17 激白
なぜ。どうして。疑問だけが私の頭の中をぐるぐると回る。
「おや、驚いて声も出ないようですね」
エリーシュは更に笑みを深めた。その笑顔は見たものを虜にするほどのものだ。おそらくオフィーリアもこの笑顔に恋をしてしまったのだろう。物腰が柔らかいところも人好きのする人物だ。
だが、このぞわりと肌が粟立つ感覚は何なのだろうか。
「あなたの疑問にお答えしましょう」
エリーシュは私が怯んでいるのを読み取ったのか、革張りのソファーに手を向けた。そこへ座れという意味らしい。
実体はないので腰かけることは出来ないが、言われた通りにソファーへと移動した。混乱はしているが、理由が知りたかったのだ。彼が私を視ることのできる理由が。
エリーシュは向かいのソファーに腰を下ろした。
「簡単な話です。私も視ることができるんですよ。あなたと同じようにね」
『……!』
私は驚きに目を瞠る。まさか、私と同じ力を持つ人がいたなんて。
いや。気付かないだけで、私とこの男以外にもまだまだたくさんいるのかもしれない。私だけの特技だと思っていたのが急に恥ずかしくなる。女神だなんて呼ばれて、調子に乗っていたのかもしれない。
「あなたは私にとっての“未来”から私を視にきたようですね」
私は驚いたまま、何も考えられず頷いた。
「そして先日も視に来られた。私にとってその日は私たちが出会った夜会の前日でした」
ああ、だからあの夜エリーシュは「今この時のあなたとは、まだお会いしてないようですね」と言ったのか。
私が彼を初めて“視た”のは、夜会の数日後のこと。アビーディア子爵夫人の依頼があったからだった。
「あなたは“過去”をみることができる。そうですね?」
私はまた頷いた。
「その他は?」
直感で私の能力のことを彼は知っていると思った。それなのに尋ねてくるのは、私の出方を探っているのだ。
『……未来を』
「素晴らしい!」
正直に告げると、間髪入れずにエリーシュは拍手をする。私の言葉は彼まで届いていた。こんな経験も初めてだ。
『あなただって同じなのでしょう?』
「いいえ。私が視られるのは“現在”のみなのです。過去も未来も視えない。ただし、今現在のことならはっきりと視えます」
エリーシュは目を閉じ、しばらくすると目を開けて私を見た。
「女神はシンプルだが重厚な椅子に座っています。ああ、白いドレスがとてもお似合いだ。あなたの足元には大きな犬が……利口な犬ですね、女神を心配そうに見上げてますが鳴き声一つ出さない」
『……っ!』
心臓が止まるかと思った。
彼に視られていることではない。彼がたいして精神を集中させることなくつぶさに視ていることに驚き、恐怖を覚えたからだ。
この男、私なんかよりよっぽど力がある……!
私が怯えていることに気付かないのか、エリーシュはこちらに向かって手を差し伸べた。
「過去と未来を視ることができる女神と、現在を視ることができる私。二人合わせれば最強だとは思いませんか?」
『……』
この男は何を言っているの? 何をもって最強だと思っているの? 私に何をさせようとしているの?
この手を取ってはいけない、それだけは分かっていたが、頭がぐるぐると回る。得体の知れない不安。実体のない身体なのに、私は喉が渇く感覚に陥っていた。
「次は実体でお越しください。あなたに最高の贈り物を用意しております」
『贈り物……?』
私は高価な宝石もドレスも欲しくない。そんなものじゃ、動かされない。
エリーシュは私の考えを読んだかのように小さく首を振る。
「知りたくないですか? あなたの両親の死の真相を」
『死の、真相?』
一体何だというのだ。側仕えのロッジが教えてくれたのだ。私の両親はジュールに殺されたのだと。それ以外に真相なんてない。
悪趣味にもどう絶命していったのかをつぶさに教えようとでもいうのだろうか。
こんな与太話は無視していい。
それなのに、どうしてだろう。知らなくてはならない――そんな焦燥感に苛まれるのは。
逡巡していると、エリーシュはその手を落ろし、また悠然と微笑んだ。
「知りたければ、またこちらにお越しください。今度は生身の身体で。ああ、もちろん他言無用ですよ。特にあの死神将軍にはね」
『なぜ?』
「嫌いなんですよ、ああいうタイプは。私と真逆なんでね。あなたもそうでしょう?」
確かにそうだ。復讐でもなければ、私も絶対に近付こうとは思わないだろう。
「もし約束を破るようなら……」
『破るようなら?』
「オフィーリア嬢の命の保証はありません」
『!!』
まさか、だって、この人はオフィーリアに求婚をしていたはず。前回視た二人の様子は、明らかに恋人同士だった。その彼女をまるで人質のように扱うなんて。
嘘よね? 私を脅して言うことを聞かせるために、嘘を言っているのよね?
エリーシュの顔を凝視する。
こんな時でもこの人は人当たりのいい笑顔を浮かべている。脅迫を口にしながらもこんな風に笑っているなんて……。
この人はきっと、人を殺すことになんの抵抗もない。罪悪感もないかもしれない。それは殺人に慣れてしまって感覚が麻痺しているというよりも、そもそも人を殺すことを悪いと思っていない気がする。
自分にとって邪魔だと思えば、その辺の石をどけるくらいの気持ちで人を殺すに違いない。
ジュールの視線は、目で殺されるのではないかというくらいに鋭かった。その目で睨まれたら、恐怖で足が竦み、身動きできなくなるくらいの鋭さを持っていた。
なのに、なぜだろう。今はエリーシュの笑顔の方が怖い。
「おや、もう限界のようですね」
エリーシュは私の視る力に限界がきていることに気付いた。
こんなに長時間力を飛ばすのは初めてのことだった。
「さようなら。いつでもお待ちしていますよ、私の女神」
力が尽きる瞬間、エリーシュの声がざらりと耳にこびりついた。
目を開いた時、私は滝のような汗をかいていた。
スウが私の膝に両前足を乗せている。
「ごめんなさい、心配させたわね。私は大丈夫よ」
「くうん」
手を伸ばすと、スウは手のひらに頭をこすりつけてきた。
全身が脱力して立ち上がれない。私は崩れるように椅子から下りると、スウにしがみついた。
ジュールはまだ戻ってきていないようだ。
秘密裏にオフィーリアを探す手立てを考えているのだろう。まずは彼女と関わりのある貴族や領地を当たるだろうが、ゆくゆくは求婚者であるエリーシュへも捜索の手は伸びるはず。
だけど、おそらくオフィーリアは見つけられない。人当たりの良いエリーシュに、きっと皆騙される。
頭の中が整理できない。
ただの家出か駆け落ちだと思っていたのに、誘拐だったなんて。しかも相手は私と同じ能力者。私が彼の元へ行かなければ、オフィーリアの命は無い……。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。分からない。
だけど、何か大変なことが起きようとしている。それだけは分かった。




