15 既知
「アビーディア子爵夫人がぜひ会いたいそうだ」
数日後、帰宅したジュールがそう告げる。その手には上質な封筒がある。どうやら、恋文は無事に見つかったようだ。
スウが鼻を寄せ匂いを嗅ぐ。その手紙は彼女の香水の香りがした。
「どうてしかしら?」
「お礼でも言いたいんじゃないか」
「そう。じゃあ、向こうの都合に合わせますって伝えておいて」
「分かった」
すぐに返事を送ってもらうと、待ってましたとばかりに手紙が届き、アビーディア子爵夫人が三日後に来ることになった。
「リゼ様っ」
応接間に入ってきたアビーディア子爵夫人は、突進してきた。
そして私の手を取り、ぶんぶんと上下に振り回した後で、潰れそうなほど強く握られる。
その目は輝いていて、初めて会った時の冷たい目はどこにもない。
「ありましたわ! ありましたの!」
「ど、どうぞ、落ち着かれて……」
アビーディア子爵夫人は姪だという女性を連れていた。私と同い年くらいで、柔らかく編みこまれた髪と瞳はともに栗色で、顔立ちはやや地味だが、いいとこのお嬢さんという雰囲気の可愛らしい女性だ。
ソファーに座り、侍女に紅茶を出してもらうと、子爵夫人はまだ熱い紅茶を勢いよく飲んだ。
「先日は大変失礼をいたしました。あれから、その、長年探していた例のものですわね、無事に見つかりましたの」
「それは良かったですね」
「本当に心から感謝いたしますわ。それなのにわたくしったら、リゼ様にあのような失礼な発言を……許してくださるかしら? もうわたくしのことを嫌いになられた?」
あの傲慢な態度が嘘のようだ。まるで私を本物の女神だと心酔しきっているよう。恋文のこともあってか、まるで少女時代に戻ったように先日の意地の悪い雰囲気が払拭されている。
驚きつつも私は優雅に微笑んだ。ジュールが「貼りつけたような」と評した例の顔だ。
「いえ、むしろ好感を持っています」
「ええ、わたくしもよ」
その言葉に嘘はない。子爵夫人ともなれば、自分の取り巻きを使って私を陰湿にいじめることも可能なのだ。私でも――いじめなんてしないけどもしすると仮定するなら――そうする。そんな中で自ら嫌味を言いに来るところは嫌いじゃない。見上げた度胸だと思う。
初恋を未だに引きずっている純粋さと、子爵夫人という立場に固執している狡さも良いと思う。恋愛と結婚は別というドライな考え方は、貴族ならばあって当然のこと。
人間の裏を嫌という程見てきた私には、この自分に正直な彼女の人間くささが好ましいのだ。
子爵夫人は大きく頷き、傍らの女性の膝に手を置いた。
「ごほん。何でも、リゼ様は以前から女神と呼ばれていたのだとか」
「ええ、まあ、一部の方からは」
「今日伺ったのは、わたくしの姪のオフィーリアについてご相談したいことがあって」
「どのようなご相談でしょう?」
「実は、姪に縁談が来ましたのよ」
「それは、おめでとうございます」
なるほど、その縁談を受けていいかどうかという相談?
