになっている。……私の命がまだあれば、だが。

 手荷物はハリウスに回収された。おそらく屋敷に着いたら使用人たちによって荷ほどきされるのだろう。下手に凶器を入れなくて良かったと胸を撫で下ろす。もっとも、そのせいで復讐を果たせる確率は激減したのだけど。望みは薄いが、ジュールの屋敷で武器になりそうなものを物色するしかない。


 向かいに座るハリウスは、言葉少なにジュールの身の上について教えてくれた。

 母親はジュールが二十歳の頃に病死し、父親も後を追うように亡くなったのだという。元は男爵位だったが、数々の武勲を立て、特別に伯爵位を賜っているのだそうだ。現在の年齢は、三十五。

 ……別に興味はない。私の両親の死が彼の功績に貢献しているのだと思えば、腹立たしくもある。

 ハリウスによるジュール自慢を聞きながら到着したのは、こじんまりとしたお屋敷だった。庭は広いために建物がより小さく感じる。長方形のお屋敷には装飾がなく、直線ばかりで形作られていた。


「ここは、別邸か何かよね?」

「こちらが本邸にございます」


 私は驚いて返事ができなかった。

 たっぷりと褒美をもらっている貴族の割には建物が小さすぎるということと、ここが本邸だということに、だ。彼ほど高位の軍人ならばもっと大きな屋敷に移り住んだり、増築したりしそうなものなのに。地方に領地を持ち、その屋敷は立派なのかもしれないが、何だか意外に思った。

 では、この一つ屋根の下に本妻もいるのだろうか。

 てっきり別邸かどこかで残虐に殺されるのかと思っていたのに、まさか夫人まで私が殺される現場を見物でもするのだろうか。


 疑問が尽きなかったけれど、何も聞けないまま窓の大きな部屋(サンルーム)に案内され、紅茶とお菓子が振る舞われた。

 毒でも入っているのでは、と警戒したが、もし毒殺するのならジュールがこの屋敷にいる間にするだろう。

 私は優雅にお茶を飲んでみせた。やはり毒は入っておらず、丁寧に淹れられた上質のお茶を楽しんだ。


「お茶がお済みになりましたら、お部屋の方へご案内いたします。僭越ながら当面の間着ていただくドレスをこちらで用意させていただきましたので、ご確認なさってください。リゼ様好みのものは、おいおい仕立てさせますので」


 当面の間? おいおい?

 すぐに殺されると思っていたけれど、そうじゃないのだろうか。


「あの、ハリウス?」

「はい、何か?」

「このお屋敷に、奥様は?」

「ジュール様は妻帯されておりません」


 なんと、独身だったのか。戦果をあげた者には縁談が山ほどやってくるので、将軍職に就くジュールもすでに結婚していると思い込んでいたのだ。

 では、しばらくの間、(なぐさ)み者にでもされるのだろうか。女に対しては、そういう拷問の手もある。

 先日のジュールの体温を思いだす。

 あの時ジュールが私の誘いに乗ったのは、いわゆる挑発だ。殺意を隠し切れなかった私を行動に出させるための策略。

 だけど、これからの未来は分からない。凌辱が一番の暴力だと信じている男なら、やりかねない。戦地でもさんざんやってきているはずだ。金目のものを奪い、女を力ずくで手に入れる。虫唾が走るけれど、戦争とはそういうものだと理解はしている。


「では、お部屋にご案内いたします」


 ハリウスの声で我に返る。

 案内されたのは、日当たりの良い部屋だった。茶と白で統一された、飾り気はないが落ち着く雰囲気だ。

 居間の奥には寝室があり、ベッドが大きくないことに安堵した。このベッドでは、ジュールと二人で共寝はしにくいだろう。この部屋での凌辱はなさそうだ。

 更にその奥には衣裳部屋があり、扉を開けた途端に目を見開いた。当面の間とはいいつつ、たくさんのドレスがあったからだ。

 そのどれもが華美ではないものの、品の良いものばかりで、娼館では当たり前だった透けるほど薄い衣装は一つもない。これは仕立てにもそうとう代金がかかっているはずだ。

 本当に、ジュールは一体どういうつもりなのだろう。


「ご主人様がお戻りになられました」


 玄関ホールまで迎えに行くと、ジュールは薄手の外套を脱ぎ、使用人に渡している。

そして私の顔を見て、思い出したかのように「ああ、今日だったか」と言った。

どうやら忘れていたらしい。こっちは決死の覚悟で臨んだというのに、拍子抜けだ


「よく来たな」


 よく来たな? それは「よくもまあふてぶてしく」という意味なのか。飛んで火にいる夏の虫という意味なのか。


「……はい」


 他に何と言えばいいか分からず、それだけ答える。


「何か不自由があれば、ハリウスに言え。頼んだぞ、ハリウス」

「かしこまりました」


 ジュールは一つ頷くと「食事を」と言って部屋に引きあげていった。着替えてくるのだろう。

 私も一度部屋に戻り、着替えを済ませる。


 食堂には、十人ほど座れそうな長机(テーブル)があり、その両端に食器がセッティングされていた。議長席は当然主人であるジュールなので、反対側の席に向かい、椅子を引いてもらう。

 かっちりとした軍服から、ゆったりした飾り気のない貴族服に変わっている。

 食事は無言で行われた。


「……」

「……」


 得体の知れない沈黙は、居心地が悪い。

 身体の大きなジュールの前では、同じ皿がとても小さく見える。

 今度こそ毒が入っているのではと警戒したが、ジュールも給仕も変な素振りはみせない。

 いくら面の皮が熱くても、毒を仕込めばこちらの反応を伺ってもよさそうなものだ。

 私は疑惑を持ちながらも、平然な顔で食事を取った。怯えた様子など、見せてやるものか。


 だが、ジュールは毒殺などという手段は取らないという確信に似た予感があった。まだ会うのは二度目だというのに、不思議だが、それだけは分かる。

 どうせ殺すなら、この男は正面から斬ってくるだろう。それも、一切の躊躇なく。


 食事が終わり、紅茶を飲む段階になっても何も言わない。

 先日会った時は嚙み殺されかねない勢いだったのに、どうしたということだろう。まるで牙を抜かれた獅子のように大人しくて、逆に恐ろしい。

 ジュールの前には置かれないデザートが私に供される。気まずいまま紅茶を飲み終わり、私は部屋に引きあげた。


 盥のお湯で身を清めると、後はとうとうすることがなくなってしまった。だが、眠気はやってこない。もともと娼館は不夜城のようなものだから身体が夜型になってしまっているし、いつジュールがここに剣を携えやってくるか知れないのだ。

 私はまんじりともせず夜が更けるのを待った。カップなどの小物を微妙に動かしたり凶器になりそうなものはないかつぶさに物色しながら、最終的には壁紙の花の数を数えた。


だが、ジュールは部屋に来なかった。


結局私は一睡も出来なかった。

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