「それが、相手は外国人な上に爵位を金で手に入れたような、いわゆる成金ですの。おまけにその経緯に何やら黒い噂がある方のようで……」
「あの方は、そんな方じゃないわっ!」
オフィーリアが子爵夫人に食って掛かった。見た目は大人しいが、性格はそうでもないようだ。
「この通り、オフィーリアはすっかり舞い上がってしまって」
何でも、縁談の相手は相当な美丈夫らしい。避暑地で偶然知り合った二人は、お互いに惹かれあい、この度の縁談が持ち上がったのだとか。
「あなたに聞きたいの。この縁談を受けても大丈夫かどうかを」
これは大変なことになったぞ、と思った。私の一言で若い男女の未来が変わるかもれないのだ。オフィーリアはどうせ私が反対するだろうと思っているようで、こちらを睨んでいる。
「探偵でも雇われたらいかがですか?」
「ダメよ、探偵を雇ったことが世間に知られたら、我がアビーディア子爵家の品位が下がるわ」
「……では、一応視させていただきますが、期待はしないでくださいね」
「もちろんですわ!」
了承を得たので、私は居住まいを正した。精神統一の準備だ。
「私は相手のお名前やお顔を存じ上げないので、まずはオフィーリア様の記憶から探っていきますがよろしいですか」
「もちろんです。あの方のお名前は、エリーシュ。エリーシュ・クレイムスと申します」
「えっ」
名前を聞いて、思わず声が出た。あの夜会で話しかけられた、謎の男。
初対面のはずなのに、まるで私を知っているような口振りだった。
「何か?」
「い、いいえ、なんでも……」
相手の顔が分かれば、オフィーリアの記憶をあまり辿る必要はないだろう。
私は片手に彼女の手を、そしてもう片方に宝石を握り、神経を集中させた。
するとぼんやりと相手の姿が見えてくる。やはり先日会った美丈夫に間違いなかった。オフィーリアを見つめる顔は確かに優しく微笑んでいる。だが、その青い瞳は氷のように冷たい印象を受ける。
さらに視ていくと、眉をひそめるようなイメージがいくつか湧いてきた。そのどれもが泣いて頭を下げる人を無表情で見下ろしている場面だった。黒い噂というのは本当らしく、彼はまっとうではない方法を使って今の地位を手に入れたようだ。
やっぱり危険な男だわ……。
私がそう考えていると、エリーシュがふと虚空を見上げた。その視線は最初彷徨っていたが、次の瞬間、確実に私を捕えた。
目が合った!?
私は慌てて視るのをやめた。
目を開くと、元の応接間だった。目の前には不安げな顔のオフィーリアがいる。
目が合っただなんて、そんな馬鹿な。私は実際にその場にいるわけじゃない。だから目なんて合うはずがない。
額の汗を拭いながら、私はハラハラした様子の二人に告げた。
「残念ながら、その方はあなたの思っているような良い方とは言えないようです」
「そんな……!」
ご令嬢は悲痛な声を上げ、子爵夫人は我が意を得たりと頷いた。
「ですが、金銭面で不自由することはないかと。……これ以上は、あなた方でお決めください」
彼女が未来の夫の愛を得られるかは分からない。心の中まで覗くことはできないからだ。また、人は色々な面を併せ持って生きている。周囲から悪人と評される人物でも家族には優しい顔を見せるかもしれない。善人と評される人物でも家族には暴力を振るうかもしれない。それは実際に家族になってみなければ分からないのだ。
それでもいいというのなら、縁談を受ければいい。愛していれば、その障害も乗り越えられるもの、些末なことなのかもしれない。愛や恋を知らない私には到底理解できるものではないけれど。
落胆したオフィーリアは、子爵夫人に引きずられるようにして帰っていった。
その夜、帰ってきたジュールが思い出したかのように夕食時に尋ねてきた。
「どうだったんだ、アビーディア子爵夫人とは?」
「何の問題も無かったわ」
「そうか。何か困ったことがあったら言えよ」
「ありがとう。そうするわ」
感謝の言葉は、すんなりと出てくる。
ジュールが何の裏もなくその言葉を発していると分かったからだ。夜会以来、私たちは良好な関係を続けている。
私が自分の気持ちに蓋をすれば、うまくいくのだ。
--いつか、いや、なるべく早くこの屋敷を出ていこう。この人のいない場所に。この人の噂が届かない場所に。
そうすれば、この血迷った想いも消えて無くなるはずだ。
翌日から次々に手紙が届いた。
そのどれもがアビーディア子爵夫人から話を聞いた貴族で、私に占いをしてほしいという依頼ばかりだった。
娼館の中だけ、貴族の男の間にだけ有名だった私の能力が、数日のうちに国中に広まってしまったようだ。
「好きなようにしろ。この屋敷は好きに使っていい」
「ここで客を招いて、占いを商売にしてもいいということ?」
「ああ」
私はスウの背中を撫でながら、考えた。
占いをすれば、報酬としてお金が手に入る。占いをすると体力を消耗するので次から次にとはいかないが、相手が貴族ならちょっとふっかけてやれば出し惜しみはしないだろう。
まとまったお金ができればこのお屋敷を出ていける。その後、占いで生計を立てるのならこれは良い経験にもなるだろう。
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
私の返事に、ジュールが頷き、自室へ引き上げていった。
自分から提案したのにその横顔が何だか物憂げに見えたのは、きっと気のせいに違いない。




